yururi-furu’s blog

ゆるりと続けるフルコミ営業

懇願の理由(本日妻が亡くなりました㉞)

 

2023年6月10日の土曜日から翌日

にかけて、1泊2日で、上高地~飛騨高

山~白川郷に行ってきました。HISさんの

バスツアーです。

今回も僕と長女、次男、僕の弟の 4人。

僕以外は初めてのバスツアーへの参加。

コース自体が良かった他に、バスがゆっ

たりタイプでストレスが少なかった。そ

して運転手さんが気さくなベテラン。ま

た、行先の知識が本当に豊かで、今まで

お世話になった運転手さんの中でも、最

もレベルの高い方でした。他には、ホテ

ルと食事が良かった。こちらも、これま

での中で一番でした。

 

上高地は、妻と行った初めての旅行先。

もう 30年以上も前のことでしたが、妻

が何度も何度も「すごく楽しかった」と

言っているのを聞かされていた子供たち

が、同じ所に行ってみたいと言ってくれ

た。そして本当なら、まだ行っていなか

った飛騨高山と白川郷に、今年の夏には

妻と行くつもりだった。


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上高地大正池河童橋穂高岳

 

人は辛いことがありすぎると、こんなの

は自分じゃない。そう強く思って、心が

自分の人格と切り離されてしまうことが

あるそうです。

別の人格が現れてしまうことがある。

 

妻の場合がそうなのかは分かりません。

担当の H医師からも、そう言われた訳で

もありません。でも、妻に時々出てくる

子供のような人格は明らかにおかしい。

この人格は、子供たちが面会に来たとき

には出ません。かなり精神状態が悪い日

や時間帯で、僕が一人で面会に行った時

にしか現れませんでした。

 

 

僕に向かって「私を許してください」と

話した妻の声は、次第に幼い声に変わっ

ていきました。前にも現れた他の妻。別

な人格のように感じてしまう。

 

「大丈夫だよ。誰も怒ってないよ」と静

かに僕が話しかけると、妻は不思議そう

な顔をしました。

「だって私はきっと悪いことをして、罰

を受けているんだ」と話し、そのことを

許してほしいと思ったようです。

妻はこの無菌室から出られないことのス

トレスから、自分をどんどん追いつめて

しまって、自分を責め続けているようで

した。

 

許して、私を許して(本日妻が亡くなりました㉝)

 

つい最近、岡村孝子さんの記事を読みま

した。岡村さんは、ご存じのようにシン

ガーソングライターです。

「あみん」時代の「待つわ」を聴いてか

らのファンである僕としては、気になっ

てしかたがなかった。新曲が出るとか、

コンサートをやるとかのこともあったの

ですが、何よりもその体調がどうなった

のかを知りたかったんです。

2019年1月に、競泳の 池江瑠花子さ

んが「急性リンパ性白血病」になったの

と同じころ、岡村さんも病気になりまし

た。妻と同じ「急性骨髄性白血病」。岡

村さんは妻とは違い、臍帯血移植で治す

ことができた。入院期間は約 5ヶ月。そ

れでもおそらく無菌室には 1ヶ月半は入

院していたはずです。その間、やはり不

安に襲われた。

(治らないんじゃないか。死んでしまう

んじゃないか)という不安。

でも本当に幸いなことに、寛解。その後

の状態も良いようで、数日前には、神戸

でのコンサートを、たくさんのファンの

前で無事に行うことができました。変わ

らない優しく澄んだ歌声と愛らしいルッ

クス、元気になって本当に良かった。

 

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岡村孝子さん

 

長男の言った「妹と弟」の奨学金を全額

自分が返すという言葉に対し

「そんな金額を払ったら、貯金が無くな

ってしまうよ」と話した僕。

「大丈夫。まだ半分近く残るから」

 

驚く僕がよく聞いてみると、長男は 3人

の学費の大変さを考えて、大学生のころ

からお金を貯めていたそうです。全員の

学費を、自分が払えるようにするのを目

標にしていたとのこと。だからアルバイ

トをたくさんしていた。また、就職して

からもしっかりとお金を貯めて、この時

に備えていました。

 

このことと、孫が生まれることを話した

ときの妻は元気を取り戻し、気持ちが前

向きになっていく。頑張って早く退院す

るという言葉を口にするようにもなって

いきました。

 

