yururi-furu’s blog

ゆるりと続けるフルコミ営業

幸せな時間(10月17日・後編(本日妻が亡くなりました㊶/㊿))

※この記事は、どうしても先に書きたかっ

たため、2023年1月9日に書いたもの

です。それを加筆修正しました。

 

 

2023年8月5日 僕の車で弟と一緒に

「たんばらラベンダーパーク」と「伊香保

温泉」に行ってきました。

妻と行きたかった旅先は、まだ 50ヶ所以

上あります。今はその場所を一つ一つ、妻

の写真が入ったキーホルダーと一緒に出か

けている。今回もそういった場所でした。


f:id:yururi-furu:20230822065757j:image

f:id:yururi-furu:20230822071038j:image
f:id:yururi-furu:20230822065826j:image

f:id:yururi-furu:20230822065842j:image

f:id:yururi-furu:20230822065901j:image

f:id:yururi-furu:20230822065918j:image

①②たんばらラベンダーパーク  ③④伊香保温泉 

⑤大澤屋さんの水沢うどん ⑥榛名湖

 

電話が分からなくなった妻の声を聞きつけ

た看護師さんが来て、電話器を妻に渡して

くれた。また、精神面をケアする担当医を

呼んで、妻をサポートしてくれました。

 

妻はリハビリの時間になったのですが、そ

の間に僕が帰ってしまうのを心配して、行

くのを嫌がりました。

そこで看護師さんがこう言ってくれました

「今日はご主人の時間が許す限り面会して

いいですよ」

 

妻が

「リハビリから戻るまでいてくれる?」

「待ってるよ」と答える僕

僕は 1時間少し病院の最上階の展望室で、

横浜の景色をぼんやりと眺めて、時間を

潰しました。

 

病室に戻りリハビリの終わった妻と話して

いたところ、17時過ぎに妻がうとうとし

始めた。夜はまったく眠れなくなっていた

んですが、僕が面会に来ると安心して、

眠そうになったりする。

 

「寝たほうがいいよ」と僕が言うと、妻

は駄々をこねる。そう、この時間はもう

一人の妻。子どもに返った妻です。

でもあまりに眠そうだったので、もう一

度「寝たほうがいいよ」と言うと妻は、

「だって寝たら帰っちゃうんでしょ?」

そう言って寝ようとしない。瞼がくっつ

きそうなのに。

妻もさすがに起きているのは無理だと思

ったのか「じゃあ、子守歌を歌って」と

ねだってきます。無菌室前の廊下は誰も

いません。しかしさすがに恥ずかしい。

僕が困った顔をしていると、「だったら

100数えて。そしたら許してあげる」

 

僕は少し小さな声で

「いいち、にいい、さあん」と数え始め

たら、「だめだよ、だめ。それじゃ早す

ぎて眠れない」

「ああゴメン。最初から行くね。いいい

いち、にいいいい、さあああん・・・」

 

たった 8まで数えたところで妻は眠った

みたいです。内線電話ごしに寝息が聞こ

えてきました。僕のほうを向いたまま子

供のような寝顔をしてる。

もう眠っていましたが、ちゃんと約束通

りにゆっくりと 100まで数えました。

間接的に夕陽が射し込んでくる。そんな

中で妻を見つめていた幸せな時間。

 

 

(明日一般病棟に移ったら、あと 2週間

ぐらいで退院できるから頑張ろう)と心

の中で話しかけました。

僕は知らなかった。妻の命が尽きるまで

あと9日と13時間だということを。

 

茶碗の電話、シーツの電話(10月17日・中編(本日妻が亡くなりました㊵/㊿))

 

2023年7月14日から 4日間、実家

の青森に帰省する予定でした。久しぶり

にゆっくりしたかった。でも直前に僕が

体調を崩してしまったために行けなくな

ってしまいました。

そのことを長男に LINEすると

「俺が代わりに行ってくる。家族で」と

いう電話。

子供のときから青森の実家が大好きな長

男は、お祖母ちゃんと叔父さんが寂しが

らないようにと、すぐ有給休暇の申請を

したそうです。


f:id:yururi-furu:20230819045041j:image
f:id:yururi-furu:20230819044934j:image

f:id:yururi-furu:20230819045610j:image
(青森の)奥入瀬渓流  金魚ねぶた  遮光土偶

 

「お父さん・・・お父さん・・・。ごめ

んね、わたし死のうと思うんだ」

突然の妻の言葉に、僕は激しく動揺した

んですが、それを顔や態度に出さないよ

うに必死に、言葉を抑えながらゆっくり

と話しかけました。

「眠れなかったの。今日は心配な気持ち

が大きくなったのかな」

 

