yururi-furu’s blog

ゆるりと続けるフルコミ営業

7日間の治療が終わったら(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ⑲/㊿)

 

子供の日の5月5日 木曜日に、治療は

終わりました。

でもこれは1回めです。たぶん2回目も

あるんだろうな。できれば無いほうがい

い。奇跡的にでも1回の治療で終わって

ほしい。

そんな甘い期待を持ってしまう。

たぶん無理だと分かりながら、自分の気

持ちをどこかに逃がしたくなる。

 

「苦しいとき(だけ)の神頼み」です。

 

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7日間の治療。

皮下注射とはいえ、どうしても副作用の

心配をしてしまいましたが、本当に幸い

なことに特別なことは起きなかった。

 

抗生物質の点滴の針は痛くて、刺してい

るところが痣になってしまいましたが、

それに対する気持ち悪さみたいなものは

無くて済みました。

すぐに血液検査をしたところ、注射した

薬が効いていることもあり、貧血状態に

なっていた。治療と検査が終わったこと

もあって、久しぶりに輸血をします。

 

入院前も、日常の生活に大きな支障はな

く、息切れと頭痛がときどきあって、そ

れもすぐに元に戻っていた。だから気づ

きにくい。

でもその原因が、急性骨髄性白血病によ

る強度の貧血だったから、輸血をしたら

何ともなくなりました。

病院にいると、家事や仕事とかをしない

分だけ安静にしていられるし、何かあっ

てもすぐに対応してくれるという安心感

もあって、後から考えると他にもちょっ

とだけあった、いろんな症状も落ち着い

てきました。

 

この病気が7日間の注射だけで済むよう

なことは無いかもしれませんが、つい期

待して、毎日何回も送る LINEで確認して

しまいます。

「今日の体調はどう?」

「ご飯はちゃんと食べられている?」

「睡眠はとれている?」

 

「体調も変わりないし、ご飯も食べられ

ている」

「いつもより長い時間寝ているし」

 

そんな、たわいもないやり取りだけでも

繋がりを確認できた気がして、自分や子

供たちもホッとします。

 

 

そして治療が終わってから4日後。血液

検査の結果が、妻から LINEで来ました。

白血病細胞はかなり減ったけど、ゼロ

にはなっていない」

「正常な血液も戻ってこない」

 

2km歩いた不審者(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ⑱/㊿)

 

朝の検査や治療が終わると、あまりやる

ことがなくなります。基本的にはヒマ。

体温や血圧の測定と酸素濃度は、一日に

何回も計りますが、そんなに時間がかか

るものではありません。

ネットフリックスも見飽きて、本も読む

のが面倒になってきた。こういったもの

は、時間が無い時に見ると、また見たく

なる。たっぷりと時間ができてしまった

りすると、意外と早く飽きるもののよう

です。

 

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午後になると、ほとんどやることがなく

なります。1階の売店やコンビニなんか

に行ければ気晴らしになるかもしれない

んですが、白血球が少なくていろんな病

気に感染する危険がある状態だと、そう

いったところにも行けない。特に新型コ

ロナウイルスの感染者が増えてからは、

他の病気の人たちも人との接触が難しく

なっています。基本的にナースステーシ

ョンの担当看護師さんか部屋の人ぐらい

しか話せません。でも治療中のせいか、

同室の2人は顔すら見たこともない。基

本的に一人で過ごす時間が長くなってし

まう。まあ病院で入院中だから、当たり

前ではあるんですが。

 

また、定期的にワゴンで来てくれるミニ

ストップさんには興味がありますが、だ

いたい持ってきてくれるのが食べるもの

なので、あまり見てもしょうがない。

お腹は空いていないんです。

 

妻の病気は他と違って厳しく移動が制限

されている。シャワーは別室にあります

が、トイレは部屋の中にある。

すると他で唯一行けるのがディルーム。

ここには飲み物の自動販売機があり、窓

が広いために景色がいい。たくさんのビ

ルが見え、その先には横浜ベイブリッジ

ランドマークタワーを見ることができ

ます。

でもそれだってずっと見ていると飽きて

くる。ソファーでゆっくりと紅茶を飲ん

でも30分も時間を潰せない。

 