 

しかし移植の結果が分かる数日前に、僕

が一人で面会に行くと、妻が無菌室のガ

ラス越しの僕に向かって手を合わせ、

「許して、私を許して下さい」と、涙を

浮かべて拝み始めました。

 

長男の話し(本日妻が亡くなりました㉜)

 

2023年5月28日の日曜日、僕の弟

と一緒に、潮来あやめ祭りに行ってきま

した。

ここも同じように、妻と行く予定だった

場所です。昨年は入院していたので、来

年行きたいねと話していた。

 

でも本当は難しいと思っていました。退

院してからのリハビリは、かなり時間が

かかるから。

生ものが食べられるようになるのは、退

院してから 1年後。だいたいの家族が、

ちょっと高いお寿司を取ってお祝いする

ようです。また、髪の毛が戻ってくるの

は約 1年半後。それでもベリーショート

に戻るのがやっとです。


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鹿島神宮


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潮来あやめ祭りと嫁入り舟


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伊能忠敬の生家と記念館


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香取神宮

 

妻が見たという、夜中の神様らしい方か

らのお告げ。僕にはちょっと信じられま

せんでした。だって夜中には誰も来ない

し勝手に入れない。ただ妻が、髪の毛を

条件にされたとしても「治る」というこ

とを信じてくれるのであれば、それでい

いんです。気持ちが維持できればいい。

 

「髪も戻るし病気も治るよ」と言うと

「あんまり欲張らないほうがいいんだ。

治ればいいんだ」と妻。

 

このとき妻の気持ちを支えていたのは、

もちろん家族です。妻の父母、兄弟、僕

と子供たち。ほとんどの友人と知人には

病気のことを知らせていません。

中でも大きかったのは長男のことです。

妻が病気になる 5ヶ月前に結婚したばか

りの長男には、もう少しで男の子が生ま

れる予定でした。

(早く孫の顔が見たい)

折れそうな、または折れた気持ちを戻す

のは、そのことが本当に大切な役割を果

たしている。

 

そしてもう一つは奨学金のこと。

三人の子供が高校 2年から行っていた塾

と私立大学の学費の合計は 2500万円

近くになっていました。長男の学費は現

金で払いましたが、長女と次男には奨学

金を借りてもらい、僕が支払うことにし

ていた。

 

 

妻が入院する少し前に、長男から電話が

ありました。

「お父さん、妹と弟の奨学金はいくら残

ってるの」

僕が 650万円ぐらいかなと答えると、

長男は

「俺、現金で全部払うよ」と言った。

 

願いの代わりに(本日妻が亡くなりました㉛)

 

5月は、妻にとって嬉しい月でした。

1日は結婚記念日、第 2日曜日は母の

日、24日は妻の誕生日。

去年はもう入院していたので、退院した

らその分のプレゼントとケーキを買って

もらうと言っていました。

「お金がかかるから覚悟しておいて」と

笑っていた。

 

でもそうはならなかった。プレゼントも

無く、ケーキはお仏壇にお供えするもの

になってしまいました。

母の日のカーネーションも買わない。代

わりに長女が、ドライフラワーのリース

を用意してくれました。


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長女が用意した母の日のリース

 

この病気が治らないと無菌室から出られ

ないことは分かっていても、感情が抑え

られず、思っていることを吐き出して泣

きじゃくる妻。

 

「病気がちゃんと治らないと、別な病気

になってしまうよ」と僕が言うと、

「もう無理なの。別な病気になってもい

いからここから出る!」

「かえって入院が長くなるよ。もう少し

だけ頑張ろう、ねっ、もう少しだけ」

 

この時の妻の気持ちは痛いほど分かる。

担当の H先生に「移植がうまくいかない

ことは考えなくてもいい」と言われてい

たのに、もう白血球が増え始めなければ

いけない時期なのに、まったく白血球が

増えてこない。それどころか体調がどん

どん悪くなっていく。手が震え、目で見

たものや耳で聞いたことの意味も分から

ない。そして記憶する力が落ちている。

いま話したことを、すぐ忘れてしまう。

妻は、自分がどんどん変わっていくこと

に絶望感を覚え、自分がなんの役にも立

たない人間になっていくと焦り、生きる

力を失ってきていました。

 

