yururi-furu’s blog

ゆるりと続けるフルコミ営業

今回の報酬、100万円(マンション買うつもりないけど⑤/⑥(不動産百話⑦))

 

そして、この話の最初に出てきた買主の

Mさんに電話します。

「Mさん、マンションを買おうと思って

いませんか。驚くぐらい希望に近い未公

開物件があります。ぜひ見てください」

 

探してもいないのに、希望に近い物件っ

てなに?・・・・になります。

でも思った通り売買契約に進みました。

 

実は、売主の奥さんから、三つの条件を

言われていました。

一つ目は、早く売却すること。

二つ目は、売却情報を公開しないこと。

三つめは、不動産業者に売らないこと。

なかなか厳しい条件です。

 

よく同じようなことを言ってくるお客さ

んもいますが、今回はきちんとした理由

があります。元のご主人にはここに住む

と言ってある。売るのを秘密にしたい。

だから情報公開したくない。また、不動

産業者だと安くなりそうと思っている。

ま~その通りです。

 

だから不動産営業の勘で、Mさんに声をか

けました。他には誰にも言っていない。

ただ価格は不動産業者の買取価格です。

一般価格より安いのですが、個人に売る

のであれば気にならないそうです。

いざ契約が決まると、契約から残代金決

済・引渡しまでスムーズに進みました。

 

ブログの初めの記事に書いてますが、僕

の不動産専門ファイナンシャルプランナ

ー個人事務所の営業方法について聞かれ

ることがあります。

今回の件でいうと、案件開拓と客付け営

業を行いました。そして物件調査の基本

資料は既に揃っている。

何しろ自分で管理しているマンション。

管理規約や総会議事録、管理費と修繕積

立金なんかの他、重要事項説明書が作れ

る資料は全部手元にある。しかも不動産

経験が長いので、このマンションだけで

も15件以上の売買経験もあるし、この

マンションの契約書と重説の雛型も作っ

てあります。

 

仲介する不動産会社は、僕がシニアコン

サルタントをやっている横浜の会社。そ

の会社に直近の物件調査と、今回のお客

さん用の契約資料作成を依頼します。

 

 

今回の僕の報酬は、約100万円です。

サラリーマン時代より多い毎月の給料の

他に、こういった案件がいくつか進んで

います。

 

売却物件の出来上がり(マンション買うつもりないけど④/⑥(不動産百話⑦))

 

マンション引き渡し日の1週間前、ご主

人が管理室にやって来ました。

 

「管理人さん、急で驚くかもしれないけ

れど、来週引っ越すことになりました。

長い間お世話になりました」

 

僕は、

「急に引っ越すなんて驚きました。何か

あったんですか。寂しいですね」

 

ご主人は、

「いろいろとね・・・」

 

すべて知っていると、どこかでわざとら

しさが出そうで怖い。でも演技します。

 

慰謝料や賠償金には、算定の基準があり

ます。

弁護士さんや少額訴訟を扱っている司法

書士さんが参考にする算定書。それと、

こういったケースではどのぐらいの慰謝

料や賠償額になっている判例が多いかを

まとめた本なんか。

グラフになっていて、事件ごとの金額が

書いてあります。そこに今回のケースを

当てはめると、取れる金額がだいたい分

かってきます。

今回大きかったのは、弁護士さんに相談

している途中で判明した、ご主人の浮気

です。それを離婚の原因に持ってくれば

300万円ぐらいの慰謝料が見込める。

そこにモラハラを足していきます。もち

ろんそのケースごとに違ってきますが、

予想がつきやすくなる。

今回の慰謝料請求額は、600万円。そ

して認められたのは、420万円です。

こういった場合は、多めに請求をかける

ので、結果としてはほぼ予想通り。一番

の目的は離婚を認めさせることと、訴訟

に持ち込んで、ご主人を被告とすること

です。被告人にさせて、今までやってき

たことを自覚させる。

勝訴したので、これでひと段落。当然ご

主人は控訴できますが、一審とはいえ判

決が出ると、一般の人はそれを重く受け

止めることも多いんです。

今回は控訴しませんでした。

 

判決も出て、ご主人がマンションから退

去する日も決まりました。

僕としては、ここで終わると思っていま

した。マンションを売却しないだろうと

思っていた。奥さんと娘さんが住むんだ

ろうなと。

 

でも違っていました。住むことは無理だ

ったんです。

二人とも部屋に入れない。過去のことを

思い出して、怖くて部屋に入れないんで

す。ご主人はもういないのに。

 

 

判決で、ご主人はマンションを引き渡し

た。奥さんと娘さんは、トラウマで部屋

に入れない。

家族が誰も住めない部屋になりました。

売却物件の出来上がりです。

 

