yururi-furu’s blog

ゆるりと続けるフルコミ営業

追記! たびキュン早割パス

 

先日書いた記事の「キュンパス」を見て

くれた人が多かったので、追加の記事を

書いてみます。

 

これまでに無かったようなお得な切符の

キュンパスですが、家族や知り合いに話

してみても知っている人がまったくいな

かった。

JR東日本さんのホームページや駅のポス

ター、そしてチラシなんかも置いてあり

ますが、見てるようで実は見ていない。

 

だからもう一回書きます。

 

JR東日本のフリーエリアを 1日 1万円で

乗り放題。平日限定ですが、各駅停車だ

けでなく、急行、新幹線を含む特急も乗

り放題。指定席も 2回まで利用可能な、

本当にお得な切符です。

 

他の方のユーチューブやブログでも紹介

されていますが、ほとんどが紹介だけで

終わっている。具体的な予約のしかたや

買い方までは出ていません。たぶん、実

際にキュンパスを買っていないからじゃ

ないかな~と思います。

前回の記事で予約や買い方は書いてある

ので、今回は実際にどこに行ったらいい

かを考えてみます。

 

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長野の善光寺もいいですね! 

新幹線往復(指定席)で 16,680円が 1万円!

 

いきなりですが、僕の答えは「仙台」や

「新潟」の日帰り旅行。

理由は、移動の片道時間が 2時間以内と

短いため無理なく遊べて、本来だと往復

2万円以上かかるから。お得感が高い。

また、東北新幹線を使って、スノボなん

かもいいですね。

日帰りが一番お得です。

 

少し前に知り合いが、新潟にスノーボー

ドをやりに行きました。平日に始発の新

幹線で行ったのに、やけに混んでた。

・・・なんで?・・・と言ってました。

たぶん、キュンパスのせい。知っている

人はドンドン使っているみたいです。

 

またこの時点で、東北新幹線の 3月14

日までの「はやぶさ」と「はやて」の、

始発から 8本目まで(10時台まで)の

普通車指定席は既に満席です。

もう予約すらできません。

逆に、3月15日以降は空席だらけでガ

ラガラ。ものすごくはっきりしている。

 

ちなみに僕は、3月上旬に 2回目のキュ

ンパス旅行に行きます。

一応、参考までにこんな感じのスケジュ

ールです。

 

 

(村上と新潟の日帰り旅)

東京駅 6:08発

    (JR上越新幹線 とき301号)

新潟駅 8:01着

新潟駅 8:22発

    (JR羽越本線 特急いなほ1号)

村上駅 9:07着

    イヨボヤ会館

    永徳鮭乃蔵本店

    堆朱のふじい

    御菓子司酒田屋

    安善小路(黒塀通り)

    千年鮭きっかわ

    町屋の人形さま巡り

 

村上駅 12:14発

    (JR羽越本線 緩行)

新潟駅 13:35着

    ラーメン無尽蔵花園家

    萬代橋

    バスセンターでミニカレー

    今代司酒造見学(予約済み)

    ピアBandai で夕食など

    Befcoばかうけ展望台

 

新潟駅 18:58発

    (JR上越新幹線 とき344号)

東京駅 20:58着

 

 

本日 2月22日現在、キュンパスが予約

できるのは、3月7日と 8日。11日~

14日まで。

あと 6日しかありません。

 

ぜひ、出かけましょう!!

 

超お得! JR東日本たびキュン早割パス(旅せよ平日!)

 

JR東日本から、今までにない超お得なフ

リー切符が発売されています。それは、

 

キュンパス です。

 

JR東日本のフリーエリアを 1日 1万円で

乗り放題。緩行線だけでなく、急行、新

幹線を含む特急も乗り放題。指定席も

2回まで利用可能です。

 

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JR東日本さんのホームページより

 

通常こういった切符は、急行や特急の利

用ができなかったり、できたとしても指

定席の利用はできませんでした。

でもこの切符はそれらが可能なんです。

 

たとえば東京駅から秋田駅まで新幹線を

使うと、片道 18,020円。往復だと乗

車券が 2割引きになります。それでもけ

っこう高額。ちょっとハードですが、キ

ュンパスだと朝早い新幹線で行ってたっ

ぷり遊び、最終の新幹線で帰ってきても

1万円。これだと何と約 70%オフ!!