妻の大きな泣き声を聞いた看護師さんが

駆けつけて、妻の体をさすりながら言葉

をかけ落ち着かせてくれた。その後には

メンタルケアのお医者さん達も来て、サ

ポートしてくれました。

 

 

落ち着いた妻が僕に

「私の抜けた髪の毛はもう戻らないけど

いいんだ。諦めたんだ」

「時間はかかるけど戻るよ」と僕。

 

「だって約束してくれたんだ。髪の毛は

戻らないけれど、病気は治してくれるっ

て。神様みたいな人が夜中に来たんだ」

 

一緒に家に帰るよ(本日妻が亡くなりました㉚)

 

2023年5月5日、妻の弟さんの 49

日法要が行われました。妻のときと同じ

場所、東戸塚の「合掌の郷」さんです。

この日も穏やかな天気。風もなく、柔ら

かな陽射しが差し込んでくる。

集まったのは、家族と数人の親族だけの

小さな法要。妻のときと同じような顔ぶ

れが、たった 5ヶ月後にまた揃うことに

なってしまいました。


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ガリガリ君(赤城乳業さんのHPより)

 

ガリガリ君」は、埼玉県深谷市にある

赤城乳業さんを代表する氷菓。ステイッ

ク状のアイスキャンディーです。ソーダ

味が一番ポピュラーで、夏になると必ず

食べたくなる。

その赤城乳業さんのガリガリ君は、令和

元年 6月に日本緩和医療学会の学術大会

で表彰されています。受賞をされたのは、

「最優秀緩和ケア食の維持賞」。表彰状

には「緩和ケアを受ける患者さんの食の

維持を支え、生活の質の維持向上に多大

な貢献をされました」と書いてある。

これはどういうことかと言うと、末期が

んの患者さんの食べることに貢献したと

いうものです。

この状態の患者さんは、もう食べること

ができなくなってきています。そして更

に、唾液が出なくなって口の中が乾いて

しまう。そんなときでも食べられるもの

が、冷たくて口の中でホロリと溶けるガ

ガリ君です。患者さんの多くが、食べ

ることの喜びを思い出し、本当に嬉しそ

うに食べるようです。

 

妻はこのときは体調がすごく悪く、無菌

室のベッドから起き上がれないことも多

くなっていました。

そして唾液が出なくなり、口の中が乾い

てしまう。無菌室に入ってから既に2ヶ

月を過ぎた 2022年9月中旬、何かや

っと気力を振り絞って、一日一日を耐え

ているようでした。

 

 

以前書いたように、僕の仕事先に妻から

「家に帰りたいから迎えに来て」と電話

がかかってきたことがありました。

 

この日も僕が一人で面会に行くと、泣き

じゃくりながら、妻が訴えてきました。

「家に帰りたい。本当に帰りたいの。も

う治療しない。一緒に家に帰るよ。一緒

に家に帰るよ」

 

ガリガリ君(本日妻が亡くなりました㉙)

 

2023年5月4日、孫の顔を見に、長

男の転居先の宇都宮まで、自分の車で行

ってきました。長女と次男、僕の弟と一

緒です。

孫に会うのは、もちろん妻の楽しみだっ

たはず。そしてその途中で、これもまた

妻と行く予定だった群馬県桐生の「宝徳

寺」さんと、栃木県足利の「あしかがフ

ラワーパーク」さんに立ち寄りました。

宝徳寺さんの「新緑床もみじ」はみごと

なもので、大きな感動を覚えた。また、

石庭や風ぐるまのトンネルも、参拝する

方を楽しませてくれるものでした。


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宝徳寺さん


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あしかがフラワーパークさんの紫大藤

 

前回のタイトルの「小さい わたし」は、

イラストレーターである 益田ミリさんの

エッセイから取ったものです。ポプラ社

さんから出版されています。

読書好きの妻は、いつも 3冊ぐらいの本

を併読していました。この本は妻が最後

に読んだ本。すごく気に入ったようで、

何度も読み返していました。

 

胸の痛みが強くなってから数日後、やっ

と薬が効いたのか、少しずつ痛みが和ら

いできました。でも肺と頭の感染症は、

ほとんど変わらない。そして理由は分か

りませんが、その日によって体調の波が

大きくなっていった。いや、午前と午後

でさえもすごく違っている。

 