慰謝料ではなく財産分与(マンション買うつもりないけど③/⑥(不動産百話⑦))

 

部屋の前に来て、僕がチャイムを鳴らし

てノックもする。

応答が無いのを確認し、奥さんが鍵を恐

る恐る開けた。

ご主人は不在でした。

 

自分と娘の銀行通帳や実印、保険証を持

ってすぐに部屋を出る。よほど怖かった

のか足が震えています。

その後は管理室で、今後どうすればいい

かの相談を受け、ハラスメントの内容を

確認したところ、かなり酷かったため、

女性のB弁護士さんを紹介しました。

その後、僕も奥さんからは報告を受けて

いたんですが、思っていたのとは違い、

訴訟になってしまった。

 

横浜地裁では奥さんが勝訴して離婚が認

められ、慰謝料も希望に近いものになり

ましたが、そのあとYさんが大きな病気を

して会社を退職。慰謝料の支払いが難し

くなってしまいました。

退職金で支払いはできるのですが、働け

なくなったことで、Yさんの老後資金や生

活に支障が出る可能性が高くなった。

 

奥さんとしては、そんなのは関係のない

ことですが、やはり元のご主人だったた

めか気持ちが揺れてしまう。慰謝料請求

をためらってしまった。

 

でも、それが幸いしました。

元のご主人のYさんから、慰謝料の支払い

の代わりにマンションの所有権を渡した

いという申し出があったんです。

もともと夫婦で、各々50%の持ち分を

持っています。中古でも3000万円台

では売れる。

つまりご主人は、数百万円の慰謝料代わ

りに自分の持ち分相当、1500万円プ

ラスの財産を引き渡すことにしました。

 

なぜ慰謝料より高い財産を引き渡すので

しょうか。

それは僕が奥さんに、売却を渋るように

アドバイスしたからです。そうすればご

主人は、現金を出さなければいけなくな

る。ご主人としては、それは避けたい。

だからマンションを売りたい。でも持ち

分の半分は奥さんが持っている。

 

そして奥さんにこう言わせました。

「思い出の詰まったあの部屋で、今度は

娘と二人で暮らしたい」

 

最終的にご主人が折れて、二人のためな

らと、マンションの自分の持ち分を渡し

た。税金がかからないよう財産分与で。

 

 

同じころ、娘と二人で暮らすための部屋

は、奥さんの指示で、売るための準備が

着々と進んでいました。

もちろん僕によって。

 

誰も住めない部屋(マンション買うつもりないけど②/⑥(不動産百話⑦))

 

平日だったので、電話を受けたのはMさ

んの奥さん。取り合えず次の日に内見す

ることになりました。

 

翌日、奥さんが子どもを連れて、叔母さ

んという人と一緒に来室。まだ家具の残

る引っ越したばかりの部屋。片付いてい

ませんが、そんなことより部屋の広さと

明るさに驚いた様子。

この部屋は角部屋なので窓が多い。自分

たちが住んでいる隣の部屋とは明るさが

全く違います。そして少し広めのベラン

ダに続く広い広いルーフバルコニー、2

部屋分の150㎡もある。このマンショ

ンで一番広いルーフバルコニーです。

 

見初めは慎重な感じでしたが、すぐにテ

ンションが上がって、どうやったら購入

できるかという話しに変わっていきまし

た。叔母さんも気に入った感じ。

僕が見ても、いい物件だと自信がありま

した。そしていい物件は普通は高い。し

かしこの物件は格別に安いんです。

 

それは、誰も住めない部屋だからです。

 

誰も住めない部屋?

 

その理由は、僕が得意?とする事故や事

件の訳あり物件ではありません。

実は売主のYさんからは、2年も前から相

談を受けていました。自分たちの生活が

おかしくないかという相談。

 

これはまだ4年前の話なんですが、その

とき売主のYさん夫婦は50代でした。で

も気になっていたのは、奥さんが常に疲

れたような雰囲気だったこと。

ある日、しばらく見かけなかった奥さん

が、管理室に相談にきました。

「センバさんって不動産コンサルタント

なんですよね?少し聞いていいですか」

 

相談の内容は生活のことでした。30年

ぐらい前の結婚当初から、すべてについ

てご主人から命令されていた。そして口

答えが許されなかったこと。

食事なんかでも、魚が食べたいというの

で作っていたら、途中で肉が食べたいと

変わってしまう。もう作り始めていると

伝えると怒りはじめる。何時間も。

そんなことが生活全般に渡ってずっと続

いていた。モラルハラスメントです。

 

 