「ううん、だってね。わたしはもう何年

も入院しているじゃない。そして病気・

・・、あれっ、何の病気だっけ・・・」

「うん、いいや。そしてね、病気も全然

治らないし、家に帰れたとしてもみんな

に迷惑をかけるし・・・」

 

このときは妻が入院してから 6ヶ月弱。

精神的な負担が大きすぎて、入院してい

る期間、病名すら忘れてしまっている。

 

入院期間と病名、そして病気が治ってい

て、明日一般病棟に移れることを伝えま

した。

驚いたような不思議な話を聞いたような

顔で僕を見つめる妻。

 

「そうなんだ。治ったんだ。忘れちゃっ

たみたい」

「忘れないようにメモするから、もう一

回教えて」と安どの表情を浮かべる。

 

目の前にある A3の紙に妻が書きこもう

としました。でもそれは、検査結果や治

療について書いてある紙です。

紙があるのは分かるのですが、何か書い

てあるのか白紙なのかは見えていない。

そのために紙を 1枚ずつめくって、メモ

できるかを一緒に確認していきました。

 

そのときに、一度置いた内線電話の子機

を持とうとしたら、妻はまた分からなく

なってしまいました。

ベッドの上のテーブルに置かれた子機。

そして時々間違えるテレビのリモコン。

その二つをじっと見ても分からない。迷

いに迷って・・・・・。

 

食事が終わっていたお茶碗を持ち、耳に

当てました。

「もしもし。もしもしお父さん」

「あれっ、聞こえない、なんで?」

 

「それは違うよ」とゆっくり話す僕。

 

お茶碗を置いた妻は周りを見渡しました

が、ほとんど見えていないようでした。

そして自分が座っているベッドのシーツ

をじっと見て、その一部をつまみ上げ、

クルクルと巻いて筒状にして話しかけて

きました。

「なんでこの電話は持てないの?ベッド

にくっついている」

「もしもし、もしもしお父さん。お父さ

んの声が聞こえないよ。聞こえない!」

 

ごめんね、わたし・・・(10月17日・前編(本日妻が亡くなりました㊴/㊿))

 

1ヶ月半ほど前に「お仏壇の長谷川」さ

んで、お盆に供える小さなセットを買い

ました。ちりめんで作られたホウズキと

精霊馬、提灯や迎え火・送り火の木を模

したロウソクが入ったものです。

精霊馬は、キュウリとナスに割りばしや

爪楊枝を刺し、盆棚や仏壇に飾るもの。

キュウリを馬、ナスを牛に見立て、亡く

なった人がお盆の時期に戻ってくるとき

に、馬に乗って少しでも早く家に帰れる

ように、お盆が終わって家から離れると

きには、牛に乗って少しでもゆっくりと

という意味がこめられてる。

そして提灯と迎え火は、帰ってくる人が

迷わないようにするための灯りです。

僕たちは初めて家で迎えるお盆なので、

何を揃えるのかも分かりませんでした。

妻が亡くなって初めて迎えるお盆。初盆

です。

初盆のときに灯すのは白い提灯。翌年以

降は絵柄入りや色付きの提灯を用意しま

す。こんなことも初めて知りました。


f:id:yururi-furu:20230717073522j:image

 

妻は移植がうまくいってから、食事やリ

ハビリだけでなく、精神的にも安定する

ことが多くなってきました。

会話も少しずつですが戻ってきて、こち

らが話すのを、すぐに理解できることも

多くなってきた。

特にリハビリでの歩行は、点滴スタンド

に摑まりながらですが、50m、100

m、200mと、順調すぎるぐらいに歩

ける距離が増えていき、妻からの連絡が

間違っているんじゃないかと思ったぐら

いでした。

 

そして、担当の H先生から、10月18日

に血液内科の一般病棟に移れるという話を

いただきました。今度の病室は入院したと

きとは違いナースステーション前の個室。

無菌室ではありません。

これを聞いただけでも、病気が良くなった

んだなという強い実感がありました。

 

 

無菌室から退室する前の日の 10月17

日に僕が一人で面会に行くと、担当の看

護師さんが神妙な表情で

「今日は奥様と何を話したか、お帰りの

際に教えてください」と言われた。何が

あったかは教えてくれなかったので、急

いで病室の前に行き、妻に内線電話で話

しかけると、妻は少しためらいながら

 

「ごめんね、わたし死のうと思うの」

 

集中治療室=ICU(本日妻が亡くなりました㊳/㊿)

 