通常、無菌室の入院期間は 45日程度。

臍帯血移植で治る 80~90%の患者さ

んは、この期間で終わります。それでも

夜に眠れないまま無菌室の天井を見つめ

ながら、

「このまま治らないんじゃないか」

「死んでしまうんじゃないか」

とみんなが思うそうです。

妻は 2回めの移植のため、このとき既に

無菌室に入院してから 60日を超えてい

ました。つまり他の患者さんよりも、とて

も辛い思いをしている。

 

 

そんな時に妻から

「口の中が乾いてしょうがない。看護師さ

んに聞いたら、飴やガム、レモン水や氷系

のアイスがいいみたいだから買ってきて」

と連絡がありました。

言われた物を買って病院に届けた。アイス

は、ガリガリ君と爽の洋なし味。

 

僕は忘れていました。

がん患者さんが末期症状のとき、亡くなる

少し前に、異常に口の中が乾くことを。

 

小さい わたし(本日妻が亡くなりました㉘)

 

2023年5月3日、横浜の鶴見にある

曹洞宗大本山総持寺さんに、お参りに

行ってきました。

 

毎年のこと。

 

なぜなら、8年前に亡くなった僕の父の

命日だからです。

今年は、昨年までのコロナの規制がなく

なって、建物の中に入ることができまし

た。その中では、数年ぶりにたくさんの

僧侶の方が修行をしていた。

置かれていた椅子に座り、それを見なが

ら手を合わせた。コロナ前と同じことを

しているようですが、違います。昨年ま

では父を偲んで手を合わせていました。

 

でも今年からは、父と妻、そして妻の弟

さんの三人を偲ばなければならない。

たったの 1年でこんなにも変わってしま

いました。


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総持寺さん

 

僕に「泣き虫」と言って笑った妻は、そ

の日が、入院してから 5ヶ月弱で初めて

体調の良い日でした。

 

翌日からは胸の痛みが強くなり、咳が止

まらなくなってしまった。感染症が頭に

も影響が出たせいか、手が震えるように

もなってしまいました。少し前からスマ

ホが重く感じて、持てなくなっていた。

だから LINEが途絶えたんですが、手が震

える上に、色々なことが分からなくなり

ました。

少しずつ耳で聞いたことが理解できなく

なったり、見ている物が認識できなくな

ってきた。

「目が見えない。耳が聞こえない」と訴

えてきたのは、これらの症状のため。

面会のときに内線電話で話していると、

どこか遠くを見て集中できなくなること

や、目の前にあるものが分からない。

 

病院からの説明では、病気と治療による

強いストレスとせん妄だとのこと。

ただ、せん妄にしては期間が長いし、ス

トレスだけでこうなってしまうのかが、

僕たちには理解できません。どちらかと

いうと、感染症が頭に影響を及ぼしてい

るんじゃないかと思ってしまいます。

 

 

この面会中に妻が

「大人になってから、こんなに痩せたの

初めてなんだよね」と言ってきました。

 

気がつくと、レンタルしているパジャマ

がダブダブした感じになっている。いつ

の間にか、妻はひと回りぐらい小さくな

っていました。

 

お父さんは泣き虫(本日妻が亡くなりました㉗)

 

2023年4月10日 長野市善光寺

行ってきました。一人でです。

本当であれば、昨年行われた御開帳のと

きに妻と行く予定だった。予約をしてい

たのですが、その直後に妻が病気になっ

たため、HISさんに電話でキャンセルをし

ました。

キャンセルした後も、病気が治ったら行

くつもりだったけど、結局はそれさえも

叶わなくなってしまったので、新しく買

ったキャメル色の革のキーホルダーに入

れた写真の妻を連れて行ってきました。

 

善光寺

 

富岡製糸場

 

「昨日妻が急性白血病になりました①」

「昨日妻が急性白血病になりました②」

これらの記事と、今の

「本日妻が亡くなりました」と書き方が

違うのは、僕の記憶が薄れるのを待って

書いているからです。細かい日時と当時

を照らし合わせて完全に思い出すのは、

まだ精神的に無理なんです。

いや、もしかしたら、一生無理なのかも

知れません。もしこの現実を完全に受け

止めることができるとしたら、自分の一

生が終わる時だけなのかもしれない。

 