更に最近は暴力まで加わって、先日、大

学生の娘と一緒に実家に逃げた。

そして今日は、必要な物があるのでご主

人がいない間に取りに来たけど、万が一

のことを考えて、立ち会ってほしいと頼

まれたんです。

 

マンション買うつもりないけど(マンション買うつもりないけど①/⑥(不動産百話⑦))

 

お客さんからしたら、いい迷惑だったか

もしれません。

なぜなら具体的に不動産を探していない

からです。そのうちに考えなきゃね、程

度だったはずで、家族以外の誰にも話し

たことがなかった。

 

でも突然の電話。しかもマンションの管

理人から。

「Mさん、マンションを買おうと思って

いませんか。驚くぐらい希望に近い未公

開物件があります。ぜひ見てください」

 

意味が分かりません。だって探していな

いのに、希望に近いってどういうこと?

 

管理人とは僕のことです。

個人事務所の受託業務の一つに、マンシ

ョンの管理人教育兼管理人があります。

その担当しているマンションのお客さん

に、突然電話しました。

マンションを探していないのに、あなた

の希望に近い未公開物件があると。

 

これがどこかの不動産会社からの営業電

話だったら、電話自体に出ないかもしれ

ません。また電話に出てしまったとして

も、電話を切れば済む話です。

でも管理人からの電話。いつも挨拶する

しお世話にもなっている。ちょっと断り

にくい。

 

僕は、もちろんそれを狙って電話した訳

ではないんです。

不動産営業の勘です。

いや、正確に言えば営業経験による行動

観察。

 

このMさんという30代のご夫婦は、僕

の管理担当の分譲マンションを借りて住

んでいました。分譲マンションでも、自

分で住まないで賃貸に出す人もいます。

あるいは、転勤や親の介護等で一時的に

引っ越す人もいます。確率としてはマン

ション戸数の5~10%。

これはどこのマンションでもほぼ同じ。

 

Mさんは初め1階に住んでいました。そ

れから2年ほどして、このマンションの

6階に転居。そしてそこに住んでから既

に4年。計6年、賃貸に住んでいます。

 

更に管理人には他の情報も入ってくる。

売買の仲介やリフォームの内覧会を行う

ときは、管理会社や現地の管理事務所に

許可を取ったり、届けを出します。

Mさんはそこを見に行っていました。た

だ具体的な話には進んでいない。そんな

情報も入ってきます。

 

横浜市にあるこの中古マンションは、リ

ノベーションした約75㎡の3LDKで、

平均取引価格は4,000万円。

 

 

僕の未公開情報は、

「80㎡の3LDK角部屋で、無料のルー

フバルコニー150㎡が使えます」

「現況引き渡し。売主さんの希望価格は

2500万円。部屋はお隣です」

 

次は最後のロングツーリング((青森~大阪4日間⑧/⑧)自転車100kmライドって何?㉓)

 

何を言ってるんだという顔で、僕がその

大会関係者を見ていたのを察したのか、

別の係員が声を掛けてきました。

「いや、この人の言う自転車ってのは、

レース用の自転車。トラックレーサーの

ことだよ」

ロードレーサーも持っていないの?」

「レースに出たこともないんだよね?」

 

当時も発売されていたサイクルスポーツ

を毎月買っていたし、ときどきニューサ

イクリングという月刊誌も買っていたの

で、そういう自転車があるのは知ってい

たんですが、興味がなかった。

だから、もちろんレースに出たこともな

く、今日初めてこういった大会に来たこ

とを伝えると驚いたように、

「健脚だねー。たまにツーリング車で大

会に来る人がいるけど、今までで一番速

いよ。」

「惜しいなー、トラックレーサーで走っ

てたら、多分優勝していたなー」

 

(!、そうなの?そんなに違うの?)

後で考えたら、この時の僕は面倒くさが

って夏の装備のままだった。

ツーリング車ということだけでもハンデ

なのに、ライト、泥除けはもちろん、フ

ロントキャリアとリアキャリアも付けた

まま。

ツーリング車なので、1インチ3/8のWO

タイヤ。割れたトークリップに伸びきっ

たトーストラップ。シューズは学校で履

いている安い運動靴で、当然シュープ

ートも打ってない。

それにしてはいいタイムだったらしい。

 

確かに、夏のチャレンジで鍛えられた気

がするし、何よりチャレンジ中は誰にも

追いつかれなかった。

 

これはツーリングに出てみないと分から

ないんですが、同じ方向にツーリングで

走っているサイクリストがいると、遅い

サイクリストは追いつかれることがあり

ます。

高校1年の青森一周のときは、何度も追

いつかれた。でも昨年の北海道一周のと

きは、15日間で1度しか追いつかれた

ことが無く、逆に何人もに追いついた。

そして今年の青森~大阪のチャレンジで

は、誰にも追いつかれなかった。

つまり確実に体力や脚力が上がってる。

 