これを使わない手はない。

 

仕事で、駅員さんと話す機会があります

が、彼らの中でもすごく盛り上がってい

ました。

なぜなら、駅の改札やみどりの窓口にい

る駅員さんの中には JR東日本の社員じゃ

ない関連会社の駅員さんもいて、その駅

員さんは鉄道パスがもらえません。

鉄道パスとは、JR東日本の運賃が無料の

上に、新幹線は半額になる等のパス。パ

スを持っていない駅員さんも旅行好きが

多い。でも旅行では運賃は自腹なので、

これはちょっと痛い。

だからこういった超お得な切符には敏感

なんです。

 

この時期に発売したのは、高校生や大学

生を応援するためじゃないかと言われて

います。ポスターのデザインの、たくさ

んのハートの中の笑顔。そしてこの切符

の利用期間がそれを表している。

2月14日~3月14日の平日。

そう、バレンタインディからホワイトデ

ィまでです。

この期間にいっぱい思い出を作ってくだ

さいというもの。

 

うまいなと思ったのは、この時期は閑散

期です。特に始発や終電の新幹線は乗車

率が低い。でもこの切符では遠くに行っ

たほうがよりお得なので、そこを埋める

にはうってつけなんです。

 

 

 

(キュンパスの特徴と注意点)

 

・利用できる期間(平日のみ)

 2024年2月14日~3月14日

 

・発売期間(利用期間と異なります)

 2024年1月14日~2月29日

※利用日の 2週間前までにしか購入でき

 ない早割パス。2月15日時点で購入

 できる切符は 2月29日。3月1日。

 3月4日~3月8日。3月11日~

 3月14日。

 もう 11日間しか残っていません。し

 かも東北新幹線の早い時間帯の指定席

 は満席になっているものもあります。

 

・利用できるエリア

 JR東日本フリーエリア

 (JR東日本全線と関連 5鉄道)

 

・予約できる条件

 えきねっと会員限定(会費等無料)

 

・予約できるところ

 キュンパスのサイト

えきねっとからは予約できません

サイトから予約できると、予約完了のメ

ールがきます(支払い期限と QRコード

添付されています)

 

・座席指定のやり方

(キュンパスを購入してから)

 みどりの窓口で指定するか、券売機か

 ら発券したパスを券売機に入れて指定

 

・値段

 1万円

 

・支払い方法

 クレジットカード

 みどりの窓口や券売機等

 

・切符の受取方法

 みどりの窓口および券売機(下の写真)

 

・こども用

 なし

 

・利用制限

 なし(年齢や枚数制限はありません)


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(切符の受け取り方)

えきねっと会員になり、キュンパスサ

イトから申し込み。受付けされるとメー

ル(支払い期限とQRコード付)がきます

 

メールの届いたスマホを持っていき、

緑の「インターネット予約の受取り」を

タップする

緑の「えきねっと予約の受取り」をタッ

プする

クレジットカードと QRコードのどちら

かを選ぶ(今回は QRコードを選択)

右下の窓が赤く光るので、そこに QR

ードをかざす

切符を選ぶ

 


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指定席は、左上の「指定席」をタップ

上記画面になったら、左下の

「回数券・おトクなきっぷに座席指定」

をタップ

発券されたキュンパスを左下の切符挿入

口に入れ、新幹線等の座席を指定する

 

 

 

僕の考えたHard参考プラン(青森日帰り)

 東京  06:32発(新幹線はやぶさ 1号)

     駅弁の朝食

 ↓

 新青森 09:49着 

     10:32発

 ↓

 青森  10:38着

     青森駅前市場の市場食堂で昼食

     ↓

 (バスあるいはタクシー)

     三内丸山縄文遺跡見学

     青森美術館見学

      ・シャガール

      ・奈良美智氏の青森犬

      ・ウルトラマン原画

     ↓

 (バスあるいはタクシー)

     青森駅

     ワラッセ(ねぶた博物館)

     八甲田丸(青函連絡船)見学

     Aファクトリー(飲食・物販)

     アスパム(イベント・土産等)

     ラビナ(飲食・物販)で夕食  

 ↓ 

 青森  19:26発

 ↓

 新青森 19:31着

     19:44発(新幹線はやぶさ 48号)

