yururi-furu’s blog

ゆるりと続けるフルコミ営業

その確率は?(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ㉞/㊿)

 

妻は仕事を二つ持っています。

一つはサービス業の受付け。そしてもう

一つは、教育関係のスタッフ業務です。

どちらもパートの仕事ですが、僕の扶養

控除にならないぐらいの収入がある。

でもそのお金は、ほとんど使いません。

たまに使っても、大好きなジャニーズ系

の CDとDVDを買うぐらい。また、その

コンサートに娘と行くぐらい。「嵐」

ん、「KAT-TUN」さんや「田原俊彦」さ

んを楽しみにしている。

あとは、月に1回娘と行くホテルのラン

チやスイーツ程度。

 

他はしっかりと貯めています。自分の将

来への蓄えというよりも、いつか子ども

たちに渡したい。あるいは孫のために取

っておきたいから。

 

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だから仕事は、そのために続けたい。そ

して自分の価値を確認するための手段で

もある。

それを辞めなければならない。仕事が出

来なくなってしまう。収入が無くなる。

大きな希望の一つを失うのは、たぶん耐

えられないほどショックなはず。

しばらく話しができないほど泣きつづけ

ました。

 

「わたしは価値のない人間になった」

「人に迷惑をかけるだけになった」

「なんの役にもたたない」

「みんな、ごめんなさい」

うつむいたままで嗚咽。

 

そんなことはない。

絶対に、絶対に、人に迷惑をかけたり、

役にたたない人間ではない。

 

骨髄移植についても、ある程度調べては

いました。

もっとも心配なことだけは、ネットでも

確認できた。それは、その確率。

 

たぶん30年ぐらい昔のことですが、テ

レビの CMで、骨髄バンクへの登録をお

願いしているものがありました。20歳

ぐらいの女性。

その当時は、おそらくまだ骨髄バンク

登録者が少なくて、その女性に適合する

人がいなかった。

そしてその後しばらくして、その女性は

亡くなっています。適合者が現れなかっ

たようです。

 

 

骨髄バンクに登録されている人達、つま

り非血縁者で白血球の型が合う確率は、

数百から数万分の一しかありません。

 

いやだ、いやだよ!(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ㉝/㊿)

 

妻が泣き崩れたことで、説明が止まりま

した。一番聞かなければいけない人が聞

けない。

僕は顔を上げたまま、どんどん涙があふ

れてくる。

(このまま治らないってことなのか?)

妻の肩に手を置いて、一緒に泣いてしま

った。嗚咽。

おそらくそんな状態が5分近く続いた。

 

医療関係の3人も目を伏せている。

それはそうです。人の不幸や悲しみを見

て、感情が動かない人はいないはず。

 

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妻がやっと絞り出すような声で、

「なんで私がこんなことになるの」

「一生懸命に生きてきた」

「何も悪いことなんかしていない」

「普通の生活しか望んでいない」

 

「いやだ、いやだよ!」

 

それを聞いて、僕も声を出して泣きだし

てしまいました。

その通りです。妻は、平凡な毎日と健康

しか望まないタイプ。お金は大事にしま

すが、たくさん必要だと思わない人。

 

僕らが少し落ち着いたところで先生が、

「最初に、1ヶ月ぐらいでの退院を目指

す話しをして、期待させて申し訳ありま

せんでした」と言った。

僕らも期待したんですが、最初の状況か

らはそれができそうだったみたい。

これからは、今までの抗生物質の他に、

別なタイプの抗がん剤を使って様子を見

ますとのこと。薬の名前を聞いたんです

が、その抗がん剤の名前を忘れてしまい

ました。また、メモもどこかにやってし

まったみたいで、手元にはない。

 

ときどき女性のお医者さんが、細かいと

ころを話してくれたんですが、記憶がど

こかに行ってしまった。

話しを聞くたびに泣きだす妻。そして何

とかその辛さを少しでも和らげられない

かと思いながらも、涙が止まらない僕。

結局、断片的な記憶しかないんですが、

抗がん剤を変えて、少し強いものにして

通院治療にするよりも、しっかり治した

ほうがいいという話しになりました。

 