数日前に、浜田省吾さんのツアーチケッ

ト当選のメールがきました。11月11

日の横浜アリーナ初日の S席です。

僕は、浜田さんがデビューしたころから

のファンで 47年も聴き続けている。で

もライブツアーを観に行くのは初めてで

す。なぜなら、あまりに好きすぎて、レ

コードや CD 、DVD、写真集と雑誌記事

なんかで自分の中で完結してしまい、ラ

イブで本人を直接見るのが怖いという変

な感情になってしまっていたからです。

そんな気持ちが変わったのは、今年の 5

月のこと。期間と指定映画館限定で上映

された浜田さんの 35年前のライブ映画

「A PLACE IN THE SUN at 渚園」を観た

から。そこで気づいたのは、浜田さんが

いま 70歳だったということ。

これはもう観ておかないといけない。

 

f:id:yururi-furu:20230703055055j:image

浜田省吾さんのHPより

 

移植がうまくいってから、妻は元気にな

っていきました。病院の昼食も、ご飯を

1/5食べた。バナナを半分食べられた。お

かずも 1/3食べた、という連絡が来るよう

になりました。しかもその連絡の LINEは

自分で打ったもの。写真もときどき添付

されている。

面会したときに気づいたのですが、顔色

がいい。頬に赤みが戻ってきました。そ

してリハビリもなんとか頑張って、初日

はほとんど歩けなかったのが、二日めに

は、点滴スタンドに摑まりながら 20歩

だけですが歩くことができた。その次の

日には 40歩。

更に刺激になったものが、リハビリ室。

そこには、自分よりももっと大変な思い

をしている人たちが、必死にリハビリを

していました。だから自分も頑張らない

といけないと思ったようです。

 

 

10月初旬に次男と妻の面会に行ったと

き、閉まりかけたエレベーターの扉に、

あわてて駆け込んできた 50代の男性が

いました。後ろから病院の職員さんが

ICUは 6階。6階!」と大きな声で呼び

かけてきた。

同乗したその男性は汗をかき、目に涙を

浮かべている。

 

ICUって、大変だな。知らない人だけ

ど、無事であればいいな)と思った僕。

でも ICUは、幸せな場所でした。

 

良い報告と一抹の不安(本日妻が亡くなりました㊲/㊿)

 

2023年6月19日、長女と上大岡の

TOHOシネマズさんで映画を観てきまし

た。少し前に公開された映画です。

「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムー

ビー」

 

僕を気づかった長女が、有給休暇を取っ

てくれたんです。

映画は、マリオの世界観をしっかり踏ま

えていて、マリオブラザーズだけではな

く、マリオカートルイージマンション

なんかも織り交ぜたストーリーで描かれ

ていた。マリオに対するリスペクトがあ

ふれ躍動的、本当に楽しい映画でした。


f:id:yururi-furu:20230622052357j:image

 

妻が、一生懸命にご飯を食べようとした

のには理由があります。

抗がん剤放射線治療をして食欲が無く

なったとしても、食べていけないわけで

はありません。食べたくなくなるだけ。

だから少しでも早く食事ができるように

なって、体を元に戻させたい。そのため

に僕は、何も食べようとしない妻に

「ご飯一口だけでもいいから食べよう」

「アイスやお菓子なら食べられる?」と

聞くようになっていました。

それが妻には、プレッシャーになってい

たのかもしれない。

 

特にこのころ、2022年9月中旬の妻

は、体調が悪いだけではなく、トイレの

感覚が鈍くなっていたのと、体力の落ち

方がひどく、スマホを持っていることや

数歩すら歩くのが難しくなってました。

だから妻は(家に帰りたい)という強い

思いとは裏腹に、(家に帰っても何もで

きないで寝ているだけかもしれない。何

の役にも立たなくなった自分が、家に帰

ってもいいのか)という、自分を責める

ネガティブ感情が強く交差していた。

「何もしなくていい。いるだけでいい」

何度そう話しても、申し訳なさそうにし

てうつ向いてしまう。

そういった感情から遠ざけるためにも、

妻が好きなお菓子や食事を勧めていたの

ですが、伝わっていないようでした。

 

 

2022年9月28日、妻の白血球と赤

血球の数値が戻りました。最低限必要な

数ではなく、健康な人と変わらないぐら

いの数まで。

やっと、やっと寛解した。

ただこの時あまり気にならなかったので

すが、血小板だけが少ないままでした。

 

「生きるためのヒント」だった(本日妻が亡くなりました㊱/㊿)

 

もと広島カープのエースだった北別府さん

が亡くなりました。プロでは 213勝を上

げた偉大な投手で、そのコントロールの良

さから「精密機械」と呼ばれていた。

北別府さんは、2020年1月に「成人 T

細胞白血病(ATL)」を発症していました。

息子さんをドナーとする骨髄移植を受けま

したが、その後も様々な病気を患って入退

院を繰り返し、最後は移植の後遺症が原因

となりました。

65歳で逝くのは、まだ早すぎます。

 