 

その日の昼に妻からきた LINE。

「あまりに暇だから、1周100メート

ルの13階の廊下を20周した」

つまり、2kmも歩いた。

 

看護師さんが、じっと見ていたらしい。

 

ごはんを残してしまいました(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ⑰/㊿)

 

カーテンで仕切っていることもあり、同

じ病室の方と話す機会は、あまり多くは

ありません。

4人部屋。他の2人は妻よりも年上です

けど、一人は30歳代と妻よりも若い。

子どもさんがいるのですが、まだ小さい

はず。詳しくは聞いていませんが、もし

かしたら幼稚園か小学校の低学年ぐらい

かもしれません。

お母さんのいない家。考えただけで悲し

く寂しくなってしまいます。

 

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5月2日の月曜日。治療に入ってから既

に4日経っています。

行われる治療は毎日同じ。ビダーザの皮

下注射と抗生物質の輸液点滴です。朝の

6時台には体温測定なんかが始まる。確

かに睡眠時間を考えると、9時の消灯か

ら起床時間の6時までは、もう9時間も

経っています。寝ている時間が最も体の

変化に気づきにくいかもしれないし、時

間も空いてしまいます。

 

毎日おなじなんですが、心配も毎日同じ

ようにしてしまう。

(今日は大丈夫なんだろうか)

(体調の変化はないのかな)

(副作用は出ていないのか)

(食欲はあるんだろうか)

 

幸いこの日も特別な変化や副作用、急に

来るような連絡なんかはありませんでし

た。

でもつい祈ってしまいます。だってこの

病名「急性骨髄性白血病」。どう考えて

も心配せずにいられるはずがない。

 

毎日の検査の他に、その日の体調なんか

の管理で、トイレの回数や残した食事を

記録していきます。それらだって急に増

えたり減ったりしたら何かの前兆かもし

れないし、食事を残すということは、治

療がうまく進んでいなかったり、副作用

が出ているかもしれないから。

そして、栄養士さんが考えた必要なカロ

リーや栄養を摂れていないといったこと

になるんです。

 

この辺りから妻は食事を少し残すように

なってきました。朝は好きなパンが選べ

て昼のご飯は小盛りにし、わりと好みの

おかずが出ているにも関わらずです。

 

 

でも大丈夫。朝のいろんな検査や治療に

時間がかかると、朝食が9時30分にな

ったりする。そしてすぐに昼食の時間。

これだとさすがにお腹が空きません。

 

お腹に注射!(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ⑯/㊿)

 

この病院の良かったところの一つに、食

事があります。

公立の病院だと、勝手な昔のイメージな

んですが、(ご飯が美味しくない)と思

っていました。

 

でもちゃんと美味しい。しかもご飯かパ

ンか。ご飯の量。肉と魚。肉の場合は二

つから選べたりします。飛行機の食事み

たいです。

 

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ちなみに、5月12日の食事は、

・朝食

ロールパン2コ、トマトオムレツ、ポテ

ト細切り炒め、パイン1/2、コンソメ

ープ、ヨーグルト、マーマレード

 

・昼食

赤飯、鶏衣揚げ、サラダ(キャベツ・ト

マト)、南瓜煮、スイカ、オニオンドレ

ッシング

 

・夕食

小盛ご飯、さわらのマヨネーズ焼き、キ

ャベツ浸し、蒸し茄子肉みそ、清汁

 

なんで昼食に赤飯が出たのかなと思って

いたら、「看護の日」だったからみたい

です。

5月12日は看護の日。これは、看護の

こころ、助け合いのこころを、家庭や地

域で、そして職場で、分かち合い育むこ

とができるように、1990年に制定さ

れました。

「ご入院の皆様が一日も早く回復されま

すように、職員一同願っております」

そういったカードが添えられてました。

 

そして、5月8日の日曜日の母の日は、

海鮮がのったちらし寿司、天ぷらの盛り

合わせ、お吸い物、バナナ、メロンゼリ

ーといったもの。たぶん母の日ご飯なん

です。いつもよりちょっと豪華でした。

 