 

しっかり治すというのは「骨髄移植」。

通院治療を期待していた妻から、

「仕事はどうなりますか?」

 

「続けられなくなります」と H先生。

 

また妻は、泣き崩れました。

 

前日、泣き崩れる(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ㉜/㊿)

 

まずは、H先生から他の方の紹介を受け

ます。たぶん女性のお医者さんは、説明

のサポートと確認の役目。

そして女性のコーディネーターさんは、

この病院の看護師さん。骨髄移植のコー

ディネーターさんとのことです。

 

この紹介を受けた時点で、妻の表情が暗

くなっていく。うつむいて、肩が震えて

いる。

僕はそんな妻を見ていたら耐えられなく

なって、下を向いてしまいました。

 

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4人掛けの机の上にあるデスクトップパ

ソコン。画面の大きさは15インチぐら

いです。

そこに映し出された表は、妻の最新の採

血の結果で細かい数字が並んでいます。

言葉を慎重に選ぶ先生の表情から、良い

結果ではないんじゃないかと思われる。

 

血液の成分は、ほとんど改善されていま

せんでした。最初の採血のときとほとん

ど同じ。一般的に、1回めの治療で劇的

な改善は望めないということは知ってい

ました。妻にも看護師さんが、会話の中

で告げています。

簡単に治ったりする病気ではないはずな

んですが、一番最初に言われた「入院期

間1ヶ月」、「早期の発見」、「進行が

遅いタイプ」というもので、何となく、

大変なことにならないんじゃないかと思

っていた部分もあった。そこには、おそ

らく(そう思いたい)といった淡い期待

や、(現実を認めたくない)感情があっ

たはずです。

 

最初に皮下注射で投与した抗がん剤が、

まったく効かなかったわけではありませ

ん。15から17に増えていた白血病

胞は、最小で2まで減っていました。

ただ、問題なのは白血病細胞は減ったも

のの、健常な血液細胞が増えない。妻の

血液は、骨髄から出た「芽球」という血

液になる細胞が、成熟しないでそのまま

になってしまうという症状。

それもレアケース。

「芽球」は6段階を経て成長して血液に

なるんですが、骨髄から出てすぐ成長し

なくなる「エム0」の時点で止まってし

まうそう。

この時、異常な細胞は何と58.8%。ま

ともな血液は、40%ぐらいに減ってい

ました。

 

 

明日は妻の誕生日です。

その前日のこの結果に、妻はその場で泣

き崩れてしまった。

 

先生が、時間を作って下さい(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ㉛/㊿)

 

5月5日に最初の抗がん剤治療が終わり

ました。幸いなことに、副作用や合併症

はありませんでした。

 

「気持ち悪くならなかった?」と LINEを

すると、

「それ用の薬を飲んでいたから、特に何

ともなかったよ」とのこと。

とにかくよかった。取り合えず、これで

ひとつ進んだと思えました。

 

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翌日の LINEで妻から、

「担当の H先生が時間を作ってって」

 

治療の結果説明と、これからの治療方針

について打ち合わせをしたいとのこと。

確か最初の話しでは、7日続けて抗がん

剤投与をしてから3週間投薬を休み、ま

た7日間皮下注射をするというもの。

入院期間は1ヶ月程度だというので、2

回めの注射は退院後になるはず。

 

このときに思ったのは、(長いな)

そして同時に、(こんなものなの?)

 

(いつの間にか治療法がすごく進んだっ

てことかな?)

おぼろげな違和感。そういえば、全体的

な詳細の説明が、まだなかった。

病気のことを聞いた最初は動揺してしま

い、何をどうすればいいか分からず、と

にかく今やらなければいけないものだけ

を聞いて、準備した。

 

5月23日 月曜日の14時に病院で説

明を受けることになり、それまでに出来

るだけしっかり話しが聞けるように、こ

の病気のことを調べることにしました。

ネットで調べると、いろんな病院の公式

サイトで情報を公開している。また、専

門のお医者さんも情報を公開してます。

どんどん関連情報を読み込み、更に詳し

く調べていきます。

 

そんなときに妻からの LINE、

骨髄バンクの説明もあるみたい」

 

(あれっ、最初はなかったぞ)

(治療方針が変わったのかな?)

