yururi-furu’s blog

ゆるりと続けるフルコミ営業

この7年で3回以上泣きました(昨日妻が急性白血病になりました① ・ ⑥/㊿)

 

そのときはマンションの管理室にいて、

研修や点検の準備をしていました。

なぜか胸騒ぎがして落ち着かない。自分

にできることなんか何もない。ただ娘か

らの連絡を待っているだけ。

そこに娘からのLINE。

一瞬の間のあと、止められない嗚咽。涙

があふれて周りが見えなくなりました。

 

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周りに誰もいない時間だったので、しば

らくはそのまま泣き続けました。どうや

っても止めることができません。

涙と嗚咽が止まったのは娘のことを考え

たからです。付き添いをしてたので、検

査結果を担当医から初めに直接聞かされ

た。もっとショックが大きかったはず。

それを思うと申し訳なくて、こんなこと

をしていられない。それに一緒に結果を

聞いた妻のほうがもっともっと驚いてい

るに違いない。まったくこんなことは考

えていなかったかもしれない。

 

実は、この7年間で泣いたのは3回目で

す。最初は、7年前の5月。認知症がす

すみ咽頭がんにもなって、3年以上も入

院していた父親が亡くなったとき。

もう僕の顔をみてもなかなか思い出して

くれない。どこかうつろで、手の力が無

くなっていた。担当のお医者さんには、

咽頭がんよりも肺炎のほうがはるかに怖

いと言われていました。高齢者は、肺炎

で亡くなる人がすごく多いんだと。

3年以上も入院していると、なんという

か覚悟ができてきます。だからその時が

きても、淡々としている自分が想像でき

ました。とにかく冷静で、セレモニーを

こなしていく自分が見えたような気がし

ていました。

でも実際は違っていた。自宅の和室で、

白い死に装束に包まれて横たわっている

父親。そこに三途の川の渡し賃を入れた

袋を持たせ足袋を履かせる。青白い顔。

冷たくなった手や頬。もう何も言ってく

れません。

 

 

そして火葬場に向かうときに、父を乗せ

た車の助手席に座り遺影を持って前を見

ると、ご近所の人たちがこちらを向いて

手を合わせていました。車が出発すると

きに鳴らした長いクラクション。それを

聞いたとたんに、あふれ出す涙。

もう止めることができませんでした。