5月1日、治療3日め。

今日までのところは、副作用がまったく

出ていません。

前日までと同じように、皮下注射2本。

抗生物質の点滴。他には、体温と血圧の

測定。そして酸素濃度を計ります。この

3つは一日に何度も計る。なぜなら、微

妙な変化でも大きなことに繋がってしま

うかもしれないから。

特に血圧が高くなると、心臓に負担がか

かってしまうことがある。最初のクリニ

ックぐらいの血圧が続くと、最悪では心

筋梗塞といったことになることもあるそ

うです。

 

 

この日の抗がん剤は、お腹に注射しまし

た。注射をしていた腕に痣ができて、痛

痒くなったからです。

でもお腹には脂肪があるので、腕よりも

注射の痛みは小さいみたいでした。

 

タケノコご飯だから、お代わりしたかった(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ⑮/㊿)

 

今までも聞いたことはあったんですが、

なんとなくぼんやり聞いていた病気の総

称である「血液の病気」。

今回は何度も聞くことになりました。

 

数日前のニュースでも、俳優の佐野史郎

さんが受けていたインタビューで「血液

の病気」を告白していました。

2021年12月に「多発性骨髄腫」と

いう病気の治療を終えて退院していた。

これは、白血球の中のリンパ球のうち、

B細胞から分化した形質細胞ががん化して

骨髄腫細胞になり、骨髄腫細胞が主に骨

髄で殖える病気。血液の病気です。

佐野さんは、長期の治療が必要になった

そうです。

 

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今回の治療で大きいなと思ったのは、放

射線治療がないこと。そして投与される

抗がん剤が、点滴ではなく皮下注射で済

んだこと。

強い治療ではないので、副作用が大きく

出ない可能性があります。

それでもこの皮下注射される薬のビダー

ザには、よく起こる副作用がある。それ

は骨髄障害です。薬が骨髄の造血細胞に

作用するため、血液が造られにくくなる

ことが多い。その代表的な症状として、

感染症による発熱・悪寒・ふるえ等

・貧血・疲れやすい・目まい・動悸等

・出血・紫斑・血が止まりにくい等

 

また気持ち悪くなることがあるので、経

口薬が処方されています。

 

こういったときに、いつから副作用が出

るものなのかは分かりません。人によっ

てはかなり差があるみたいなんです。

幸い、あまり進行していなかったため、

病室は個室ではなく4人部屋。13階の

窓側で、ビルの先にみなとみらいの沖に

架かるベイブリッジが見えます。

 

ただ、4人部屋です。仕切られていると

はいえ、他の患者さんの話し声が聞こえ

てきたりする。

「薬の副作用で気持ち悪い」

「ご飯が食べられない」

「目まいがする」

「疲れがひどい」

 

 

4月30日、二日めの治療が治療が終わ

りました。

副作用が出ていないかと心配して、何度

も LINEします。

すると返信に、

「タケノコご飯が美味しい。お代わりし

たかったよ」

 

そして治療が始まった(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ⑭/㊿)

 

2022年4月29日 金曜日。昭和の

日の祝日から治療が始まりました。

 

皮下注射2本。インフルエンザワクチン

注射よりちょっと大きいようなもの。た

だ見ていると痛そうだから、あまりしっ

かりは見られない。

それと抗生物質の点滴。朝の体重測定、

血圧、酸素濃度、体温を計り、だいたい

3日おきの採血での白血病細胞の数値と

血液内容のチェックをします。

 

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ここでやはり心配だったのが、副作用で

す。今回は幸い、病気にはなったんです

が、本当に運のいいことに早期発見だっ

た。そして進行の遅いタイプだった。

もうこれに尽きます。

もしそうでなかったら、どうしようも無

くなっていたかもしれません。

 