 ↓

 東京  23:04着

 

人気の駅弁・牛肉どまん中
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青森駅近くのモニュメントと青森ベイブリッジ
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青森駅のりんご自販機
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青森駅 みどりの窓口の郷土品紹介コーナー

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浅虫温泉 鶴亀屋食堂のまぐろ丼

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遮光土偶

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ラッセ

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ラッセ

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ラッセ

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ほぼ凍ってる八甲田ロープウエイ山頂駅

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八甲田山樹氷

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ロープウエイ駅前のバス待合所

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酸ヶ湯温泉

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三内丸山縄文遺跡

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キュンパス(座席指定すると赤で印字されます)

座席指定券は別に出てきます

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たっぷり遊べます。

また、八甲田山でスノボをやって、酸ヶ

湯温泉の「ひば千人風呂」に入るのもい

いかもしれません。

かなり疲れそうですが・・・W

 

毎週予約している駅員さんもいます!

ぜひ、キュンパスで出かけましょう!!

 

ありがとうの答え(本日妻が亡くなりました㊿/㊿)

 

2024年1月20日の午後、合掌の郷

さんで、妻の弟さんの一周忌法要の打ち

合わせと、妻と妻の弟さんの合同納骨式

の打ち合わせを行いました。

出席したのは妻のお母さんと妻のお兄さ

ん、そして妻の弟さんの奥さんと僕。事

前に予約しての打ち合わせでしたが、係

りの人に

「お二人一緒の納骨ですか?」と確認さ

れました。去年の二人の新盆のときもお

坊さんに

「お二人ですよね?」と言われた。

 

家族が続けて亡くなったり合同で納骨を

行うのは、交通事故か災害にあったとき

ぐらいだそうです。この霊園でも 1年に

数えるほどしかない、稀なケース。


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①2020年2月4日 長崎市眼鏡橋のハートの石

②2024年2月13日の横浜の青空

 

葬儀屋さんに着いて、これからのスケジ

ュールを聞いた後、担当さんから

「奥様に会っていかれますか?」と声を

かけられ、安置所に案内されました。

小さな部屋の左側に、3人分の安置扉が

あった。

その手前側に妻の名前がありました。

扉を開けて、ステンレス製の棺の蓋を開

くと、横たわっている妻の顔が見えた。

その頬にそっと触れた僕は、足元が崩れ

ていくような、体の力が抜けていくよう

な感覚に襲われた。

病院の霊安室で面布を外したとき、妻に

はもう体温がありませんでした。

でもここで触れた妻の頬の冷たさは全く

別のもの。冷凍庫の物の冷たさです。

当たり前ですが生きていない。そしてそ

の現実が何度も何度も突きつけられる。

そんなもの、こらえられる訳がない。

 

 

翌日、妻の両親と僕、そして子供たちと

一緒に葬儀の打ち合わせに行きました。

2時間近い打ち合わせが終わり、疲れた

足で自分の車に乗ろうとしていたとき、

何気なく僕がつぶやいた言葉は

「お母さんのあの小さな温かい手を、も

う一度だけ握りたい」

子供たちは黙って頷いた。

 

その時、近くを歩いていた 30代ぐらい

のお母さんと 3歳ぐらいの小さな女の子

がいました。まったく知らない親子。

でも目が合った瞬間その女の子がお母さ

んの手を離して、真っすぐ僕の所に走っ

てきた。そして満面の笑顔を見せ、小さ

く温かな手で僕の手をしっかり握った。

「ありがとう」という言葉を添えて。

 

たぶん偶然。きっと。

 

でも何か救われた気がしました。

妻がくれた答えだと思いたかった。

 

 

 

ここでこの病気の話は一旦終わります。

別な記事をいくつか書いたあとで、僕が

この妻の病気で気づいた伝えたかったこ

とを書きます。

どこにも書いていない「気づき」です。

 

青空のゆくえ(本日妻が亡くなりました㊾/㊿)

 

2023年12月30日から 3日間、青

森に帰省しました。年末年始に実家にい

るのは学生のとき以来で、数十年ぶり。

妻が亡くなってから初めての帰省です。

 