(それとも念のためとかかな?)

 

妻の同室の3人は先に入院していたこと

もあり、既に骨髄バンクに登録している

ような話しが、カーテンごしに聞こえて

きたみたいです。

だから、

(自分だけそうじゃなくていいのかな)

とは思っていた。

 

 

そして約束の、5月23日 14時に面

会室に通される。

そこには H先生の他、女性医師、そして

コーディネーターさんがいました。

 

画面の割れたスマホ(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ㉚/㊿)

 

少しさかのぼって、4月29日。妻が抗

がん剤の皮下注射治療を始めた日。アマ

ゾンから、スマホのガラスフィルムが届

きました。娘が注文した物。

 

「うまく貼れた」

「こんなことでも元気になれるね」

久しぶりに笑顔を見せてくれました。

 

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4月22日は妻の入院日。

付き添いで行った娘が、最初に「急性骨

髄性白血病」の告知を受けました。

僕は仕事があって休めなかったからなん

ですが、すごくかわいそうな役目をさせ

てしまった。

後で分かることであったとしても、最初

に告知を受けるとショックが大きいはず

です。すぐに連絡を受けた僕でさえも、

頭の中が真っ白になってしまった。

 

18時から僕、妻、娘が揃ってお医者さ

んから説明を受けました。

以前書いたように、血液の数値がすごく

悪くなってしまっている。血液検査の結

果をプリントした紙を見せてもらいなが

ら説明された。一番の問題点は、先生が

大きくボールペンで囲ったところ。

「other」と書いてある。

これは、正常な血液の成分に分類できな

かったもの、そう、その他の異常な細胞

といったものです。それが 15ある。

その 15という数値は、あまり大きくな

いとのことでしたが、本来は無いもの。

絶対ゼロでなければならないもの。白血

病細胞です。採血したのを光学顕微鏡で

見て、数えて調べるそう。

 

三人とも(大変なことになった)と思い

ショックを受けながらも、どこか現実感

がない。受け止めきれないんです。

 

不安気で、今にも泣き出しそうな妻を病

院に残して帰るとき、娘は落ち着いたふ

うにしていた。

地下鉄の駅に向かう途中で娘の顔を見る

と、「大丈夫」と答える。

僕が何も聞いてないのに。

 

 

娘が翌日の仕事帰りの道で、後ろから声

をかけられました。知らないサラリーマ

ンの方です。

 

「落としましたよ」と、スマホを拾って

くれました。

娘は、スマホを手に持って歩いていたこ

とも、スマホが手から力が抜けて落ちて

いったことにも気がつかなかった。

スマホのガラスフィルムには、3本の大

きなヒビが入っていました。

 

水の中で雨中さん。千佐真里奈さん(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ㉙/㊿)

 

もともと僕は夜型で、朝日を見てから寝

るのが好きなタイプ。

何か人があまり動いていない時間帯の、

特別感がいい。

 

そんな時間帯は、 you tubuのハワイの風

景映像を流しながら、好きな音楽を聴い

ている。

それが、すごく幸福な時間です。

 

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複数の業務をこなしていくと、いろんな

ことがあります。本来なら出会えない人

に出会ったりする。

不動産会社のときがそうでした。何人も

の著名人・経済人や芸能人の方に会うこ

とができた。

 

そしていま気に入っているのが、夜中に

よく聴く「水の中で雨中(うちゅう)」

さんの曲。

雨中さんは、下北沢を中心に活動してい

たバンドで、結成してからもう10年以

上経っています。コロナ禍前までは、高

円寺や池袋、渋谷のライブハウスでも活

動していました。

フロントマンの山下さんとは仕事で知り

会ったんですが、楽曲とギターにこだわ

りを持っています。そしてすごく優しく

て気遣いができる。

その彼の曲が大好きで、いいおじさんが

初めてライブハウスというところへ足を

運ぶきっかけにもなりました。

「紫陽花」、「君がいない冬」、「君の

目の青」、「白い傘」などの名曲があっ

て、すごく癒される感じがします。

 

