yururi-furu’s blog

ゆるりと続けるフルコミ営業

いまから家に帰ります(昨日妻が急性白血病になりました② ・ ㊸/㊿)

 

9月20日の火曜日、連休が明けた日。

この日は血液検査がありました。

 

血液検査の結果はその日のうちに分かり

ます。また前の週に行われた骨髄検査も

結果が分かるころ。でもなぜか検査結果

が知らされない。

「もう少しかかります」という看護師さ

んの話しだけです。

 

trust-work.jimdosite.como売斜線8

 

何か違和感を感じながら、23日の祝日

も面会に行くことにし、その前に病院か

らの連絡がないかと、ずっと携帯電話を

持ったまま毎日待ち続けていました。

 

鎌倉の上行寺。かさ守稲荷と身代わり鬼子母神

祀られ、癌や病気などの禍を封じてくれる

 

22日、不安になった妻からの電話。

「いまから家に帰る。迎えに来て」

   ・

「本当に帰るから、迎えに来て下さい」

   ・

   ・ 

   ・

   ・

   ・

もうこの状況に耐えられなくなった妻が

泣きながら、治療を止めて家に帰りたい

という連絡をしてきました。もちろんそ

んなことはできない。白血球が一つもな

い状態で無菌室からは出られない。そん

なことをしたら、あっという間に何かに

感染して命を落としてしまう。

それが分かっていても、家に帰りたいと

声を絞り出し、電話してきました。

 

そして、

「H先生が何も話してくれない」

「やはりだめなんだと思う」

「だってあれだけ自信満々で移植の話を

していたのに、結果がぜんぜん出ない」

「それに、3回目の移植の話しが出た。

こんな辛い治療は、もう耐えられない」

「臍帯血移植だって。それって前に戻っ

てない。だめだった移植をもう一回やる

意味が分からないよ。まただめってこと

になるよ」

   ・

   ・

「あとどれぐらい生きられるのかな」

 

僕もあれから何も知らされてないので、

具体的なことが答えられない。ただ慰め

る言葉を選んで繰り返すだけです。

「23日も面会に行くから、そのときに

聞いてみるよ。もう少しだから」

それがせいいっぱいの言葉でした。

 

 

23日に長女と面会に行くと、すごく体

調が悪そうな妻がいました。更に顔色が

悪くなって、体を起こすことも難しい。

その面会中に他の医師が近くに来て、

「あとで、13階に寄ってください」