昨日、同じような病気のニュースが入っ

てきました。マンガ原作者の、来賀友志

(くが・ともし)さんのニュースです。

来賀さんは鹿児島県出身で、近代麻雀

いう雑誌編集長を経て、マンガの原作者

になりました。これ以上麻雀をよく知る

人はいないんじゃないかというぐらいの

業界のプロです。

僕も好きな「週刊漫画ゴラク」には、彼

の代表作である「麻雀飛龍伝説 天牌

が載っています。この作品は、1999

年から続く連載で、最新刊は 114巻

といった根強い人気のある作品。

その来賀さんが、最近自身の Twitterを更

新していました。

4月28日に更新された内容では、急性

リンパ性白血病に罹患して、緊急入院し

ていたこと。

「眼科と一緒にあまりにも体調が悪いの

でお願いして慶応大学病院で検診しても

らったら採血の結果、急性リンパ性白血

病と診断され、今日から緊急入院になっ

てしまいました。かなり進行していて最

初の山場は10日、快方に向かっても最

低2ヶ月の入院。人生って分からんね、

まだ原作書きたいので頑張るね」とコメ

ントしていました。

そして入院から6日めには、

「最初の山を越える事が出来ました」と

明かしていました。

でも、入院からわずか10日後に死去さ

れました。65歳。まだ早すぎる。

やはり怖い病気です。

 

 

妻の初日の治療が終わりました。体調変

化が気になって、何度も LINEをします。

幸いこの日は、特に変化はありませんで

した。

 

貧血なのに血圧190(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ⑬/㊿)

 

最初のクリニックで計ったときは、なん

と血圧の上が190もありました。

妻はいつもわりと血圧が低いほうで、下

は70。上は100もいかないぐらいで

す。それが190。血圧が高いのは非常

に危険。かならず何かの病気の可能性が

ある。あまりに血圧が高いのですぐ二回

目を計りました。

それでも130近い。やはり何かあると

しか思えない。

 

だけど次の日にかかってきた電話では、

極端な貧血状態なので、すぐにクリニッ

クに来てくださいという連絡。

貧血なのに高血圧って、矛盾していない

かと思ってしまった。

 

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入院先の Y病院の W先生から受けた説明

で、やっと理解ができました。

先に書いたように、血液検査をしたとき

の主な内容は、白血球の数は驚くことに

約1/6。赤血球の数は約1/2。血小板

の数が約1/3。リンパ球もやや少なかっ

た。どれが少なくてもいいなんてことは

ありませんが、この中で一番心配だった

のが赤血球です。酸素を運んでいます。

それが体にまわってない。

 

人が倒れて意識を無くしたときによく聞

く心臓マッサージ。これは心臓が止まっ

てしまったときの処置の一つなんですけ

ど、なぜやるのかというと、心臓が止ま

って血液が回らなくなると一番ダメージ

を受けるのが「脳」です。ものの15分

ぐらいで致命的なダメージを受けます。

意識が戻っても障害が残ることも多い。

 

そりゃあ頭痛もするようになる。血液が

薄いと酸素がいきわたらない。

だから心臓が頑張って薄い血液をたくさ

ん循環させて体を維持するようにしてい

ました。心臓が頑張って血液を送り出し

ていたために血圧が高くなっていた。そ

して病気のために貧血になっていた。

 

 

人気のマンガで「はたらく細胞」という

のがあります。

身体の中の細胞が、外から入ってくるイ

ンフルエンザや新型コロナウイルス、花

粉、傷なんかから守るために対抗するの

を擬人化して、リアルに分かりやすくし

たものです。

妻の身体も頑張っていたので、貧血なの

に血圧が190になっていました。

 

善光寺はまた今度(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ⑫/㊿)

 

妻の勤務先以外、実家や兄弟には僕が連

絡をしました。

そしてその他は予約していた美容室。歯

医者。最初に診てもらったクリニック。

そして妻が読んでいた新聞。

最後は予約していた旅行。あんなに楽し

みにしていた善光寺の御開帳です。それ

らのキャンセルの連絡をしました。

 