もう一人は、「千佐真里奈」さん。

彼女とは会ったことも、ライブハウスに

行ったこともありません。

でも、you tubeで見つけて、いい曲だな

~と思い聴き続けていたら、ひょんなこ

とが分かりました。

北海道の帯広の出身で、家がクリーニン

グ屋さん。こんな偶然は無い。

大学生のときに下宿していた野幌の山之

内商店さん。4年間ずっと住んでいたの

は、僕と千佐君だけ。

千佐君の実家は、帯広でクリーニング屋

さんをやっていた。そう、友人の娘さん

でした。

まさかその娘の曲を大好きになるとは!

 

 

昨年メジャーデビューして出したフルア

ルバム「Between The Lines」の「ゆびき

り」、「Dreamy Star」、「Candle」なん

かは大好きな曲。

今の状況では、かなり癒されます。

 

血液が戻らない(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ㉘/㊿)

 

(入院期間の1ヶ月は長いな)

そう思っていました。今まで、家に妻が

いない日が無かったからです。

ちょっと、どうしていいか分からない。

子どもたちも何かとまどっている感じ。

 

でも同時に、心の隅ににあった違和感。

この病気は、1ヶ月で退院できるものな

のかといった不安。

過去のニュースや骨髄バンクの CMなん

かで、大変だったんだろうなと思ったこ

とが何度もありました。

 

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2022年5月5日に、最初の抗がん剤

の皮下注射投与が終わりました。

そこからは経過観察です。

 

4月28日に、僕の携帯にかかってきた

担当医の H先生からの電話。

・4月22日の入院最初の1週間は検査

・明日の4月29日からは、抗がん剤

 ビダーザを7日間投与

・現在の状態と病気の進行具合から、初

 めは強い治療を行わない

・いまのところ、その後の2週間程度の

 経過観察を経て、5月中旬から下旬に

 かけての退院を目指す

・退院後は通院に切り替え、また7日間

 連続でビダーザを投与する

 

(先が長く大変だな。頑張ってほしい)

そう思いました。

ただ、妻にはそのまま伝えないで、

「早く帰れるといいね。みんなで待って

るからね」とだけ言った。

 

少し不安気だけど、笑顔で頷く妻。

僕も子どもたちも、やはり彼女は必要。

ぜったいに家にいなければならない存在

です。

 

2019年に、急性リンパ性白血病で入

院治療した競泳の池江瑠花子さんは、親

族からの骨髄移植を受けて、退院までに

約10ヶ月を要しています。本当に大変

な思いをされたんだと実感しました。

 

また俳優の佐野史郎さんは、2021年

に同じような「血液のがん」の一種であ

る「多発性骨髄腫」を発病し、長い期間

の入院治療を行っています。

 

妻が入院時にもらった病気の詳細資料で

は、病名、症状、治療方法の他に、おお

よその入院期間が書いてありました。

それによると、入院期間は1~2ヶ月。

だから、先生の説明は合っている。

 

 

そこへ妻からの LINE、

「血液の成分が戻らない・・・・・」

 

鎌倉の上行寺。病気平癒(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ㉗/㊿)

 

今回は、いろんな写真を撮って資料とし

て家族や妻の親・兄弟に送ったり、次に

やることを整理したりしています。

あくまで自分や妻、家族のためなんです

が、この記事を書いたきっかけと目的に

もなると思うので、もう少ししたら各記

事に画像を貼り付けてイメージしやすく

するつもりです。

特にこれから「命のプレゼン」という仮

タイトルで書く予定の記事は、この病気

になった人の参考になるかもしれないも

のです。

妻の家族に説明するために作った、簡単

ですが、オリジナルの資料。

 

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5月19日の木曜日、夜間の仕事に行く

前に、車で鎌倉に向かいました。

久しぶりの鎌倉。2年前の管理員代行業

務で数日行ったとき以来。

目的は、大町にある日蓮宗の寺院である

「上行寺」。

鎌倉駅の東口から歩いていくと約10分

かかります。この辺りには日蓮宗のお寺

がたくさんある。

このお寺に来るのは5回目。実はすぐそ

ばにあるマンションの管理員教育業務を

3ヶ月ほどやった時期があって、そのこ

ろに2回行っています。お寺の手作り感

が面白いと思ったからなんです。

そこでこのお寺が、「病気回復」や「が

ん封じ」のお寺だと知りました。

 