生前の北別府さんはこういったことを話し

ていた。

「無菌室の間はキツかった。1ヶ月が、2

ヶ月にも 3ヶ月にも感じた」

「野球の練習はすごくキツくて、こんな大

変なものはないと思っていたけど、無菌室

は比べ物にならないぐらい大変だった」

 

妻はこの時点で、無菌室生活は 2ヶ月間を

超えていました。そして最終的には無菌室

に、3ヶ月と7日間入院していました。

北別府さんの言葉通りだとすると、妻には

無菌室生活は、1年かそれ以上にも感じた

のかもしれません。

だったら、平常心でいるのは絶対に無理な

ことです。

 

f:id:yururi-furu:20230619050606j:image

現役時代の北別府投手

 

2022年は、妻と結婚してから 30年め

でした。

あまり無いことかもしれませんが、僕と妻

はケンカをしたことがありません。強い言

葉を使ったり、怒ったこともほぼない。

だから妻がこんな感じで一点を見つめなが

ら、やっと一口にも満たないご飯を食べ

「食べないとお父さんに怒られちゃう」

また 10粒程度をやっと口に運び

「食べないとお父さんに怒られちゃう」と

繰り返すのが理解できませんでした。

 

 

内線電話で僕が

「怒ったりしてないから、無理しないで」

と言っているのを聞きつけた看護師さんが

「お父さんは怒ったりしてないよ」と声を

かけてくれたにもかかわらず

「食べないとお父さんに怒られちゃう」と

一点を見つめたまま、また数粒だけのご飯

を口に運ぶ。

 

なにか、何も見えないで、何も聞こえてい

ないようなこの出来ごとが、実は「生きる

ためのヒントの一つ」だったのですが、こ

の時の僕には分かりませんでした。

 

お父さんに怒られちゃう(本日妻が亡くなりました㉟/㊿)

 

上高地での大正池から河童橋までのハイ

キングでは、以前妻と来た時のことを子

供たちに聞かれたので、一つ一つ思い出

しながら話して歩きました。

最初にバスを降りた妻が、大正池の中の

枯れた立木越しに見えた穂高岳を見て、

その雄大さに、しばらく見とれていたこ

と。田代橋そばの案内板の椅子に腰かけ

てお菓子を食べていたことや、河童橋

交わした会話なんか。

 

6月10日は、高山駅近くのホテルに泊

まって、食事の後に温泉に入ったり、マ

ッサージを頼んだりしながら、夜遅くま

で妻の思い出をみんなで話しました。本

当に一緒に来たかった。連れてきたかっ

たんです。


f:id:yururi-furu:20230618070018j:image

f:id:yururi-furu:20230618054140j:imagef:id:yururi-furu:20230618054200j:image

f:id:yururi-furu:20230618054258j:image

飛騨高山


f:id:yururi-furu:20230618054326j:image

f:id:yururi-furu:20230618054345j:image

白川郷

 

妻が無菌室に入院していたときは、まだ

コロナ禍だったので、一般病棟は面会が

禁止されていました。ただし無菌室は、

面会用の通路が隔離されていることと、

無菌室とは厚いガラスで仕切られて、感

染の可能性が無いために面会が許されて

いた。

 

僕が無菌室用の内線電話で妻に話しかけ

ている途中で、妻はハッと気づいたよう

な夢からさめたような顔して

「私はいま、お父さんと何を話していた

んだっけ?」

幸いなことに、さっきまでの別な人格は

どこかに消えて、許しを懇願したことも

覚えていないようでした。

「今日の体調とか、ご飯のことだよ」と

僕が答えると

「そうだ、ご飯を食べなくちゃ」とベッ

ドに付いている移動式のテーブルを自分

のほうに引き寄せて、テーブルの上のト

レイのお茶碗と箸を手にした。

 

この時点で、無菌室に入院してから、も

う 2ヶ月以上経っています。そしてその

間はほとんど何も食べていません。抗が

ん剤や放射線のせいで食欲が無くなった

ままです。1日に 500mlのペットボト

ルの水 1本飲む以外は、ほぼ点滴だけ。

でも、そろそろ食べられるはずなので、

この日から食事を出してもらいました。

 

 

本当は食欲が無くて食べたくない妻は、

お箸の先にお米をほんの 10粒ぐらいだ

けつまんで、やっと口に入れた。

どこか遠くの一点をじっと見つめて

「食べないとお父さんに怒られちゃう」

 

懇願の理由(本日妻が亡くなりました㉞)

 