 

これがきっかけになり、自転車の仕事で

生きていけないかなと考えるようになり

ました。できれば自転車選手として。

大学に進学するつもりだったので、来年

は最後のロングツーリングに出て、その

後は自転車競技だけに専念することに決

めました。

 

君は自転車を持ってないの?((青森~大阪4日間⑦/⑧)自転車100kmライドって何?㉒)

 

今回も予算なしのツーリング。

まだ富山県なのに、残金は8,000円し

かありません。

 

そこから日本海側をひたすら走り野宿し

て、4日後に青森の実家に帰り着きまし

た。残ったお金は3,000円。

危ないところでした。

 

今回のツーリングは11日間。走行距離

は、約2,500km。

最初の4日間の平均走行距離は、1日あ

たり、約322km。

ツーリング車にテントなんかの荷物を積

んで走ったにしては、なんとか頑張った

ような気がします。

特に夜間は大変だった。なぜならライト

ダイナモだったからです。

ダイナモライトは発電機をタイヤに接触

させて点灯します。するとタイヤに抵抗

がかかってペダルが重くなり、走りにく

くなります。

今回はけっこう夜も走ったためこの負担

が大きく、キツイ思いをしました。

後でレースに出るようになって思ったの

は、もしも同じコースをテントなんかを

持たずにダイナモも無しで、きちんと毎

日練習をしてからロードレーサーで走っ

たら、たぶん3日を切っていたはず。

再度チャレンジしなかったことが、今で

も悔やまれます。

 

 

それから1ヶ月後、当時の青森競輪場

開催された「素人足自慢」みたいなもの

に出てみました。

種目はキロメーター、1kmを自走してタ

イムを競うシンプルでトラック競技の実

力が分かる基本の種目。

 

初めて走る競輪場。カーブに傾斜がある

なぐらいしか覚えていなくて、とにかく

緊張して何回もトイレに行った。

この時の青森競輪場は合浦(がっぽ)公

園に隣接していて狭いため、直線が長く

てカント(斜面)がきつく、カーブが急

でした。

自分の番になり、サドルを押さえてもら

ってスタンディングスタート。ペースも

何もなくただただ全力で走り切ったタイ

ムは、1分41秒。30人中25位。

優勝したのは三沢基地アメリカ人で、

タイムは、1分22秒。

このときはこの自分のタイムも、優勝し

た人のタイムもいいのか悪いのかさえ知

らなかったんです。

本当は、素人大会にしても酷いタイムだ

ったんですが、何も分からなかった。

 

 

ただ、僕が走ったときに何かザワついて

いた。歓声みたいなものも聞こえた。

そして走り終わって息が切れていたとこ

ろに大会関係者が来て、聞いてきた。

「君は自転車を持ってないの?」

 

(いま自転車で走ったんだけど?)

 

自転車を重量挙げ((青森~大阪4日間⑥/⑧)自転車100kmライドって何?㉑)

 

自転車のハンドルを持っても押さえきれ

ないので、左手でステムの上、右手でト

ップチューブを押さえる。

するとその瞬間、今までより更に強い風

が吹いてきて、自転車が完全に持ち上が

りバンザイをしたような恰好、つまり風

に煽られて自転車がほぼ僕の真上にくる

ように上がってしまった。

重量挙げが成功したような形。このまま

後ろにバランスを崩したら、自転車ごと

崖から落ちてしまう。

(自転車から手を放して捨てなきゃ。そ

してガードレールにしがみつかないと崖

から落ちる!)

 

そう思った瞬間、目が合った。

 

大型トラックの運転者さんです。

 

岬の突端とはいえ公道。時折自動車が通

ります。

実は車が通るたびに助けを呼んでいた。

人生で初めて、しかもありったけの大き

な声で「誰か助けて!」と何度も叫んで

いたのですが、誰もがまさか真昼間に目

の前の自転車と一緒にいる人間が、助け

を求めているとは思わなかったようで、

そのまま通りすぎて行った。

 

そしてもうダメだと覚悟した瞬間、本当

に偶然通りかかった大型トラック。風が

強いのでかなり徐行していた。

トラックの運転手さんからしたらこの強

風の中、岬の突端で急に意味不明の叫び

をして自転車を頭上に持ち上げるという

訳の分からないパフォーマンスを目の前

でされたものだから、驚いてブレーキを

踏んだみたい。

もちろんパフォーマンスではなく、強風

で勝手に持ち上がったんですが、それが

運よくトラックを停めることになった。

 