実家の仏壇の真ん中に置かれた妻の小さ

な写真。なぜそこに妻の写真がなければ

いけないのか分からないし、感情が抑え

られない。

 

僕の母親も

「たった一つ願いが叶うとすれば、帰っ

てきてほしい」と泣いていた。

 

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夏泊半島から見えた初日の出

②浅所海岸の白鳥

浅虫温泉にある鶴亀屋食堂の大間マグロ丼

 

妻の顔にかけられた白い布は、面布や打

ち覆い と言います。

これは、亡くなった方の尊厳を守る、変

化していくのを見えないようにする等の

意味がある。ただ、悲しみの最大の象徴

に思えて、その場では、何も考えられな

くなってしまった。

 

その後、会議室のような所に親族全員が

呼ばれて、亡くなるまでの経緯の説明を

受けました。ただ亡くなった原因はまだ

分からないため、現況から、胃か腸、あ

るいは肺から出血して、それが喉に詰ま

ったのではないかとのことでした。

原因の究明とこれからの人のために病理

解剖を承諾し、僕たちは病室に戻り、妻

の両親と兄弟は家に帰っていきました。

 

病室に戻ると、看護師さんから葬儀社の

リストを渡されました。16時ぐらいに

は病理解剖が終わるので、そのころまで

に葬儀屋さんに来てもらってくださいと

のこと。

葬儀屋さんなんかを考えたことがなかっ

たので、家に近いという理由だけで「葬

儀の板橋」さんにお願いしました。

 

病院のコンビニでサンドイッチの昼食を

摂り妻の荷物をまとめて、16時少し前

に担当の H先生と、地下の霊安室に行き

ました。

そこには白装束に包まれ、面布をかけら

れた妻がベッドに横たわっていました。

布を外して顔を確認し、葬儀屋さんの霊

柩車の中へ妻を移して病院を出た。

 

「家に帰りたい」と何度も何度も泣きな

がら言っていた妻は、家に帰ることがで

きませんでした。

マンションのベランダ側に車を停め、後

部座席の窓を開けて僕だけ車から降りて

「家だよ」と妻に話しかけて手を合わせ

た。それが今の僕にできる精一杯のこと

でした。

 

僕は何もできない。無力な人間です。

 

 

妻が亡くなってから葬儀の日までの 6日

間はずっと晴れていました。

見上げたこの空はどこまで続いているの

か。昨日と同じような、きれいな青空。

 

ふっと頭に浮かんだ言葉は

「Cry over you」でした。

 

白い布(本日妻が亡くなりました㊽/㊿)

 

2023年11月23日の祝日、宇都宮

の孫に会いに行く途中、以前行った群馬

県桐生の山にある「宝徳寺」さんに寄り

ました。

前回は 5月の新緑でしたが、今は秋で、

この山のお寺が最も華やかに感じられる

「床紅葉」の季節です。妻と行くことは

できませんでしたが、すっかりこのお寺

のファンになってしまいました。

 

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宝徳寺さんの床紅葉など

 

この時、パイプ椅子に座って妻の手を握

りしめていた僕の顔の真横には、ベッド

サイドモニターがありました。これは心

拍数や血圧、血中酸素飽和度なんかを測

る機械です。血圧の数値は覚えていませ

んが、心拍数を表す波形が小さかったこ

とと、血中酸素飽和度(SpO2)の数値が

異常だったのを覚えています。

以前僕が、新型コロナウイルスに罹患し

てホテル療養したときに、一日に何度も

ホテルに待機している看護師さんから連

絡があり、血中酸素飽和度の数値を確認

されました。これは通常 100ぐらい無

いといけない。96を下回ると危険な状

態とのこと。僕は 92~93のことが多

かったため、その場で足踏み運動をさせ

られ無理に数値を上げさせられました。

96を下回ると危険だというのに、妻の

数値は、たったの 43でした。これはも

う不可能な数値です。


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ベッドサイドモニター

 

心臓マッサージを止める決断をするとき

は、長女の顔を見て確認を取りました。

言葉を交わさないで、お互いに頷くだけ

の確認。二人とも目に涙を溜めて黙って

頷き、僕が H先生に伝えた。

いつか何かの医療ドラマで見たようなシ

ーン。このあとそんなに時間が経たない

で、僕の顔の横にあるベッドサイドモニ

ターの心拍数を示す波形が小さくなり、

ピーっという音と共に波形が無くなって

一本の線になる。これは心臓が止まるこ

と。それを自分で見なければいけない。

 