2023年6月10日の土曜日から翌日

にかけて、1泊2日で、上高地~飛騨高

山~白川郷に行ってきました。HISさんの

バスツアーです。

今回も僕と長女、次男、僕の弟の 4人。

僕以外は初めてのバスツアーへの参加。

コース自体が良かった他に、バスがゆっ

たりタイプでストレスが少なかった。そ

して運転手さんが気さくなベテラン。ま

た、行先の知識が本当に豊かで、今まで

お世話になった運転手さんの中でも、最

もレベルの高い方でした。他には、ホテ

ルと食事が良かった。こちらも、これま

での中で一番でした。

 

上高地は、妻と行った初めての旅行先。

もう 30年以上も前のことでしたが、妻

が何度も何度も「すごく楽しかった」と

言っているのを聞かされていた子供たち

が、同じ所に行ってみたいと言ってくれ

た。そして本当なら、まだ行っていなか

った飛騨高山と白川郷に、今年の夏には

妻と行くつもりだった。


f:id:yururi-furu:20230618042947j:image

f:id:yururi-furu:20230613030213j:image

f:id:yururi-furu:20230613030826j:image

上高地大正池河童橋穂高岳

 

人は辛いことがありすぎると、こんなの

は自分じゃない。そう強く思って、心が

自分の人格と切り離されてしまうことが

あるそうです。

別の人格が現れてしまうことがある。

 

妻の場合がそうなのかは分かりません。

担当の H医師からも、そう言われた訳で

もありません。でも、妻に時々出てくる

子供のような人格は明らかにおかしい。

この人格は、子供たちが面会に来たとき

には出ません。かなり精神状態が悪い日

や時間帯で、僕が一人で面会に行った時

にしか現れませんでした。

 

 

僕に向かって「私を許してください」と

話した妻の声は、次第に幼い声に変わっ

ていきました。前にも現れた他の妻。別

な人格のように感じてしまう。

 

「大丈夫だよ。誰も怒ってないよ」と静

かに僕が話しかけると、妻は不思議そう

な顔をしました。

「だって私はきっと悪いことをして、罰

を受けているんだ」と話し、そのことを

許してほしいと思ったようです。

妻はこの無菌室から出られないことのス

トレスから、自分をどんどん追いつめて

しまって、自分を責め続けているようで

した。

 

許して、私を許して(本日妻が亡くなりました㉝)

 

つい最近、岡村孝子さんの記事を読みま

した。岡村さんは、ご存じのようにシン

ガーソングライターです。

「あみん」時代の「待つわ」を聴いてか

らのファンである僕としては、気になっ

てしかたがなかった。新曲が出るとか、

コンサートをやるとかのこともあったの

ですが、何よりもその体調がどうなった

のかを知りたかったんです。

2019年1月に、競泳の 池江瑠花子さ

んが「急性リンパ性白血病」になったの

と同じころ、岡村さんも病気になりまし

た。妻と同じ「急性骨髄性白血病」。岡

村さんは妻とは違い、臍帯血移植で治す

ことができた。入院期間は約 5ヶ月。そ

れでもおそらく無菌室には 1ヶ月半は入

院していたはずです。その間、やはり不

安に襲われた。

(治らないんじゃないか。死んでしまう

んじゃないか)という不安。

でも本当に幸いなことに、寛解。その後

の状態も良いようで、数日前には、神戸

でのコンサートを、たくさんのファンの

前で無事に行うことができました。変わ

らない優しく澄んだ歌声と愛らしいルッ

クス、元気になって本当に良かった。

 

f:id:yururi-furu:20230605053338j:image
岡村孝子さん

 

長男の言った「妹と弟」の奨学金を全額

自分が返すという言葉に対し

「そんな金額を払ったら、貯金が無くな

ってしまうよ」と話した僕。

「大丈夫。まだ半分近く残るから」

 

驚く僕がよく聞いてみると、長男は 3人

の学費の大変さを考えて、大学生のころ

からお金を貯めていたそうです。全員の

学費を、自分が払えるようにするのを目

標にしていたとのこと。だからアルバイ

トをたくさんしていた。また、就職して

からもしっかりとお金を貯めて、この時

に備えていました。

 

このことと、孫が生まれることを話した

ときの妻は元気を取り戻し、気持ちが前

向きになっていく。頑張って早く退院す

るという言葉を口にするようにもなって

いきました。

 

 

しかし移植の結果が分かる数日前に、僕

が一人で面会に行くと、妻が無菌室のガ

ラス越しの僕に向かって手を合わせ、

「許して、私を許して下さい」と、涙を

浮かべて拝み始めました。

 

長男の話し(本日妻が亡くなりました㉜)

 

2023年5月28日の日曜日、僕の弟

と一緒に、潮来あやめ祭りに行ってきま

した。

ここも同じように、妻と行く予定だった

場所です。昨年は入院していたので、来

年行きたいねと話していた。

 