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旅行の申し込み先である HISさんのカス

タマーセンターへの連絡。妻はずっと前

に会社の旅行で行ったことがあるんです

が、僕は行ったことがない善光寺。いつ

でも行ける距離ですが、その内と思って

たら、もう20年以上経ってしまった。

だからすごく楽しみにしていた。最高の

タイミングの御開帳と重なったので、そ

の日を数えて待っていました。

それをキャンセルする電話。 HISさんの

担当者は男性。すごく丁寧に対応してく

れたんですが、話していた最後に僕は、

つい上ずった声になってしまいました。

そのためにちょっと間が空いて、

「今回は家族の病気で、旅行をキャンセ

ルすることになりました。また次回申し

込みたいと思っています」

そう話してしまった。するとその担当さ

んは、

「私の家族も病気で出かけることが難し

いんです。でもきっと良くなりますよ」

そう言ってくれました。

 

今回の善光寺の日帰り旅行は、横浜駅

ルミネ側に集合して、朝7時に出発する

ちょっと強硬なプランです。前も書きま

したが、横浜から善光寺は微妙に遠い。

だから日帰りバス旅行だと、善光寺にし

か寄らない。でもこの際だから気持ちを

切り替えて、妻の病気が治ってから泊り

で行けばいい。善光寺の近くには、戸隠

や旧宿場街の小布施なんかもあります。

ゆっくりと温泉に浸かりながら、美味し

いものを食べる旅に変えれば、もっと楽

しいものになるはずです。

 

 

その他でやっておかなければいけないこ

とは病院から渡された書類の「限度額適

用認定証」の手続き。これは会社に申請

するものなんですが、入院費が高額にな

った場合に、窓口での支払いを自己負担

限度額までにとどめることができるもの

です。これはありがたい。

 

朝7時、のびたを1週間???(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ⑪/㊿)

 

その日は、11時にH先生から妻が説明を

受けて、僕には12時から13時までの

間に同じ内容の電話がくることになって

いました。

待っているときの落ち着かなさ。そして

結果が大変だった場合の気持ちの準備。

本当になにも手に着かない。

でも、とにかく冷静にならなければ。

 

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12時40分ごろになって、やっとH先生

から連絡がありました。まずは病名。

「確定診断は、急性骨髄性白血病です」

「非常にレアなケースですが、骨髄から

出た細胞が早い段階で白血病細胞に変わ

っています」

「治療方法は皮下注射。あさしちじとい

抗がん剤、別名びだーだを7日間投与

する治療方法です」

 

薬の名前なんか分かりません。聞いたこ

とがない。だから抗がん剤名を聞き取れ

なくて、後でメモした紙を見たら、

(朝7時)(のび太だ)と書いてある。

それを1週間らしい・・・。

 

20分程説明を受けて、少し質問をしな

がらだいたいのことが把握できました。

 

・病名は、急性骨髄性白血病

・早期に見つかって、進行が遅いタイプ

・骨髄から出てすぐに白血病細胞に変わ

るレアケース

・明日から抗がん剤による治療を始める

抗がん剤名は「アザシチジン」という

もので、別名が「ビダーザ」。これは骨

髄性白血病によく使われる薬とのこと

・この抗がん剤の治療方法は、連続7日

間皮下注射で投与して3週間休み、また

7日間投与する

・点滴を行うほどの薬量は必要がない

・入院は1ヶ月程度で、その後は通院で

の投与になる

・副作用はあるが、強い副作用が出ない

人もいる

・強い副作用のある放射線治療などを行

う予定は、いまのところは無い。強い治

療をすると、健全な血液にまで影響が出

る可能性があるため

 

非常に落ち着いた感じの丁寧な説明。か

なりこちらを気遣ってくれている。

 

 

「治療の効果にもよりますが、退院でき

るのは、5月の中旬から下旬になると思

います」

 

思ったよりも早い・・・・・。

ほっとして、体から力が抜けていった。

 

確定診断と治療法(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ⑩/㊿)

 

このY病院に来る前に行った、最初のクリ

ニックから紹介されたK病院。そこでは結

局入院しませんでしたが、あまりの貧血

ということで、緊急で輸血をしました。

そしたらすぐに体調が良くなった。いま

考えたらとても当たり前のことなんです

が血液が少ない。普通であるはずがあり

ません。

 

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Y病院に入院した当日から3日間は続けて

輸血。そして抗生物質の点滴をします。

3日輸血をしたところで貧血がある程度

解消されたので、輸血だけ終了。

これも知らなかったことなんですが、輸

血というのは赤血球と血小板を体に入れ

ること。白血球はその中に入っていませ

ん。その代わりに抗生物質を点滴して、

外から来るウイルスなんかに抵抗力を持

たせるようにします。

 