2022年9月中旬、妻の肺に溜まった

水はなかなか抜けませんでした。

数日おきの輸血と白血球の代わりの抗生

物質投与。肺の水を抜くための利尿剤。

痛み止め。咳止め。吐き止め。睡眠導入

剤。他にもその日の状態に合わせたたく

さんの薬。常に点滴の管が腕に繋がって

る状況で、それが複数のときさえある。

そのせいか、水を抜くための利尿剤を使

っているにもかかわらず。心臓にまで水

が溜まり始めました。そしてその水が心

臓を圧迫するために、胸の痛みが強くな

っていった。

 

 

その日は何か予感がして、僕は勤務中に

妻に電話をしました。ふと心配になった

からです。

 

でも電話に出た妻は、すごく楽しそうに

笑っていた。

「いまね、看護師さんと話していたんだ

よ。何だと思う?」

「わかんないよ」と僕が答えると、

「うちのお父さんは、実はとっても泣き

虫だってこと!」

「なんだよ、それ」

「だって私が病気になってから、何回も

何回も泣いてるじゃん」

 

「あのな・・・」

 

それが、妻が楽しそうに笑っていた最後

の声でした。

 

いくつものこと(本日妻が亡くなりました㉖)

 

秋の終わりと春。

季節は違いますが、同じような青い空。

西の方に切れ長の雲が浮かんでいる。風

のない穏やかな澄みきった空気の中で、

妻はその日を迎えた。そして弟さんもそ

の日を迎えました。

 

2023年4月1日、妻の弟さんの葬儀

が行われました。ほんの 5ヶ月ほど前に

妻の葬儀をやった場所。自宅近くにある

葬儀の板橋さんの「ほうさい殿」です。

弟さんはまだ現役の会社員で、大きな会

社に勤めていたのと、大学時代の友人、

高校のときの部活動の友達、趣味の野球

仲間たちがたくさん来てくれたために、

弔問の方は 200人近くにもなり、いつ

までも終わらないような感じでした。

 

お坊さんの前に置かれている白木の位牌

には、長男と奥さん、自分の名前。そし

て好きだった渓流釣りと、一生懸命取り

組んでいた仕事から一文字ずつ取った戒

名が書かれていた。

弟さんが自分で考えた戒名です。


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妻の別な人格が出たのは、その日が初め

てでした。僕も最初は驚きましたが、す

ぐに対応できた。なぜなら、そんなこと

があってもおかしくないと思っていたか

らです。

妻は、人に迷惑をかけたくないと強く思

うタイプ。優しくて思いやりがあるから

か、たぶん内側にストレスを溜めてしま

う性格です。入院した最初は、頑張って

頑張って、僕や子供たちにさえ気を遣っ

ていた。僕や長女と次男は、そんなこと

は止めてほしいと思い、それを伝えてい

ました。

病気で入院している人が、気を遣っては

いけない。誰でもそう考えるはずです。

でも妻は、病気になったことを申し訳な

いと思っているようで、気遣いを止めま

せんでした。だからある時にその限界が

来てしまった。甘えられないと気を張っ

ていたのが、僕の前で一気に崩れてしま

い、自分が維持できなくなってしまった

んです。

治らない白血病。それに伴う症状や合併

症。8月初旬から出始めた咳は、点滴で

肺に水がたまったことによるもの。

 

 

そしてその水のためか、肺に感染症が出

てしまった。その感染症は頭にも影響を

及ぼし、心臓にも水がたまり始めた。

 

妻の弟さんが亡くなりました(本日妻が亡くなりました㉕)

 

昨日のこと。3月26日 17時56分

妻の弟さんが亡くなりました。

 

もう通院するのが難しくなってたので、

自宅に介護用のベッドを入れたばかり。

積極的な治療ではなく、緩和治療に変わ

っていました。

 

以前書いたように、妻が亡くなったとき

に少し遅れて病院に着いた弟さんは、ア

ルミの松葉づえをして、左足をかばって

歩いてきました。

(こんなときに無理して来てもらって、

申し訳ない)と思った僕をおもんぱかっ

たのか、

「ちょっとくじいただけだから大丈夫」

と言っていた。


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でもそれは違っていました。

そうです。ステージ4の末期がん。

 