それから間もなく、認知症で施設に入っ

ていた父親に咽頭がんが見つかった。

お医者さんからは「余命1年」の宣言。

そのときにこのお寺を思い出し、お守り

を授かりに行きました。

放射線治療が効いたのか、不思議なこと

咽頭がんはほとんど進行しないで、そ

れから3年半ほどしてから肺炎で亡くな

りました。享年84歳。最後は認知症

進んで僕の顔も分からなくなっていた。

 

でも、余命1年と言われたのに3年半も

生きていてくれた。そのお礼と報告のた

めに4回めのお参りをしてきました。

だからもうここに来ることはずっと無い

んだろうと思っていた。

 

 

でもまたお参りすることになりました。

妻には LINEで、

「ちょっと鎌倉に行ってきます」

 

妻からは、「いいね」の返信。

 

お寺とお守りの写真を送ると、

「・・・ありがとう・・・・」

 

4月の費用、69、100円(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ㉖/㊿)

 

そうだったんです。限度額適用認定証が

すごく早く届いたのは、自分で申請して

もいないのにもかかわらず届いたのは、

すべて人事課の Oさんがやってくれたか

らなんです。

妻の病気を気遣って、少しでも早くと思

い、僕の代わりに手続きをしてくれてい

ました。

本当に感謝しかありません。

 

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そんな時に青森の弟から宅配便が届きま

した。クール宅急便

いろんな田舎の果物やお菓子なんかが入

っている。僕の大好物である町田精肉店

手羽先まで入っています。

そしてその中には丁寧に何重にも紙に包

まれたものがある。中には木箱。その木

箱の中には更に薄い木箱が入っていて、

開けるとお守りでした。青森市内にある

有名な神社「善知鳥(うとう)神社」の

お守り。病気平癒と書いてあります。

わざわざ授かりに行ってくれた。本当に

ありがたい。

 

それから数日後のこと。マンション管理

員教育業務の会社で、エリア担当をして

いる横浜支店の業務2課長の Oさんが、

僕の担当マンションに立ち寄りました。

すると「センバさんこれ」と渡された。

白い紙に包まれたもの。横浜 伊勢山皇大

神宮のお守りです。病気平癒と書いてあ

ります。

そうです。わざわざ会社の隣の駅まで行

って授かってきてくれました。

ありがたい。みんなが気にしてくれて、

心配してくれています。

 

5月12日の木曜日、仕事が終わって家

に帰ると、病院から封筒が届いていまし

た。茶色の封筒。

思った通り、4月の請求書です。

限度額適用認定証を出しているので、そ

んなに費用は高くないはずなんですが、

少し心配。

 

 

開けてみると、合計11万円ちょっと。

あれっ、思ったよりも高い。

でもよく見ると、その右側に支払い票が

ついていて、ちゃんと限度額が適用され

ていました。

 

医療費の合計 57,600円。

食事代 11,500円

(1食460円×25回分)

 

会わせて、69,100円でした。

 

限度額適用認定証(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ㉕/㊿)

 

取り合えず、次の病院の荷物交換日に、

「限度額適用認定証」を荷物に入れよう

としたら、断られました。

貴重品は預かれないらしい。そういった

物を渡すときは、本人が直接持って行く

ことになっているんだそうです。

そう、面会できます。

 

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3週間ぶりぐらいに会った妻は、見た目

は元気です。すごく嬉しそう。

いつも娘と一緒に荷物を届けに行くので

すが、娘も満面の笑顔。

治療を続けているためか、入院する前よ

りも明らかに元気な感じです。

ただそれは、抗生物質の点滴と輸血をし

ているから。特に輸血をしてからは、息

切れと頭痛がまったくなくなりました。

それはそうだ、だって赤血球が半分しか

ない状態で働いて、家事もこなしていた

んですから。いまは検査や治療を除くと

安静にしていて、スマホや本を見たり、

紅茶を飲んで静かに過ごしています。

 