運よくと言うのは、このトラックが停ま

ることで壁ができて、強風が弱まったん

です。

軽くおじぎをしてから急いで風の来ない

ところまで自転車を引いて行きます。

助かった。本当に助かった。

 

その後はそこまでのこともなく、後方か

ら吹く風に押されて、時にはまったくペ

ダルを踏まなくても勝手に自転車が進み

ました。

輪島ユースホステルには、17時過ぎに

到着。すぐにお風呂で体を休めます。

 

 

この日のニュースでは、富山県の男子高

校生が棒高跳びの練習中に、強風にあお

られてマットの外に落ちて亡くなったみ

たいです。

もしもあの時トラックが来なかったらと

考えると・・・・・。

 

能登半島は台風に乗って((青森~大阪4日間⑤/⑧)自転車100kmライドって何?⑳)

 

翌日も朝4時前に起きる。

そりゃ~バス停だと熟睡できないし、始

発が来る前に起きないと人も来ます。

いつも通りに、ピーナッツバターを塗っ

ただけの食パン1枚をインスタントコー

ヒーで流しこんで出発。

 

午前中に福井県東尋坊に到着。

ここは、日本海に突き出した荒々しい柱

状の岩の断崖が1km以上も続くという、

地質学的にも珍しい光景。福井県が誇る

観光名所。

でも、その断崖から自殺の名所とも言わ

れ、〇〇サスペンスや刑事ものドラマな

どの撮影場所にもよく使われています。

僕が行ったときもあったのですが、本当

に自殺する人がいるようで、「もう一度

考えなおせ!」の立て札がありました。

ビートたけしが漫才で、「自殺しようと

したんだけど思いとどまった人が、戻ろ

うと振り返ったら「もう一度考えなおせ

!」の立て札を見て、考え直して逝って

しまった」と言ってたのを思い出した。

想像以上の断崖で、高いところが苦手な

僕はちょっと離れたところから観光。

 

次の場所は、石川県羽咋市の「千里浜な

ぎさドライブウェイ」。

ここは、車で砂浜を走れる日本で唯一の

ドライブウェイ。全長8kmもある。

砂がしまっているため、車の他にバイク

や自転車でも走れます。波打ち際を海風

を受けて気持ちよく走っていける場所。

ただ、台風が近づいてきたようで、どん

どん南西の風が強くなってくる。波も高

くなり危険な感じなので、半分も走らな

いで千里浜を後にしました。

 

志賀町の赤崎漁港近くのドライブイン

遅い昼食を取って、今日の宿泊地である

輪島ユースホステルまで早めに着けると

思っていたところの岬の突端で、ゴーっ

という唸るような音の強い風になり、自

転車がフワッと浮いた感じがして転倒し

そうになった。

自転車の重さが約15kg。荷物の重さが

約35kg。僕の体重が約50kg。

合計約100kgもあるのに浮いた。

自転車を下りても浮くような感じがした

ので自転車を押さえる。しかしやっぱり

飛ばされそうになる。

そしてそれだけではなく自分も飛ばされ

そうになって、強風でどんどん押されて

いく。

 

 

道路に浮いた砂で滑って押される先は、

ガードレールが切れた場所。

その下は断崖絶壁。

身動きも取れず、その方向に吸い込まれ

るように、台風の風に押されていった。

 

記録は3日と19時間((青森~大阪4日間④/⑧)自転車100kmライドって何?⑲)

 

多分いまの時代だったら大怪我をしてい

ます。時代が違ったので怪我をしないで

済んだ。

時代が違うから怪我をしないという不思

議な現象は、ぶつかった瞬間に自転車が

持ち上がってハンドルとブレーキレバー

が車のフェンダーミラーを挟んだから。

前輪が持ち上がって、そのままけん引さ

れるように車の進行方向に一緒に進んだ

から倒れなかった。これがドアミラーだ

ったら不可能だったはず。

慌てた運転手さんに怪我がなかったこと

告げて、ゴールの大阪に向かいました。

 

そこから先は、大阪市内に着くまで全く

記憶が無い。

人と車が多くゴチャゴチャしてるなと思

いながら、ちょうど19時に大阪駅に到

着しました。

感激とか達成感は何もなく、これで走ら

なくて済むんだというホッとした気持ち

しかありませんでした(実際は日本海

を通って帰らなければいけないけど)。

 

とにかく風呂に入りたかった。

読んで分かるとおりに、この4日間は水

をかぶっただけで、シャワーすら浴びて

いません。

(こりゃ臭くなりそうだ!)