覚悟をしようと思っている間もなく、そ

れはすぐに訪れた。ほんの 1分ぐらいの

間に、です。

心拍数を表す波形が線になった。

 

妻の人生が終わりました。

 

 

長男、次男が病院に駆けつけました。妻

のお兄さん、妻の弟さん夫婦と妻の両親

が続けて病室に入ってきました。

妻の名前を呼ぶ声と嗚咽だけが響く小さ

な病室。

 

この日は次男の誕生日。23年前、生ま

れたばかりの次男を愛おしそうに見つめ

ていた妻。

その妻の顔に白い布がかけられました。

 

静かな終わり(本日妻が亡くなりました㊼/㊿)

 

2023年11月11日の土曜日、予定

通りに、アリーナライブツアー

浜田省吾 ON THE ROAD 2023」に行っ

てきました。横浜アリーナの初日です。

省吾さんが横浜アリーナで演るのは 7年

ぶり。妻と、今度横浜アリーナで演ると

きは一緒に行こうと言っていた。でもそ

れも叶わなくなってしまったんですが、

せめて妻の分と思いチケットを 2枚取ろ

うとした。でも、そのために来られない

人がいると申し訳ないので考え直して、

自分の分だけのチケットを取りました。

当日は満席。すごく盛り上がったんです

が、なぜか S席の僕の隣だけポツンと空

いてた。まるで妻のために用意してくれ

たような感じで。

誰も来ないので、その席にバッグを置い

て、キーホルダーの妻の写真を乗せてお

きました。

 

やっと一緒に来れた。


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アリーナツアー横浜の公式画像

 

40代ぐらいの背の高い男性のお医者さ

んが、大きな声で確認しました。

ICUの準備まだっ!?」

 

PHSで話した 30代ぐらいの男性のお医

者さんが答える。

「まだです!」

 

「急がせてっ!!」

「はいっ!」

 

(もう意識が戻らないのに、ICUってど

うしてなんだ?)

僕は妻の手に、ふーっと温かい息を吹き

かけ、さすりながら考えていた。まるで

寒い日に外遊びから帰ってきた小さな子

供の冷たくなった手を温めるように。こ

んなことをしても手が温かくならない、

意識が戻らないのは分かっているのに。

 

仕事の関係で年に 3回ほど、AEDや心臓

マッサージの研修があります。だから分

かっている。心臓が一般的なイメージよ

りも体の真ん中近くにあること。心臓マ

ッサージは、1分間に 100回のペース

で胸が 5cm沈む強さで押すことを。

この強さで胸を押すと、ほとんどの場合

は肋骨が折れるかひびが入ります。つま

り意識があれば激痛が走る。だから体を

よじったり逃がすような反応をします。

でも妻は全く反応しませんでした。

 

何度か ICUの準備確認をしてましたが、

僕と目が合った担当の H先生が重い口を

開きました。

「センバさん、心臓マッサージは奥様に

負担をかけているだけだと思います」

 

実は僕もそう思っていました。

1時間以上も続けてもらっている心臓マ

ッサージ。たぶん肋骨はかなり折れてい

るはず。そして心臓マッサージをし続け

なければ止まってしまう状態の心臓。

もう答えは出ています。

 

「わかりました。やめてください」と僕

が答えると別なお医者さんが

ICUキャンセル!」と告げました。

 

 

以前妻の面会の時に、僕たちが乗っていた

エレベーターに駆け込んできた男性に向か

ってかけられた、病院関係者の ICUの階を

知らせる声。

ICUって大変だな)と考えたのを思い出

した。でも ICUに行けるのは、治療できる

ということ。

 

妻は ICUに行くことができませんでした。

 

温かい手と冷たくなっていく手(本日妻が亡くなりました㊻/㊿)

 