でも本当は難しいと思っていました。退

院してからのリハビリは、かなり時間が

かかるから。

生ものが食べられるようになるのは、退

院してから 1年後。だいたいの家族が、

ちょっと高いお寿司を取ってお祝いする

ようです。また、髪の毛が戻ってくるの

は約 1年半後。それでもベリーショート

に戻るのがやっとです。


f:id:yururi-furu:20230531001527j:image

f:id:yururi-furu:20230531001544j:image

鹿島神宮


f:id:yururi-furu:20230531001601j:image

f:id:yururi-furu:20230531001624j:image

潮来あやめ祭りと嫁入り舟


f:id:yururi-furu:20230531041749j:image

f:id:yururi-furu:20230531001641j:image

f:id:yururi-furu:20230531001703j:image

伊能忠敬の生家と記念館


f:id:yururi-furu:20230531002042j:image

f:id:yururi-furu:20230531002056j:image

香取神宮

 

妻が見たという、夜中の神様らしい方か

らのお告げ。僕にはちょっと信じられま

せんでした。だって夜中には誰も来ない

し勝手に入れない。ただ妻が、髪の毛を

条件にされたとしても「治る」というこ

とを信じてくれるのであれば、それでい

いんです。気持ちが維持できればいい。

 

「髪も戻るし病気も治るよ」と言うと

「あんまり欲張らないほうがいいんだ。

治ればいいんだ」と妻。

 

このとき妻の気持ちを支えていたのは、

もちろん家族です。妻の父母、兄弟、僕

と子供たち。ほとんどの友人と知人には

病気のことを知らせていません。

中でも大きかったのは長男のことです。

妻が病気になる 5ヶ月前に結婚したばか

りの長男には、もう少しで男の子が生ま

れる予定でした。

(早く孫の顔が見たい)

折れそうな、または折れた気持ちを戻す

のは、そのことが本当に大切な役割を果

たしている。

 

そしてもう一つは奨学金のこと。

三人の子供が高校 2年から行っていた塾

と私立大学の学費の合計は 2500万円

近くになっていました。長男の学費は現

金で払いましたが、長女と次男には奨学

金を借りてもらい、僕が支払うことにし

ていた。

 

 

妻が入院する少し前に、長男から電話が

ありました。

「お父さん、妹と弟の奨学金はいくら残

ってるの」

僕が 650万円ぐらいかなと答えると、

長男は

「俺、現金で全部払うよ」と言った。

 

願いの代わりに(本日妻が亡くなりました㉛)

 

5月は、妻にとって嬉しい月でした。

1日は結婚記念日、第 2日曜日は母の

日、24日は妻の誕生日。

去年はもう入院していたので、退院した

らその分のプレゼントとケーキを買って

もらうと言っていました。

「お金がかかるから覚悟しておいて」と

笑っていた。

 

でもそうはならなかった。プレゼントも

無く、ケーキはお仏壇にお供えするもの

になってしまいました。

母の日のカーネーションも買わない。代

わりに長女が、ドライフラワーのリース

を用意してくれました。


f:id:yururi-furu:20230530005115j:image

長女が用意した母の日のリース

 

この病気が治らないと無菌室から出られ

ないことは分かっていても、感情が抑え

られず、思っていることを吐き出して泣

きじゃくる妻。

 

「病気がちゃんと治らないと、別な病気

になってしまうよ」と僕が言うと、

「もう無理なの。別な病気になってもい

いからここから出る!」

「かえって入院が長くなるよ。もう少し

だけ頑張ろう、ねっ、もう少しだけ」

 

この時の妻の気持ちは痛いほど分かる。

担当の H先生に「移植がうまくいかない

ことは考えなくてもいい」と言われてい

たのに、もう白血球が増え始めなければ

いけない時期なのに、まったく白血球が

増えてこない。それどころか体調がどん

どん悪くなっていく。手が震え、目で見

たものや耳で聞いたことの意味も分から

ない。そして記憶する力が落ちている。

いま話したことを、すぐ忘れてしまう。

妻は、自分がどんどん変わっていくこと

に絶望感を覚え、自分がなんの役にも立

たない人間になっていくと焦り、生きる

力を失ってきていました。

 

妻の大きな泣き声を聞いた看護師さんが

駆けつけて、妻の体をさすりながら言葉

をかけ落ち着かせてくれた。その後には

メンタルケアのお医者さん達も来て、サ

ポートしてくれました。

 

 

落ち着いた妻が僕に

「私の抜けた髪の毛はもう戻らないけど

いいんだ。諦めたんだ」

「時間はかかるけど戻るよ」と僕。

 

「だって約束してくれたんだ。髪の毛は

戻らないけれど、病気は治してくれるっ

て。神様みたいな人が夜中に来たんだ」

 

一緒に家に帰るよ(本日妻が亡くなりました㉚)