妻の症状は取り合えず落ち着いていて、

食事もちゃんと取れている。食べられな

くなったりしたら体が弱っていくので、

そこが最初の心配なポイントでした。で

もちゃんと美味しく食事が取れている。

この病院がいいなと思えたのは、横浜市

立の病院でしっかりしているということ

だけでなく、食事が良かったということ

です。ご飯の量が調整できたり、肉と魚

が選べたりする。初めはちょっと薄味に

感じたみたいですが、すぐに慣れて美味

しく思えるようになったみたいです。

毎日、今日はこんなメニューだったと、

LINEで画像が送られてくる。確かにバラ

ンスが取れていて美味しそうです。たま

たまなのか妻の好きなものが多い。

 

入院してから4日目。輸血は終わったん

ですが抗生物質の点滴は毎日あります。

朝の体重測定、血圧検査、血液検査と点

滴。でもこれが終わると後は自由時間。

早いときは、午前9時台から暇になる。

初めは、ネットフリックスなんかで好き

なドラマを見ていたんですが、すぐに飽

きてしまった。そうなると食事や午後に

行くティールームで飲む紅茶ぐらいしか

楽しみがなくなります。

 

 

2022年4月28日の午後12時40

分、僕の携帯にH先生からの電話。

「病名は急性骨髄性白血病

「治療法は、皮下注射です」

 

理解するたびに不安になっていく(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ⑨/㊿)

 

聞いたこともない「other」。

(正常な細胞に分類できなかったものっ

てなに?)

 

W先生からの説明では、正常なものに分類

できなかったもの、つまり異常な細胞と

のこと。これが白血球、赤血球、血小板

を少なくしているようです。

 

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あまり詳しくはない。だって初めて聞く

ことばかりだから。

骨髄から血液ができるのは知っています

が、そこで受けた説明では、骨髄からは

血液のもとになる芽のようなものが出来

て、それが更に育つ段階を経て、そこか

ら白血球、赤血球、血小板やリンパ球に

なるそうです。また、大きく分けて急性

白血病は二つあって、白血球が異常細胞

に変わるタイプ。これが約80%。そし

てリンパ球が異常細胞に変わるタイプ。

これが約20%です。

 

この時点ではまだ確定診断ではないので

すが、白血球の少なさから、妻はおそら

く白血球が異常な変化をしたタイプに当

たるのではないかとのこと。もう少し検

査をして、他の先生たちとその検査結果

を総合的に判断し、最終診断にするので

ちょっと時間がかかるとのこと。

 

(時間がかかっても大丈夫なのか)

(時間がかかってもいいから、しっかり

診断して治療してほしい)という二つの

反する気持ちが交差する。

 

この「other」という異常な細胞の数値な

んかは、見せられても分かりません。と

にかくそういったものがある、といった

ことだけしか分からない。ただ、そこで

(あれっ?)と思ったのがW先生の言葉。

 

「この異常細胞の数値はあまり多くない

んですが、本来はゼロでなければならな

いものです」

 

(えっ、あまり多くないんだ。それって

悪いことではないんじゃないか?)

 

その僕の一瞬の表情を見たのかW先生は、

「数値が少ないからって今日帰れるわけ

ではありません。入院は必要です」

 

(帰れるなんて思ってないけど・・・)

 

 

最後にW先生から、

「1ヶ月程度の入院になると思います」

「確定した診断と治療方針は、近々主治

医のH先生からご連絡します」

 

赤血球が半分、そしてother(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ⑧/㊿)

 

日中のマンション管理員研修業務を終え

て、自分の事務所のメール連絡は移動中

の電車内で行い、夜の仕事だけキャンセ

ル。そして病院に向かいました。

僕の住む町から病院までは、市営地下鉄

で9駅の23分です。

 