弟さんは 2022年8月2日に、左足に

痛みを感じて接骨医に行った。運動不足

と診断されて、歩く量を増やしました。

彼は、日本を代表する電気メーカーに勤

めていました。大人気のゲームも作って

いる会社。そこで業務用のモニター設計

を担当していた。一番イメージしやすい

仕事は「スターウオーズ」です。その撮

影のときに使われていた、チェック用モ

ニターも設計しています。

もともとはスポーツマン。仕事的に運動

不足になりがちなため、会社から帰ると

きは、通勤の地下鉄を 3駅前に降りて歩

いていた。だからおかしいと思ったよう

です。

治療をしてもよくならないので、違う接

骨医や外科なんかにも行った。そしてあ

る病院で、妻の入院していた医療センタ

ーを紹介されました。

ということは重い病気の可能性が高い。

 

妻の状態が不安定になってた 9月中旬、

近くで研修があったと言って、平日の午

後に妻の面会に来てくれました。でも後

で分かったのは、その日の弟さんは詳細

な検査のために来たのでした。

 

結果が分かったのは 10月26日。病院

で告知されたのは「横紋筋肉腫」という

病気。大人だと 100万人に一人か二人

しかかからない癌です。しかも既に複数

の場所に転移していました。

 

 

宣告された余命は数か月。長くもっても

6ヶ月というもの。

その翌日の朝、妻の状態が急変し亡くな

りました。二日も続けて、最悪のことが

起きてしまった。

 

二人目の妻(本日妻が亡くなりました㉔)

 

2023年3月4日 土曜日、家族で伊豆

大島の椿まつりバスツアーに行ってきま

した。そう東海汽船さんのツアーです。

昨年妻と行った最後の旅行先。今年は、

長女、次男、僕の弟と 4人で一緒に出か

けました。

妻とのことを、ひとつひとつ確かめなが

ら椿や三原山を見て、妻の表情や会話に

思いを馳せていきました。


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都立大島公園椿園


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三原山展望台

 

このブログが、前回の更新から 1ヶ月も

空いたのは、仕事をたくさんしていたか

ら。子供たちと休みが違うので、週に一

日だけの休日は、家にいることが多い。

でも家に一人でいると、いろんなことを

思い出したりするので、何もしないでず

っと寝てることもある。すると起きてか

ら落ち込むことが増えてきてしまった。

だから仕事を多くして、それを一時的に

でも忘れようとしていました。

 

また、色んな手続きの時期だったから。

遺産分割協議書作成、マンションの持ち

分や預貯金なんかの相続手続き。死亡生

命保険金と入院した保険金請求。臍帯血

運搬費用の還付金請求。確定申告と医療

費控除、年金の一時金請求、横浜市の慶

弔金請求。自分の生命保険と自動車保険

の見直し。

やることだらけだったのと、その手続き

をする度に妻を思い出して、また辛くな

ったからです。

 

目が見えない、耳が聴こえないと言って

いる妻を見ていても、あまりそうは思え

ませんでした。

面会に行った無菌室の廊下側からかけた

内線電話。ちょっと戸惑いながらも子機

を手にして、無菌室の大きなガラス越し

にこちらを見ながら話している。確かに

いつもよりも少しゆっくりな話しかたで

すが、視線はしっかりしている。

でも 9月の中旬ごろから、内線電話の子

機が分からなくなることがありました。

無菌室の中にあるテレビの黒いリモコン

と間違える。白い子機を見ながら、少し

迷って黒いリモコンを選んでしまう。

 

 

そして僕が一人で面会に行ったとき、妻

がニコニコしながら呼びかけてきた。

「お父さん、お父さん」

それは、幼稚園児か小学校の低学年のよ

うな声。別人格の妻でした。

 

妻が変わっていく(本日妻が亡くなりました㉓)

 

最初の移植では、説明を受けた範囲の合

併症だけでした。

脱毛。皮膚がかさかさになること。気持

ち悪くなり吐き気がする。顔から血色が

なくなり、爪が黒くなる。

本当に髪の毛が抜けるのか心配になった

妻が看護師さんに聞いたら、

「5日後に必ず抜ける」という返答。

ただ妻の場合は、1週間後にまつ毛から

抜け始め、その数日後にどんどん髪が抜

け始めた。それでも、前髪や耳の上あた

りは、最後まで抜けませんでした。

 