 

2023年5月5日、妻の弟さんの 49

日法要が行われました。妻のときと同じ

場所、東戸塚の「合掌の郷」さんです。

この日も穏やかな天気。風もなく、柔ら

かな陽射しが差し込んでくる。

集まったのは、家族と数人の親族だけの

小さな法要。妻のときと同じような顔ぶ

れが、たった 5ヶ月後にまた揃うことに

なってしまいました。


f:id:yururi-furu:20230524040029j:image

ガリガリ君(赤城乳業さんのHPより)

 

ガリガリ君」は、埼玉県深谷市にある

赤城乳業さんを代表する氷菓。ステイッ

ク状のアイスキャンディーです。ソーダ

味が一番ポピュラーで、夏になると必ず

食べたくなる。

その赤城乳業さんのガリガリ君は、令和

元年 6月に日本緩和医療学会の学術大会

で表彰されています。受賞をされたのは、

「最優秀緩和ケア食の維持賞」。表彰状

には「緩和ケアを受ける患者さんの食の

維持を支え、生活の質の維持向上に多大

な貢献をされました」と書いてある。

これはどういうことかと言うと、末期が

んの患者さんの食べることに貢献したと

いうものです。

この状態の患者さんは、もう食べること

ができなくなってきています。そして更

に、唾液が出なくなって口の中が乾いて

しまう。そんなときでも食べられるもの

が、冷たくて口の中でホロリと溶けるガ

ガリ君です。患者さんの多くが、食べ

ることの喜びを思い出し、本当に嬉しそ

うに食べるようです。

 

妻はこのときは体調がすごく悪く、無菌

室のベッドから起き上がれないことも多

くなっていました。

そして唾液が出なくなり、口の中が乾い

てしまう。無菌室に入ってから既に2ヶ

月を過ぎた 2022年9月中旬、何かや

っと気力を振り絞って、一日一日を耐え

ているようでした。

 

 

以前書いたように、僕の仕事先に妻から

「家に帰りたいから迎えに来て」と電話

がかかってきたことがありました。

 

この日も僕が一人で面会に行くと、泣き

じゃくりながら、妻が訴えてきました。

「家に帰りたい。本当に帰りたいの。も

う治療しない。一緒に家に帰るよ。一緒

に家に帰るよ」

 

ガリガリ君(本日妻が亡くなりました㉙)

 

2023年5月4日、孫の顔を見に、長

男の転居先の宇都宮まで、自分の車で行

ってきました。長女と次男、僕の弟と一

緒です。

孫に会うのは、もちろん妻の楽しみだっ

たはず。そしてその途中で、これもまた

妻と行く予定だった群馬県桐生の「宝徳

寺」さんと、栃木県足利の「あしかがフ

ラワーパーク」さんに立ち寄りました。

宝徳寺さんの「新緑床もみじ」はみごと

なもので、大きな感動を覚えた。また、

石庭や風ぐるまのトンネルも、参拝する

方を楽しませてくれるものでした。


f:id:yururi-furu:20230508050905j:image


f:id:yururi-furu:20230508051047j:image

f:id:yururi-furu:20230508051424j:image

宝徳寺さん


f:id:yururi-furu:20230508051400j:image

あしかがフラワーパークさんの紫大藤

 

前回のタイトルの「小さい わたし」は、

イラストレーターである 益田ミリさんの

エッセイから取ったものです。ポプラ社

さんから出版されています。

読書好きの妻は、いつも 3冊ぐらいの本

を併読していました。この本は妻が最後

に読んだ本。すごく気に入ったようで、

何度も読み返していました。

 

胸の痛みが強くなってから数日後、やっ

と薬が効いたのか、少しずつ痛みが和ら

いできました。でも肺と頭の感染症は、

ほとんど変わらない。そして理由は分か

りませんが、その日によって体調の波が

大きくなっていった。いや、午前と午後

でさえもすごく違っている。

 

通常、無菌室の入院期間は 45日程度。

臍帯血移植で治る 80~90%の患者さ

んは、この期間で終わります。それでも

夜に眠れないまま無菌室の天井を見つめ

ながら、

「このまま治らないんじゃないか」

「死んでしまうんじゃないか」

とみんなが思うそうです。

妻は 2回めの移植のため、このとき既に

無菌室に入院してから 60日を超えてい

ました。つまり他の患者さんよりも、とて

も辛い思いをしている。

 

 

そんな時に妻から

「口の中が乾いてしょうがない。看護師さ

んに聞いたら、飴やガム、レモン水や氷系

のアイスがいいみたいだから買ってきて」

と連絡がありました。

言われた物を買って病院に届けた。アイス

は、ガリガリ君と爽の洋なし味。

 