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昼に調べた白血病。でもいろんなケース

があるみたいで分からないことが多い。

だから池江瑠花子さんのように、無菌室

に入って辛い治療に耐えているイメージ

しかわきません。

病院で受付を済ませ、入院している13

階の第2ナースステーションへ。看護師

さんに、今日入院したことと妻の名前を

伝えると、机とイスが4脚だけの小さな

個室に案内されました。

5分ほどして主治医ではないW先生、そ

してすぐに妻と娘が入ってきて説明が始

まった。妻と娘は一度説明を聞いている

のですが、僕を交えてもう一度聞き、一

度目の説明で分からなかったことをメモ

した妻が質問をします。

 

まずは血液の分析結果。

異常値を示しているところに先生が、ボ

ールペンで丸をつけていきます。主なと

ころは5ヶ所。

驚いたのは最初に数値を示された白血球

です。通常の1/6しかありません。これ

は非常に少ない。白血球は体に入ってき

ウイスルなんかの異物を攻撃して、病

気から守ってくれます。これが少ないと

いうことは、すごくウイルスなんかに感

染しやすい。危険な状態。

そして赤血球は通常の半分。ということ

は酸素がきちんと体にまわっていない。

これじゃあ息切れするはず。酸素が半分

なんて、ぜったいに無理です。

更に血小板。これが通常の1/3。出血し

たりしたら血が固まらない。これも凄く

危険。また、リンパ球も微妙に少ない。

気にするほどの数値ではないとのことな

んですが、正常値ではないとなるとやは

り気がかりではある。

 

 

最後に示されたのが、何故か英語表記の

「other」。

 

(どういったことなんだ?)そう思って

いると先生から説明がありました。

 

「これは正常な細胞に分類できなかった

もの、異常なものということです」

 

確率は、4/10万(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ⑦/㊿)

 

そして2回目は、息子の交通事故。

 

就職して1年目。会社を創立してから初

めて新入社員がとった「社長賞」。その

授賞式の少し前です。

休みの日に自転車で買い物に行った帰り

道。停車中のタクシーの横を通り過ぎよ

うとしたら、そのタクシーが後方確認を

しないうえウインカーも出さずに、急に

に転回した。それに巻き込まれました。

 

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ボンネットに背中から落ちて、更に道路

に投げ出されました。片側2車線の道の

真ん中に落ちて転がり出血。意識なし。

救急車で運ばれた先の本郷台の病院。妻

が駆けつけたときには、幸いなことに意

識が戻っただけでなく話もできました。

そして顔や手足にたくさんの擦り傷はあ

るものの大きなけがは全く無くて、その

日の夜に家に帰れた。一番ひどかったの

は前歯。1本は根元から折れ、もう1本

は半分が欠けていました。

家のベッドで寝ていた息子の唇は大きく

腫れあがり、無数の擦り傷がある。閉じ

た瞼には涙があふれている。

うわごとで、

「なんでだ」

「何も悪いことをしてないのに」

「なんでだ」

 

それを聞いていると、こらえきれずに泣

いてしまった。

 

そして今回の妻の病気です。

どうしても自分たち家族に起きるような

ものではないはず。なぜならその確率。

わずかに、4/10万 です。

なんだこの確率は。普通だったら当たら

ないだろう。当てるのが無理な確率。そ

れがなんで僕の家族にふりかかる。

意味が分からない。

 

妻の実家の両親に、おおよそのことだけ

あまり驚かせないように伝えます。

また、何とか担当医からの話が聞けない

か、もしもそれが無理なら妻と面会でき

ないかと思い、病院に電話をしました。

そしたら電話に出た受付の女性が、

「???。なに言ってんの、あなた」と

いう感じの受け答え。

 

そうでした、新型コロナ。

今はどこの病院でも面会ができません。

 

 

15時すぎに妻から電話があり、今日病

院に来れないかとのこと。急いで夕方と

夜の業務をキャンセルして病院に向かい

ます。18時に担当の先生とアポイント

が取れました。

 

この7年で3回以上泣きました(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ⑥/㊿)

 

そのときはマンションの管理室にいて、

研修や点検の準備をしていました。

なぜか胸騒ぎがして落ち着かない。自分

にできることなんか何もない。ただ娘か

らの連絡を待っているだけ。

そこに娘からのLINE。

一瞬の間のあと、止められない嗚咽。涙

があふれて周りが見えなくなりました。

 