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妻と行く予定だった曽我別所(小田原)の梅林

 

また、皮膚はかさかさになってきました

が、そこまでひどくない。吐き気もちょ

っと気持ち悪い程度で、爪も黒くなりま

せん。顔色もやや悪い程度。他には口内

炎ができると説明されましたが、二つ出

ただけで、食事ができなくなっていたた

め、あまり気にならないとのこと。

ただ、放射線治療は粘膜に影響がでる。

そのひとつ、表に出て確認できるのが口

内炎なんですが、体の中にたくさんある

粘膜には何が起きているのかが分かりま

せん。それが一番心配でした。

 

一度目の移植のときは、確定診断が判明

するまでかなり元気に見え、妻が自分で

も気持ちを良いほうへ持っていこうとし

ているのが分かりました。

しかしそれが叶わなかったとき、いきな

りそのモチベーションが維持できなくな

った。

こちらには元気に見せながら、本当は辛

くて苦しいはず。心配させないようにし

ていた。でも、二回目の移植から 4~5

日経ったころ、気持ちの限界をこえた。

 

少しずつネガティブな話しが出る。そし

て顔色が悪くなり、気持ち悪さが強くな

って吐き止めの薬を点滴で投与。爪も黒

くなってきて、皮膚もどんどんかさつき

始めた。咳きこむようになったのは、肺

に水がたまったせいです。そして肺に合

併症が見つかり呼吸がしにくくなったた

め、鼻から酸素を入れる。肺にたまった

水は心臓にもたまり、そのため胸の痛み

が強くなってきた。

 

 

この合併症は、体の中の一番大切な場所

まで影響し始めました。

妻がどんどん変わっていってしまった。

 

5000勝0敗の戦い(本日妻が亡くなりました㉒)

 

2月20日 月曜日、郵便局で旅行のお金

を振り込みました。伊豆大島への日帰り

旅行。また今年も椿を見に行きます。

 

以前も書いたように、伊豆大島は妻と行

った最後の旅行先。初めての場所なのと

椿がきれいだったからか、すごく楽しそ

うにしていました。そしてその場所に行

きたいと、子どもたちが言ってくれた。

落ち込んで何もしなくなった僕を気遣っ

たのと、二人で出かけた最後の場所を、

見てみたいと思ったようです。

 

そのお金を郵便局で払っている間に、す

ぐそばにあったモニターに目が奪われま

した。

「5000勝0敗の戦い」

 

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今年の東海汽船さんの旅行チラシ

 

日本人の二人に一人が癌にかかります。

けっこう多いんだなぐらいに思っていま

した。でもこのモニターで説明されてい

たものを見て納得。それはこんな理由で

した。

誰でも、みんなが、毎日毎日体の中に、

癌細胞ができているそうです。その数は

約5000個!

それだけの数の癌細胞ができていて、そ

れを毎日リンパ球が倒しています。今日

も 5000個の癌細胞が出来、それをリ

ンパ球が一つ残らず倒している。昨日も

一昨日も明日も明後日も、一生繰り返さ

れる戦い。しかも一度も負けられない。

負けたら癌細胞は、どんどん増殖し始め

る。だから 5000勝0敗でなければな

らないんです。

ただ人間は老化します。するとリンパ球

の働きが悪くなったり、見逃しなんかが

出てくる。そうなると癌細胞が生き残っ

てしまう。それだけを考えると、癌にな

らないほうがおかしい気がしてくる。

昔、「ブラックジャックによろしく」と

いうマンガのセリフの中で、こんな感じ

のものがありました。かなり前のことな

ので正確ではありませんが大筋は合って

いるはず。

「人間は最後は必ず癌で死ぬ。癌で死な

ない人は、癌になる前に他の病気や事故

で命を落としているだけ。それが無けれ

ば癌で死んでいく」

 

 

これを見ても、体の中は分からないこと

だらけだと思いました。

妻の症状がどんどん変わってきた。

それは病院や手引きで説明されたものと

は違う、予想外のことでした。

 

目が見えない、耳が聞こえない(本日妻が亡くなりました㉑)

 

どこの家でもそうなんでしょうが、僕の

家でもきちんと挨拶を交わします。

「おはよう」

「行ってらっしゃい」

「お帰りなさい」

「ありがとう」

「おやすみなさい」

 