荷物を渡した後は、ディルームで三人で

話しました。本当は30分程度の許可だ

ったんですけど、気がついたら1時間以

上経っていた。

僕も話したくて仕方がなかったんですけ

ど、やはり娘とのほうが楽しそうです。

本当は、入院していなければ行っていた

はずの「KAT-TUN」のコンサート。2回

行く予定でした。でも1回めはもう無理

です。せめて2回めは行けないかなと話

している。

 

主治医の H先生からの電話では、早めに

病気が見つかったのと進行が遅いタイプ

だったから、早ければ1ヶ月程度の入院

で済みそうだと言われていました。

正直に言うと、1ヶ月でも長い。

(そんなにかかるんだ)と思った。

 

楽しい時間が過ぎ、三人で写真を撮って

から、娘と帰りの車に乗り込みました。

家に着くと封筒が届いている。マンショ

ン管理員教育業務をやってる会社の人事

課 Oさんからです。

中は「限度額適用認定証」申請用紙。

 

 

もう渡したのに・・・。

不思議に思って同封の手紙を読むと、

「もう限度額適用認定証は届いています

でしょうか。この申請書は参考にです。

お急ぎだと思ったので、私のほうで申請

手続きを行いました」

「早く奥様がお元気になられますよう、

お祈り申し上げます」

 

お金、いくらかかるんだ!(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ㉔/㊿)

 

病名を告げられて、入院手続き。

これからどうなってしまうんだろうかと

いう不安。

夜になって少し落ち着いたときに考えた

のは、お金のこと。当然もう進んでいく

しかないのですが、まったく知識があり

ません。

(いったいこういった時は、いくらかか

るんだろう?)

(治療費って払える金額なのかな?)

(3割負担で保険金も出るだろうけど、

先に一度払うとなると、たくさんの現金

を持ってないと大変なんじゃないか?)

 

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そこでやっと思い出しました。

病院から渡された A4のコピー。何か入

院や治療にかかる費用のことが書いてあ

って、すぐに手続きするように言われて

いた。

 

「限度額適用認定証」です。

よく分かっていなかったので、改めてじ

っくり見てみると、高額の医療費がかか

るときに適用されるもので、その人の収

入によって治療費の負担が大幅に軽減さ

れるというもの。

そしてそこに記載されていた金額は、数

万円から十数万円です。

 

僕は今回、何百万円もかかるかもしれな

いと思い、お金のやりくりを考えていま

した。

(本当にこれだけの支払いでいいの?)

と思うような金額。これだと負担がすご

く少なく、なんとかなりそうです。

 

手続きは、被保険者が加入している会社

を経て、保険協会に申請?してください

みたいなことが書いてあり、なにかよく

分かりません。

僕は複数の仕事をしていますが、そのや

り方として、個人経営の不動産専門ファ

イナンシャル・プランナー業の他に、メ

イン業務に近い形で、大手マンションの

管理員教育業務をしています。

ここで所得税や健康保険、厚生年金のこ

とをやってもらっている。今回聞いたの

は、そこの本社の人事課 Oさん。

冷静に伝えるつもりが、妻の病気のこと

を話しているうちに感情があふれて、涙

声になってしまった。

 

Oさんは、「少しでも早く申請書を送りま

す」と言ってくれました。

 

 

6日後に届いた書類は申請書ではなく、

「限度額適用認定証」そのもの。

まだ、申請していないのに?

 

ドライブ・マイ・カー④/④(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ㉓/㊿)

 

この「命の絶える順番」。実はこれが来

るのは自分で、遠い将来のことではなく

て、近い内に起きそうな感じを持ってい

ました。

もちろん何か根拠がある訳ではなくて、

ただ、変な感覚だけがあった。

 

そして妻は、子どもたちの成長を見守り

ながらゆっくりと年齢を重ねていく。

10年後にそこに僕がいなくても、生活

に心配が無いようにしたいと思ったら、

毎日のハードワークも苦にならない。

ファイナンシャル・プランナーだという

こともあり、仕事や生活の20年後まで

考えて、毎日働いていたんです。

 