少し前に次男が引っ越しました。

次男は、大学を卒業したら家を出たいと

思っていた。ただ妻の病気のことがあっ

たので、それを先延ばしにしてました。

僕たちの家は横浜にある 3LDKマンショ

ンです。子どもたちが小さいときはよか

ったのですが、大人になると手狭になっ

てきた。でもそれも今考えると、ほんの

少しの期間でした。長男が結婚して引っ

越し、妻が亡くなり、次男が一人暮らし

を始めた。あんなに狭いと思ってたマン

ションが、今では変に広く感じる。僕と

長女と、仏壇の中の妻だけの 3人になっ

てしまいました。

 

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昨日の妻の状態と病院からの早朝の電話

は、いいことであるはずがありません。

その電話は当直の医師からのもので、

(妻の病状が急変したので、今すぐ病院

に来られないか)というものでした。急

いで長女を起こし、長男と次男、妻の両

親と兄弟に連絡をしながら車で病院へ向

かった。

 

よく晴れた風ひとつない朝。信号待ちを

しているサラリーマン。多分ほとんどの

人たちは昨日と同じような朝を迎えて、

代わり映えのない一日が始まっている。

だけど、僕たちだけが違う世界にいるよ

うな感じでした。

 

幸いなことに横浜新道と首都高速は空い

ていて、6時45分には病室に入ること

ができました。

 

病室には 5人のお医者さんと 4人の看

護師さんがいて、一人のお医者さんが妻

に心臓マッサージをしていた。妻はぐっ

たりとした様子で、何の反応もしていな

いみたいでした。

僕と長女は面談室に呼ばれて、当直のお

医者さんから状況の説明を受けました。

それによると、5時45分ごろに妻の病

室から血圧の低下を警告するアラームが

鳴り、看護師さんが駆け付けると、すで

に心肺停止の状態だったそうです。おそ

らく喉に血液が詰まったとのこと。

他の医師たちを呼び、心臓マッサージや

酸素を送る等の手当てを行い心臓が動き

始めた。心臓が止まっていた時間はそん

なに長い時間ではなかったと思われるの

で、また動きだしたという説明でした。

 

ただ、次の言葉が続きました。

「もう、奥様の意識が戻ることはありま

せん」

心臓が止まったのは短い時間のようでし

たが、それでも致命的な時間だったとい

うことです。

 

 

病室に戻った僕と長女は、妻の名前を呼

びながら妻の手を握りました。

たった 11時間前に握っていた妻の温か

い手。その手はもう温かさを失い始めて

いました。感覚的には普通の半分ぐらい

の温度。

そして更に、冷たくなっていきました。

 

朝 6時1分の電話(本日妻が亡くなりました㊺/㊿)

 

2023年10月21日、妻の一周忌法

要を行いました。

場所は、お墓のある東戸塚の霊園。親族

だけの小さな法要です。でもまだ妻を納

骨していません。それは、初めて行った

ときの夜の霊園の印象があったから。あ

たり前のことですが、霊園の中には外灯

がありません。夜に来る人がいないため

です。でも、そのあまりの真っ暗さに驚

き心配になってしまいました。

 

怖がり屋だった妻。その妻をこの暗い中

に一人で置いておきたくない。だから納

骨をためらってしまっています。


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東戸塚の霊園と温石さんのお弁当

 


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この日 2022年10月26日。明日は

次男の 24回めの誕生日です。

元気になってきた妻ですが、まだ出来な

いこともある。面会に行くと、妻にお願

いをされました。

妻のスマホには、僕と長男が渡したお守

り、そして横浜御嶽神社で授かったお守

りがついています。それが心拍と血圧な

んかを計るコードや点滴のチューブにか

らまっている。それをほどいてほしいと

いうことでした。

そんなに難しい絡まり方ではなかったん

ですが、今の妻には簡単ではなかったみ

たいです。

 

ほどきながら妻と話していると、いつも

と少し違う感じがした。何か言いたげな

様子です。

聞いてみると、ためらいながら妻は

「今日はずっとそばにいて。帰らないで

ほしいの」と答えた。そして

「なにかおかしい。体の中がいつもと違

う。どこかが変な感じがするの」

僕の手を強く握りしめてきました。

 

どこか痛いとか気持ち悪いとかがあるの

かと聞いても、分からないと答える。で

も何かおかしいと訴え続けてきます。

同じことを看護師さんにも話してあった

ようですが、特に変わったところが無か

ったため、明日担当の H先生に診てもら

うことになりました。

でも気になったのは、妻が僕の手を握っ

たまま離さなかったこと。人前で僕の手

を握ったことなんか無い妻。その妻が、

僕が病室から出るまでずっと手を離さな

かった。

 