銭湯を見つけて早速入ります。日に焼け

た肌から、皮がボロボロむけてくるし、

何か所かは出血している。

これは日焼けがひどすぎての出血です。

日に焼けて皮がむけ、更に日焼けでその

下の皮がむけると痛くなり、そこも焼け

てしまって肉が見えていました。

 

銭湯から出て今夜の寝場所を探している

うちに、コンクリートの上で気を失うよ

うに寝てしまった。

 

翌朝、怒鳴り声で起きる。

どうやら人んちの前の月極め駐車場で寝

てしまったみたい。そこの家のお婆さん

にメチャクチャ怒られて、逃げるように

退散。

 

この日は京都に向かいました。

昨年来た修学旅行が京都だったので、友

達と歩いた道や名所を一人でなぞってか

ユースホステルに宿泊。今回初めてま

ともな所に宿泊します。

翌日も午後まで京都を観光してから琵琶

湖方面を通り、敦賀を過ぎた22時ごろ

に屋根付きのバス停のベンチに潜入。

やっと達成感が沸いてきたのと京都を観

光したせいか、またも気を失うように寝

てしまいました。

 

 

ただ気になるのは、京都のユースホステ

ルで言われた「大型の台風」の接近。

明日のコースの能登半島を直撃しそうな

ことです。

 

急ぐときは高速道路を使え((青森~大阪4日間③/⑧)自転車100kmライドって何?⑱)

 

藤沢に入ると湘南の海が見え、少し気持

ちが高ぶってくる。小田原までは、海に

近い1号線を進みます。

ちょっと上りがキツかった箱根の坂を越

えて、芦ノ湖へ到着。そこから名古屋方

面へ向かってペダリング

静岡~浜松と淡々と距離を稼ぎ、19時

ごろに名古屋へ到着。市内を抜けてから

休憩したら、走る気が失せてしまった。

もう50kmぐらい頑張ればよかったんで

すが、さすがに疲れてしまった。

 

今日の走行距離は約270km。3日間で

約1020kmを走破。正直な気持ちとし

て「やめたく」なっていました。疲れて

身体がいうことをきかないし頭も働かな

い。もしスタートしたばかりのフレッシ

ュさがあったら、多分夜中も走り続けて

大阪を目指したはず。

名古屋市郊外にあった歯医者さん前のバ

ス停のベンチで休憩していたら、そのま

ま寝てしまいました。まだバスが動いて

いた時間だったので、行き倒れみたいに

なって爆睡。時代が違うかもしれません

が、普通は補導されそうな状態です。

 

早く寝たせいか3時には目が覚めて、食

パンだけ食べて出発。ちょっとボーッと

している。そのせいか「大阪」の道路表

示を見てゆるい坂を上がって走ると、周

りの車からクラクションを鳴らされた。

なんか雰囲気がおかしいと思ったら、高

速道路に入っていました。

最近聞いたことがある、〇〇イーツの配

達員みたいなことを43年前にやってし

まった。

あわてて次の出口で高速を降りて、国道

1号線へ戻ります。

 

そこからは、またあまり記憶に残ってい

ない。覚えているのは三重県から滋賀県

の県境である鈴鹿峠を越えて下りに入っ

ってから、軽トラックが僕を追いて行っ

たこと。

鮮やかでハッキリと、そしてゆっくりし

たその景色は何故か覚えています。それ

から追い抜きざまにその軽トラックは、

急に左に曲がった。

横に、自転車に乗った僕がいるにも関わ

らずです。

 

 

大きなにぶい音が響き、前方に投げ出さ

れるような感覚。

でもその瞬間の「前方に投げ出されるよ

うな感覚」以外は頭から完全に抜け落ち

ています。真っ白になった。

 

 

 

 

仙台~東京、横浜のデジャヴ((青森~大阪4日間②/⑧)自転車100kmライドって何?⑰)

 

確か21時ごろに、国道脇のコンクリー

トを敷いてある空き地で、倒れ込むよう

シュラフに潜り込み爆睡。

それでも2時ごろ目が覚めたので、走り

始めます。

目覚まし時計もなかったんですが、気が

張っていたせいか起きてしまった。

 

それからまた淡々と走って行きます。

この日もあまり記憶がありません。やは

りガソリンスタンドで水をもらったこと

と、暑くて暑くて昨日は気持ち悪くなっ

たコーラを、またガブ飲みしたことと、

菓子パンをいくつか食べただけです。

 

昨日とあまり変わらないペースで、ほと

んど風の無い蒸し暑い中を走っていく。

面倒くさいので着ていたTシャツを脱い

で、上半身裸で走ります。

唯一記憶に残っているのは、夕方あたり

に進行方向左に「宝積寺」の表示があっ

たこと。

 