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「ドライブ・マイ・カー」は長編です。

上映時間は、179分。何と3時間。

 

主人公は、舞台俳優兼演出家の家福悠介

(かふくゆうすけ)役の西島秀俊さん。

そしてドライバーで渡利みさき役の三浦

透子さん。家福の奥さん・音(おと)役

霧島れいかさん達です。

妻を失った喪失感を抱えながら生きる主

人公が、ある女性との出会いをきっかけ

に新しい一歩を踏み出すヒューマンドラ

マ。セリフまわしに舞台や演劇っぽいと

ころがあって、不思議な感覚と謎の部分

に引き込まれながらどんどん時間が進ん

でいく。

ただ、この辺りが分かっていないと、ち

ょっと違和感を感じる人がいるかもしれ

ません。

 

映画が始まってから思ったことは、スト

ーリーの早い段階で妻が亡くなってしま

うこと。今の僕の状況で、見るべき映画

じゃないのではないかということ。

普段は縁起とかを気にしないんですが、

変な話し、こんな時に見なくてもいい。

 

でも違いました。

映画を見終わると、そのテーマが自分の

考えていたことに近く、きちんと書かれ

ていた。少し複雑な設定や言い回しはあ

りましたが、実に良い映画でした。これ

が9ヶ月近く経っても見に来る人がいる

理由です。

 

 

ただし、ちょっとだけ長い。

1時間30分ぐらい経ったところでトイ

レに行きたくなった。

でも席は真ん中あたり。何とか我慢して

買ったコーヒーも飲むのを止めて、終盤

は終わる時間を気にしてた。

そして映画が終わると、何人もがトイレ

に駆け込んで行きました。

 

ドライブ・マイ・カー③/④(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ㉒/㊿)

 

だから、たぶん僕の行動は、そのことに

基づいているはずなんです。

もちろん妻や子供、母親や兄弟には言う

つもりもなく、心のどこかのしまってあ

る感覚。

 

もちろんそんなことが起きる確率はとて

も低くて、厚生労働省のデータなんかで

も、僕の年齢で死ぬ確率は1%ぐらいの

ものです。

でも、去年かかった新型コロナウイルス

は、当時の罹患率が1%未満でした。

そして親友の「竹内君」が2月に亡くな

っている。

そう、1%の確率は、意外と大きい。

 

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僕はいま出不精。

30代のころまではそんなことはなく、

いろんなところに出かけることが大好き

でした。でも年齢を重ねるとともに、あ

まり出かけなくなった

その分、家で妻と話していることが多く

て、ともすれば一日中ずっと話していま

した。

それがある日突然無くなった。

いくら LINEやメールをしても、そんなも

のには限界がある。

子どもたちも出かけた平日の昼、仕事を

キャンセルして、久しぶりに映画を見に

行きました。一人で映画を見に行くのは

中学2年生以来です。何十万年ぶりとい

う感じ。

去年の映画なので、近くでやっているの

は、「横浜ブルク13」ぐらいでした。

見るのは「ドライブ・マイ・カー」。

村上春樹さんの短編小説が原作で、アカ

デミー賞国際長編映画賞を受賞したのこ

ともあって見たかったのですが、何とな

く忙しくて、いまになってしまった。

一日に一回しか上映していないし、サイ

トの予約もゼロ。誰もいなかったら嫌だ

な~と思いながら行くと、意外と人がい

ました。ざっと60人ぐらい。

ただ、年齢層を見ると僕よりも年上っぽ

い60歳代中ぐらいから70歳代。ほと

んどが二人。夫婦で見に来ているみたい

で、一人で来ているのは僕だけでした。

 

 

ちょっと不思議だったのは、自分でもそ

うなんですが、どうして今この映画を見

に来る人がいるんだろうということ。

なぜならこの映画の公開日は去年です。

2021年8月20日。

 

見た日は、2022年5月12日。公開

日から既に9ヶ月近く経っている。

 

ドライブ・マイ・カー②/④(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ㉑/㊿)

 

その時は自分でも不思議な感じがしてい

ました。

どこか遠くのところで思っていたのかも

しれない感覚、

「はやく沢山いろんなことをしなきゃ」

「一緒に出かけて、いっぱい思い出を作

っておかなければ」

 

