2023年5月28日の日曜日、僕の弟
した。
ここも同じように、妻と行く予定だった
場所です。昨年は入院していたので、来
年行きたいねと話していた。
でも本当は難しいと思っていました。退
院してからのリハビリは、かなり時間が
かかるから。
生ものが食べられるようになるのは、退
院してから 1年後。だいたいの家族が、
ちょっと高いお寿司を取ってお祝いする
ようです。また、髪の毛が戻ってくるの
は約 1年半後。それでもベリーショート
に戻るのがやっとです。
伊能忠敬の生家と記念館
妻が見たという、夜中の神様らしい方か
らのお告げ。僕にはちょっと信じられま
せんでした。だって夜中には誰も来ない
し勝手に入れない。ただ妻が、髪の毛を
条件にされたとしても「治る」というこ
とを信じてくれるのであれば、それでい
いんです。気持ちが維持できればいい。
「髪も戻るし病気も治るよ」と言うと
「あんまり欲張らないほうがいいんだ。
治ればいいんだ」と妻。
このとき妻の気持ちを支えていたのは、
もちろん家族です。妻の父母、兄弟、僕
と子供たち。ほとんどの友人と知人には
病気のことを知らせていません。
中でも大きかったのは長男のことです。
妻が病気になる 5ヶ月前に結婚したばか
りの長男には、もう少しで男の子が生ま
れる予定でした。
(早く孫の顔が見たい)
折れそうな、または折れた気持ちを戻す
のは、そのことが本当に大切な役割を果
たしている。
そしてもう一つは奨学金のこと。
三人の子供が高校 2年から行っていた塾
と私立大学の学費の合計は 2500万円
近くになっていました。長男の学費は現
金で払いましたが、長女と次男には奨学
金を借りてもらい、僕が支払うことにし
ていた。
妻が入院する少し前に、長男から電話が
ありました。
「お父さん、妹と弟の奨学金はいくら残
ってるの」
僕が 650万円ぐらいかなと答えると、
長男は
「俺、現金で全部払うよ」と言った。