これは僕よりも、妻のほうがちゃんとし

ている。常に家族のことを考えているか

ら、自然に出てくる。たぶん両親から受

けついだもの。

妻は入院してからも、ほとんど決まった

時間に、「おはよう」と「おやすみなさ

い」を LINEで送ってきていました。

 

でもそれが、2回目の移植の前あたりか

ら時間がずれたり、送ってこないことが

あるようになりました。

 

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無菌室前のインターホン

 

後で思ったことですが、同じころから話

し方が変わってきていた。

妻の弟さんから授けてもらった末梢血幹

細胞。すごくありがたいことで感謝しか

ありませんが、妻の話し方が少しだけ気

になりました。

「ありがたい。弟には感謝しかない」

「申し訳ない。弟に申し訳ない」

「こんな自分のために細胞提供をしてく

れた。私なんかのために」

こんな言葉を繰り返す。

もちろん気持ちは分かります。だけど何

度も何度も繰り返し、その内に視線を落

として下を向いたまま、どこかうつろな

感じでずっと呟くようになった。

 

そして LINEがあまり返ってこなくなって

から、不規則にスタンプが送られてくる

ようになりました。泣いている女の子の

スタンプです。それも繰り返し送られて

きます。

「何かあったの?」とLINEしても返信が

ない。その内に、その女の子のスタンプ

が取り消されている。しばらくしてから

「なんでもない。だいじょうぶよよよ」

と返信が来た。

「よ」が多いよと LINEすると、しばらく

してから、記号、数字、ひらがなや漢字

が混ざった、文章になってない LINEが返

ってきました。

「どうかした?」と送ると、同じように

意味の分からないものが返ってくる。

 

 

長女と面会に行くと、こちらを見る目が

うつろで生気がありません。

内線電話が繋がると妻は、

「あまり目が見えない。それと耳がほと

んど聞こえなくなってるの」

 

でもこれは、まだ始まりでした。

 

値上げ! JR東日本

 

2023年3月18日 土曜日、JR東日本

ダイヤ改正が行われます。

ダイヤ改正の他、上越北陸新幹線の所

要時間短縮。高崎線吾妻線特急の車両

E257系のリニューアル。京葉線では新

駅「幕張豊砂」の開業などがあります。

 

でも最も気になるのは「運賃の改定」。

これが今までとは少し違い、なんか分か

りにくい感じがする。

そこのところを、ザックリと書いてみま

した。


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対象エリア図(JR東日本さんのHPより)

 

一番分かりにくいのが、首都圏だけ運賃

を値上げすること。

この首都圏とは、埼玉県だと大宮駅から

都心へ向かう範囲。千葉県だと千葉駅か

ら。神奈川県は大船駅から(横須賀線

久里浜駅から)。東京は中央線でいうと、

高尾駅から都心に向かう範囲です。

 

ICや切符の場合は、普通運賃に鉄道駅バ

リアフリー料金が 10円プラスされます。

つまり今まで 200円だった区間は、210

円。500円だった区間は、510円になる。

でも首都圏に入らなければ今までと同じ

で 10円はプラスされません。

そして通常の通勤定期券。これは約1.4%

値上げ。更に鉄道駅バリアフリー料金が

加算されます。1ケ月定期券で 280円。

3ケ月定期券で 790円。6ケ月定期券では

1420円になります。

具体的にいうと、これまで1ケ月 1万円の

定期券が、

1万円 +140円(値上げ) +280円 =10420円

今までより、420円高くなる。微妙な値上

げ。ま~、会社が払うからいいかといっ

たレベルです。

また、これも分かりにくいのですが、オ

フピーク定期券というのもできた。これ

は通勤・通学などの混雑時間を避けたと

きだけ使える定期券で、通常の定期券よ

りも10%安い。ただ問題なのは、いつが

オフピークなのか明示されてないこと。

各駅で異なるとのことで、ハッキリしな

いんです。

駅員さんも、まだ勉強会をやっている最

中です。

 

 

電車の運賃はしばらく上がってなかった

ので、仕方がないのかも。

でも、首都圏だけの値上げですし、通学

定期の値段は据え置かれので、かなり配

慮と努力がされたような気がします。