面会時間が終わった帰り際に病室を振り

返ると、妻はうつむいていた。いつもは

僕が見えなくなるまでこっちを見て、手

を振るのに。

僕が手を振ったのに、ずっと下を向いた

ままでした。

今までこんなことはなかった。

 

 

家に着いて何気なく夜空を見上げると、

まばらな黒い雲の間から、月の明かりが

漏れていて、それが何故かすごく気にな

りました。

この日は変な疲れが出て、早々と眠って

しまった。

 

そして翌日、2022年10月27日。

朝 6時1分に僕のスマホが鳴った。そこ

には表示されていたのは、妻が入院して

いる病院の名前でした。

 

今日は帰らないでほしい・・・(本日妻が亡くなりました㊹/㊿)

今から 2ヶ月ほど前に、病院から手紙が

届きました。

妻が亡くなってから既に 10ヶ月近く経っ

ています。何だろうと思い封筒を開けて

みると「感謝の集い」と書いてありまし

た。読んでみると「慰霊祭」とのこと。

これは、病院で治療を受けたにもかかわ

らず亡くなった患者さんで、本人または

その遺族が、これからの人のために、そ

して亡くなった本人の正確な死因を確定

するために行う病理解剖に協力したこと

に対する感謝と霊を慰めるための慰霊祭

だそうです。

希望をすれば芳名録に名前を載せ、慰祭

祭のときに名前を読み上げる。参加でき

るのは、もちろん遺族だけ。

僕は迷った末に、芳名録に載せて名前を

読み上げてもらうことにしました。ただ

また辛くなりそうなので、参加だけ見送

った。法事や節目の大切さは分かるので

すが、その都度気持ちが大きく揺れてし

まう。

だから法事以外への参加は、精神的な負

担を考えて見送ることにしたんです。


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2022年10月26日の月と雲


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35年ぶりに描いたイラストは下手になってた

 

2022年10月24日。この日の僕は

仕事が休みだったため、一人で妻の面会

に行きました。約束していたハロウィン

の絵を持って。

僕は学生時代は絵を描くのが好きで、漫

研を手伝ったり、スポーツ誌のイラスト

や一コマ漫画、ヤングジャンプに 4コマ

漫画が掲載されたこともあります。だか

ら時々妻に絵を描いてと頼まれ、漫画や

イラストを描いていました。

 

描いた簡単なイラストを見た妻は、とて

も嬉しそうにして、どこにどの色を塗ろ

うかと話しかけてくる。僕も雰囲気を考

えて、あれこれと答えていく。

そして翌日の午後に妻から電話があり

「もうほとんど色を塗ったよ。あとはフ

ランケンの頭のネジだけ。これは灰色で

いいかな」

「もう塗り終わるから、別なのも描いて

持ってきて。今度は秋らしいのがいい。

どんぐりとか紅葉とか」

 

 

元気になってきた妻の声が嬉しくて、す

ぐにイラストを描いて、10月26日の

仕事終わりの夕方に面会に行きました。

ニコニコしながら話しかける僕を見て妻

は何故か下を向いている。

 

そして・・・

「今日は帰らないでほしい」と言った。

 

ハロウィンの絵を描いて(本日妻が亡くなりました㊸/㊿))

 

2023年8月26日 僕と長女と次男、

そして僕の弟と一緒に、長男の住む宇

都宮に、孫の顔を見に行きました。

 

長男の家に着く前に立ち寄ったのは、

「大谷資料館」。ここは住宅なんかの

擁壁や化粧石に使われていた 大谷石

掘り出していた場所です。掘削された

地下は、まるで異世界の迷宮のよう。

この真夏の暑さの中でも涼しく、空間

の中は13度しかありません。

ここも妻と一緒に来たことがある旅行

先。妻を偲んで、ということです。


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①大谷資料館前の自販機(大谷石のシート貼り)

②大谷資料館  ③大谷寺  ④平和観音

 

妻が亡くなってから、そうすぐ一年が経

ちます。

何度も思い出す大変だったときの記憶。

それが細かく、そしてますます具体的に

よみがえってくる。だからこのブログと

向き合うのがキツくなり、書く気になれ

ない。そして一日一日と書くことから逃

げているうちに、一ヶ月近くが過ぎてし

まいました。

 