僕は忘れていました。

がん患者さんが末期症状のとき、亡くなる

少し前に、異常に口の中が乾くことを。

 

小さい わたし(本日妻が亡くなりました㉘)

 

2023年5月3日、横浜の鶴見にある

曹洞宗大本山総持寺さんに、お参りに

行ってきました。

 

毎年のこと。

 

なぜなら、8年前に亡くなった僕の父の

命日だからです。

今年は、昨年までのコロナの規制がなく

なって、建物の中に入ることができまし

た。その中では、数年ぶりにたくさんの

僧侶の方が修行をしていた。

置かれていた椅子に座り、それを見なが

ら手を合わせた。コロナ前と同じことを

しているようですが、違います。昨年ま

では父を偲んで手を合わせていました。

 

でも今年からは、父と妻、そして妻の弟

さんの三人を偲ばなければならない。

たったの 1年でこんなにも変わってしま

いました。


f:id:yururi-furu:20230507045114j:image


f:id:yururi-furu:20230507045132j:image

総持寺さん

 

僕に「泣き虫」と言って笑った妻は、そ

の日が、入院してから 5ヶ月弱で初めて

体調の良い日でした。

 

翌日からは胸の痛みが強くなり、咳が止

まらなくなってしまった。感染症が頭に

も影響が出たせいか、手が震えるように

もなってしまいました。少し前からスマ

ホが重く感じて、持てなくなっていた。

だから LINEが途絶えたんですが、手が震

える上に、色々なことが分からなくなり

ました。

少しずつ耳で聞いたことが理解できなく

なったり、見ている物が認識できなくな

ってきた。

「目が見えない。耳が聞こえない」と訴

えてきたのは、これらの症状のため。

面会のときに内線電話で話していると、

どこか遠くを見て集中できなくなること

や、目の前にあるものが分からない。

 

病院からの説明では、病気と治療による

強いストレスとせん妄だとのこと。

ただ、せん妄にしては期間が長いし、ス

トレスだけでこうなってしまうのかが、

僕たちには理解できません。どちらかと

いうと、感染症が頭に影響を及ぼしてい

るんじゃないかと思ってしまいます。

 

 

この面会中に妻が

「大人になってから、こんなに痩せたの

初めてなんだよね」と言ってきました。

 

気がつくと、レンタルしているパジャマ

がダブダブした感じになっている。いつ

の間にか、妻はひと回りぐらい小さくな

っていました。

 

お父さんは泣き虫(本日妻が亡くなりました㉗)

 

2023年4月10日 長野市善光寺

行ってきました。一人でです。

本当であれば、昨年行われた御開帳のと

きに妻と行く予定だった。予約をしてい

たのですが、その直後に妻が病気になっ

たため、HISさんに電話でキャンセルをし

ました。

キャンセルした後も、病気が治ったら行

くつもりだったけど、結局はそれさえも

叶わなくなってしまったので、新しく買

ったキャメル色の革のキーホルダーに入

れた写真の妻を連れて行ってきました。

 

善光寺

 

富岡製糸場

 

「昨日妻が急性白血病になりました①」

「昨日妻が急性白血病になりました②」

これらの記事と、今の

「本日妻が亡くなりました」と書き方が

違うのは、僕の記憶が薄れるのを待って

書いているからです。細かい日時と当時

を照らし合わせて完全に思い出すのは、

まだ精神的に無理なんです。

いや、もしかしたら、一生無理なのかも

知れません。もしこの現実を完全に受け

止めることができるとしたら、自分の一

生が終わる時だけなのかもしれない。

 

2022年9月中旬、妻の肺に溜まった

水はなかなか抜けませんでした。

数日おきの輸血と白血球の代わりの抗生

物質投与。肺の水を抜くための利尿剤。

痛み止め。咳止め。吐き止め。睡眠導入

剤。他にもその日の状態に合わせたたく

さんの薬。常に点滴の管が腕に繋がって

る状況で、それが複数のときさえある。

そのせいか、水を抜くための利尿剤を使

っているにもかかわらず。心臓にまで水

が溜まり始めました。そしてその水が心

臓を圧迫するために、胸の痛みが強くな

っていった。

 

 

その日は何か予感がして、僕は勤務中に

妻に電話をしました。ふと心配になった

からです。

 

でも電話に出た妻は、すごく楽しそうに

笑っていた。

「いまね、看護師さんと話していたんだ

よ。何だと思う?」

「わかんないよ」と僕が答えると、

「うちのお父さんは、実はとっても泣き

虫だってこと!」

「なんだよ、それ」

「だって私が病気になってから、何回も

何回も泣いてるじゃん」

 

「あのな・・・」

 

それが、妻が楽しそうに笑っていた最後

の声でした。