数年前から切符ブームでした。

昨年行った北海道の「愛国」駅から「幸

福」駅行の切符がブームの火付け役。

そして縁起がいいというので「宝積寺」

駅の切符も人気でした。

僕も持っていましたが、場所さえ知らな

かったのでちょっと驚きました。

栃木県塩谷郡高根沢町にある歴史のある

お寺です。

そこしか記憶に無い。

 

21時ごろに東京に入り、22時過ぎの

多摩川手前で、30代のお兄さんに声を

かけられました。

「すげーなお前、飯を食わせてやるよ。

それと、うちに泊まっていけ」

近くの居酒屋でご飯をごちそうになり、

アパートに泊めてもらい、朝4時ごろに

起きてお礼を言い出発。

 

ただ、疲れがたまっています。

青森から東京まで、国道4号線を通って

約750km。それをツーリング車に荷物

を積んで2日で走破。

うまくいけば、あと1日半で大阪に到着

できます。

ただこの2日間は、大きな上り坂があり

ませんでした。でも今日は箱根を越えな

ければならない。たしか箱根は上り勾配

が大きく、ちょっとハードなはずです。

 

最初は風もなく順調に進みました。昨日

の夜から、国道4号線から1号線に変わ

っています。

横浜駅近くを過ぎて1時間もしない所で

既視感がありました。よく言うデジャヴ

というやつです。

今まで一度も来たことがないのに、見た

ことがあるような感じがする小高い丘。

懐かしさでいっぱいになり、ついペダル

を止めて眺めてしまった。

 

 

その場所は、それから15年後に住むこ

とになるマンションが建設される丘。

まだ雑木林だけの何もない丘でした。

 

自転車、青森~大阪4日で走破((青森~大阪4日間①/⑧)自転車100kmライドって何?⑯)

 

高校3年の夏休み、高校時代の自転車ツ

ーリングの集大成に挑戦しました。

それは、実家のある青森から大阪までの

タイムチャレンジ。

もちろんロードレーサーではなく、ツー

リング車。いつものミヤタの愛車です。

それに帆布を使ったバッグ。いまのナイ

ロン製に比べたら、とっても重い。

地図や貴重品を入れたフロントバッグ。

リアキャリアにはサイドバッグを二つ。

そこに一人用のテントとシュラフを積ん

でいます。

さすがに前年の北海道ツーリングよりも

荷物が少ない。旅慣れてきたのと、タイ

ムチャレンジが目標だったためです。

 

目標は、3日と12時間。

総距離は、約1300kmです。

 

ツーリング車ですけど、1日400km

走れば3日ちょっとという、いつも通り

の大雑把な計画。

でも何と言うか、毎月2回の200kmの

ツーリングと、その間の50kmポタリン

グで、何とかなりそうな感じがしていま

した。

 

6月ぐらいから地図を見てイメージし、

気持ちを盛り上げていきます。

 

いつも通りに、7月下旬の夏休み初日に

スタート。午前零時のスタートです。

国道4号線を、ただただ南に走っていき

ます。夜中なんですが、気持ちが高ぶっ

て速度が上がる。

まだサイクルメーターなんか無い時代で

したが、体感的に速いと感じて、意識し

て速度を落とします。

 

実はこのチャレンジツーリング、あまり

記憶に残っていません。

おそらくキツかったことと、どこも観光

しなくて単調だったからだと思います。

 

この日の記憶は、夜が明けてきた午前4

時ごろに110kmぐらい走っていて、

岩手県との県境の坂を上っていたこと。

その後も淡々と距離を稼ぎ、途中で母親

に作ってもらったお握りを2個食べた。

1日中無風で暑くて耐え切れず、当時は

ビンで売っていた500mlのコーラを、

1日で30本、15リットル飲んだこと

です。

最後は気持ち悪くなってしまった。

コーラばかり飲んでいたので、朝食べた

お握り以外は何も食べなかった。炭酸で

お腹がいっぱいになっていました。

暑すぎて、ガソリンスタンドでもらった

水を、かぶりながら走り続けただけ。

 

 

疲れ果てて集中力が無くなりかけた20

時過ぎに仙台市に到着。

走行距離は約380km。

何とか予定通りに着きました。

 

 

君は持ち逃げ君?②/②(不動産百話⑥)

 

社長は激怒しています。

会社の資金繰りは常に火の車、自転車操

業です。つまりペダルをこぐのを止める

とそこでお終い。

なのに社長の浪費癖は治らない。

毎日いろんな意味でドキドキするような

状態なのに、そこに50万円持ち逃げ。

社長が怒らないはずはありません。

 

D主任は独身で、携帯電話も無い時代な

ので、まったく連絡がつかない。

当然家を訪ねても不在。打つ手がなく、

警察に相談して被害届けを出しました。

 

それから1ヶ月ちょっと経ったある日、

D主任が昼過ぎにやってきました。

「よう、みんな元気?」

「ちょっと有給休暇を取ってたからさ、

心配したでしょ」

「でもこのとおり、まったく元気です」

「明日から普通に会社にきま~~す!」

 

(どういうこと?)