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周りに誰もいない時間だったので、しば

らくはそのまま泣き続けました。どうや

っても止めることができません。

涙と嗚咽が止まったのは娘のことを考え

たからです。付き添いをしてたので、検

査結果を担当医から初めに直接聞かされ

た。もっとショックが大きかったはず。

それを思うと申し訳なくて、こんなこと

をしていられない。それに一緒に結果を

聞いた妻のほうがもっともっと驚いてい

るに違いない。まったくこんなことは考

えていなかったかもしれない。

 

実は、この7年間で泣いたのは3回目で

す。最初は、7年前の5月。認知症がす

すみ咽頭がんにもなって、3年以上も入

院していた父親が亡くなったとき。

もう僕の顔をみてもなかなか思い出して

くれない。どこかうつろで、手の力が無

くなっていた。担当のお医者さんには、

咽頭がんよりも肺炎のほうがはるかに怖

いと言われていました。高齢者は、肺炎

で亡くなる人がすごく多いんだと。

3年以上も入院していると、なんという

か覚悟ができてきます。だからその時が

きても、淡々としている自分が想像でき

ました。とにかく冷静で、セレモニーを

こなしていく自分が見えたような気がし

ていました。

でも実際は違っていた。自宅の和室で、

白い死に装束に包まれて横たわっている

父親。そこに三途の川の渡し賃を入れた

袋を持たせ足袋を履かせる。青白い顔。

冷たくなった手や頬。もう何も言ってく

れません。

 

 

そして火葬場に向かうときに、父を乗せ

た車の助手席に座り遺影を持って前を見

ると、ご近所の人たちがこちらを向いて

手を合わせていました。車が出発すると

きに鳴らした長いクラクション。それを

聞いたとたんに、あふれ出す涙。

もう止めることができませんでした。

 

そして病名が・・・(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ⑤/㊿)

 

(もっと大きい病院ってなんだよ。K病院

だって大きいじゃないか)

 

その日はK病院から、横浜市立の病院へ受

け入れ要請をしていたとのこと。入院調

整のため、翌日の9時30分にY病院へ検

査入院することになりました。

幸いPCR検査の結果は陰性。一度家に帰れ

たので準備をして、休みを取っていた娘

が入院に付き添うことに。

 

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夜に入院の準備をして、早めに就寝。

 

翌日の4月22日は、いつも通りの朝。

先に起きていた妻に、

「体調は?」

 

「別になんともないよ~~」

「検査ばかりで面倒だな~~~」

「ごめんね。ご飯がつくれない」

 

「いつも忙しくて一生懸命やってくれて

いるから、ちょっと休むぐらいでいいん

じゃない」

 

「洗濯は誰がやるの」

業務スーパーカニカマ買うの忘れた

し、めんつゆの買い置きもないね」

 

いつもの朝となにも変わらない。

僕のほうが先に仕事に出たので、マンシ

ョンの窓から手を振っていた。これもい

つもどおり。

 

僕は仕事の関係で、毎日だいたい遅い。

夜の2時前ぐらいに帰宅します。それか

らお風呂に入って、軽く食事。

以前書いたように、個人事業主として受

けている仕事は10個。数年前までは、

1年で358日仕事をしていました。し

かも1日に複数の仕事をする日も多い。

夏の帰省以外は、年末年始も仕事をして

います。

この日も8時から17時まではマンショ

ンの管理員に対する研修業務をやって、

それから自分の車の中で個人事務所にき

た電話やメールの処理対応。そして最後

に、19時30分から1時30分まで鉄

道会社のセキュリティをやっています。

実は前日の夜には気になって、帰宅して

から食事もせずにいろんな病気のケース

を調べていました。

だけどいまの時点では情報が少なくて、

ちょっと風邪をひいたぐらいから重篤

病気まで、たくさんの病気があてはまり

ます。

何も分からない。想像しかできない。

 

 

お昼前に娘からLINEがきました。

「いま担当のH先生から説明を受けた」

「急性白血病の可能性が高いって」