急に、今行っておかなければと、出かけ

たい感覚がどんどん強くなっていった。

コロナ禍の前に行った長崎とハウステン

ボス、それが最後の泊まりの旅行。すぐ

次に予定していた草津温泉への旅はお預

けのまま、その後はあまり出かけること

がなくなりました。

 

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何で読んだのかは忘れたんですが、「父

親の壁」というものがあるそうです。

男性として、その仕事や遊び、知識や経

験の深さなんかでかなわない部分がたく

さんある。そういったことを指すものな

んですが、他の意味でもう一つ。

 

それは「命の絶える順番」

 

僕は長男です。いい年なんですが、子ど

もはいくつになっても、父親の背中や行

動を見ています。多くの人は父親の存在

に安心して、嬉しく思っているはず。

そして父親が生きている間は、自分が死

ぬとかこの世からいなくなるといった感

覚を持たない。

でも、その感覚は父親が亡くなると、全

く変わってしまいます。命の順番の前の

列の人がいなくなって、その順番の先頭

にいるのが自分になったのに気がつく。

実際には、他の兄弟だったり、母親だっ

たりするのかもしれないんですが、その

順番の崖の先頭にいるのに気づく。

崖の下には、底が見えないぐらい深くて

霧に包まれた、風の強い谷底がある。そ

の先頭にきてしまった。

いつ崩れるか分からない足元。そしてい

つか必ず崩れる足元の土。

それを意識してしまうようになるといっ

たことです。

 

そのコラムみたいなのを読んでから、何

となく頭の片隅から離れない。ずっと残

っていました。普段はそんなことは意識

することもないんですが、2015年5

月3日に父親が亡くなってからは、その

ことをよく思い出すようになった。

 

 

「楽しかった。もっといっぱいお母さん

と旅行に行っておけばよかった」

認知症が進む前の父親の言葉が、心に残

っていました。

 

ドライブ・マイ・カー①/④(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ⑳/㊿)

 

妻とは、かなりよく話すほうです。

何かあると、お互いに連絡や報告みたい

な感じで意見をきいてみたり、考え方を

整理したりする。

結婚する前からそんな感じで、それはず

っと変わらずにいました。

 

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そしていろんな記事で何度も書いていま

すが、僕が M銀行系不動産会社の本店営

業1部でセクションマネージャーをやっ

ていたときに渋谷に立ち上げた個人事務

所、不動産専門のファイナンシャル・プ

ランニング事務所です。会社にいながら

自分の事務所を立ち上げ、結局はそこで

の仕事の方が会社の仕事よりも多くなっ

てしまったため、会社を退職。

その後に関連の仕事を多く引き受け、最

大で10種類の業務をしていました。今

でも、朝8時から午前1時30分まで働

いています。

昼と夕方の合計2時間の休憩時間以外は

ずっと働いている。1日15時間労働。

個人事務所で自分の責任で引き受けてい

るのだから、労働基準法は関係ない働き

方です。しかも最初の6年間は年中無休

に近い、365日中358日の労働。

自分で取ってきたり、頼まれてやってい

たので、減らそうと思えばもっと少なく

することもできたんですが、個人事務所

の不安さと、もっと頑張りたいという欲

求から、仕事を減らすことはしなかった

んです。

 

かなり疲れていたし、家族と会話する時

間も少なくなっていたときに、たまたま

仕事のキャンセルがあり、空いた時間に

妻と映画に行きました。

その映画を見ていた時間がすごく楽しく

て、それをきっかけに休みを取るように

なった。毎週1回、月曜日を休むことに

しました。たまに仕事が入る時もあるん

ですが出来るだけ休む。更に月に1回は

映画や舞台を見たり、レストランで食事

や日帰りで旅行に行くことにしました。

 

 

毎月行っていると、ちょっと慌ただしい

感じがしたりしてくる。

妻から、

「何か時間が無くなるみたいな感じで、

予定を詰めて出かけてるね」

 

そう、不思議なことに、何かに追い立て

られるような感じがあった。