(50万円はどうなった?)

(なぜ平気でここに来る?)

 

常務が出てきて問い詰めます。

「なぜ何も言わずに勝手に休んだ」

「なぜ連絡がつかなかった」

「お客さんから預かった50万円はどこ

にやった」

「こっちは警察に被害届けを出している

んだぞ!」

「今ここで50万円を返せ!」

 

D主任は、

「いやいや何をそんなに怒っているんで

すか。あんたおかしいよ」

「有給休暇は社員の権利でしょう」

「それにとやかく言うのは、社員の権利

を侵害している」

「50万円なんて、俺の知らないことの

責任を押し付けるなんて、バカだ!」

「工事の専門家にそんな態度を取ると、

俺はこの会社を辞めるぞ!」

 

50万円を持ち逃げしたくせに、この開

き直り。話を聞いていると、こっちが悪

いような気さえしてきます。

 

当然に常務は激怒。

周りの社員も怒っています。

そして常務は、

「みんなでこいつを捕まえろ~~~!」

 

そこにいた男性社員4人と常務で、D主

任を取り押さえました。床に引き倒して

腹ばいににさせ、上に二人が乗ります。

 

D主任は、

「お前らこの暴力は許されないぞ」

「ちょっと気軽に有給休暇を取ったら、

この仕打ち。ふざけんな!」

「俺の権利をどう考えているんだ!」

 

10分もしないで蒲田警察から警察官が

来て、引き渡し。

 

 

捕まるときに言った言葉がすべてかも。

「50万円は1ヶ月経ったら時効だろ」

持ち逃げを認めています。

どう考えても、意味が分からない態度。

多分、お金を使い果たして困ってしまっ

たうえで出社。

でも普通は、持ち逃げした会社に出社は

できません。

 

 

君は持ち逃げ君?①/②(不動産百話⑥)

 

これも鉄道系不動産会社での話。

蒲田の不動産会社、Hセンターに出向し

ていたときのことです。

いい加減な会社でも、なかなか優秀だっ

たり、志がある社員が入ってくることだ

って、たま~~~にはある。

しかしそれはすごく確率が低い。普通に

考えると、ちゃんとした人はちゃんとし

た会社に入っています。

ただ、ここはそうでは無いだけです。

 

「周りがバカばっかりでよう」

なんて言ってるのは、本人もそうだから

です。なぜ気づかない。

例えば求人をかけたとき、応募してくる

人たちを見て、逆に自分のレベルが分か

ってしまうことがある。

 

ある日、求人を見たという男性が、約束

の時間より30分以上遅れてやってきま

した。時代が違うので年齢制限を表示で

きたときの話です。

募集要項には、30歳までと書いてあり

ますが、その男性はどう見ても50代。

あまりきれいではないポロシャツに作業

ズボンを履いています。靴は安そうなス

ニーカー。

 

(普通はスーツで来ないか?)

 

そう思っても口には出さずに、

「こちらにお掛けになって、履歴書をご

用意ください」と伝えました。

 

すると突然、

「なにお~~~!履歴書だと~~~!」

「ふざけんじゃね~~~!そんな会社は

こっちからお断りだ~~~~~!」

そう叫んで立ち上がり、椅子を蹴飛ばし

て出て行ってしまった。

 

そこにいた全員の表情がこわばったまま

で、ポカンとしています。

 

つまり、こういったことなんだろうと思

います。

あまり知名度が無い会社。それでも大卒

の初任給が15万円ぐらいの時代に、最

低給料が25万円+歩合給。

うまく潜り込めればいいけど、今までち

ゃんと職に就いたことがないので、履歴

書に書けることが無い。あるいは履歴書

を書いたことさえない。

人間は弱点を突かれると、キレることが

よくあります。多分そんな感じ。

 

このころは、分譲事業も始めたので、設

計や工事部門も作りました。

入社半年の50代の工事担当D主任。普

段からちょっと怪しい。工事について詳

しくないだけでもおかしい。

 

 

そのD主任が工事代金を受け取りに行っ

たまま戻って来ず、連絡も取れなくなり

ました。金額は50万円です。

あいつやったな・・・・・。