2022年10月23日の家族面会。

一度に 15分。2人まででなので、まず

は長男と長女が面会しました。

今まで大きくと違うのは病室です。入院

したときは無菌室の 4人部屋。だから病

室に入ることはできませんでした。そし

て移植のときは完全な無菌室。廊下に面

した壁一面のガラス越しの面会。当然中

に入ることなんかはできません。

でも今回はナースステーション前の個室

です。病気がほぼ治ったために、無菌室

ではありません。だから病室に入って直

接話せるし触れられる。

このことは、本当に本当に力に変わる。

妻の顔色や態度、話し方が全然違ってき

て、どんどん元気になっていきました。

15分の制限なのに、長男と長女は 40

分。僕と次男は 30分以上も話してしま

い、看護師さんに注意される程でした。

 

 

面会の帰り際に妻から

「気分がいいから、大人の塗り絵をやっ

てたら全部終わっちゃった」

「お父さん、なにか絵を書いて。それに

私が色を塗りたいの。そうだ、今の時季

だから、ハロウィンの絵がいいな」

 

最後の家族面会(本日妻が亡くなりました㊷/㊿))

 

2023年8月13日、妻の弟さんの家

で新盆を迎えました。

わずか 5ヶ月の間に別々の病気で亡くな

ってしまった二人。弟さんの葬儀のとき

のお坊さんに来ていただいて、同じ場所

で一緒にお経をあげてもらいました。リ

ビングに二人の位牌と遺影、そして精霊

馬、花や果物を供え、弟さんの妻・義父

母・義兄と僕だけで静かに行いました。


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ちりめんの精霊馬

 

2022年10月17日の面会終わり、担当の

看護師さんに、妻とどんなことを話した

のかと状況の説明をしました。そしてそ

の結果、病院の治療と支援だけより、や

はり家族のサポートがあったほうがいい

んじゃないかということになり、看護師

長さんから許可をもらい、一般病棟に移

ってからも特別に面会を許可していただ

けることになりました。

ただし親、妻の兄弟、僕と子供たちだけ

で、一度に病室に入れるのは 2人まで。

そして面会時間は 15分以内です。かな

り厳しいような気もしますが、当時はま

だまだコロナ禍。病院では面会を、緊急

時以外は一切認めていませんでした。だ

からかなり特別なことだったんです。

 

妻の状態が心配になった僕は、妻の兄弟

と僕たちの子供に LINEで連絡を入れた。

「お母さんの気持ちが不安定になってい

るから、みんなでお見舞いに来て」

「いつとかじゃなくて、今週末に必ず。

絶対に時間をつくってください」

 

妻の両親は高齢で、新型コロナウイルス

が心配なので、面会に来ることができま

せん。そして妻のお兄さんは週末は都合

がつかず、翌週末に面会に来ることにな

りました。また、妻の弟さんは何故か当

面来れないとのことでした。

 

 

妻が一般病棟に移った翌日の 2022年

10月19日、心配だった僕と長女は、

先に面会に出かけた。

今までの無菌室と違い、直接触れ合えた

ことは大きく、妻は長女と抱き合って泣

いて、声を震わせ喜んでいました。

 

そして 10月23日、僕と子供たちが全

員揃って面会することができた。

でも、この日が家族が揃った最後の日に

なりました。

 

幸せな時間(10月17日・後編(本日妻が亡くなりました㊶/㊿))

※この記事は、どうしても先に書きたかっ

たため、2023年1月9日に書いたもの

です。それを加筆修正しました。

 

 

2023年8月5日 僕の車で弟と一緒に

「たんばらラベンダーパーク」と「伊香保

温泉」に行ってきました。

妻と行きたかった旅先は、まだ 50ヶ所以

上あります。今はその場所を一つ一つ、妻

の写真が入ったキーホルダーと一緒に出か

けている。今回もそういった場所でした。


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①②たんばらラベンダーパーク  ③④伊香保温泉 

⑤大澤屋さんの水沢うどん ⑥榛名湖

 

電話が分からなくなった妻の声を聞きつけ

た看護師さんが来て、電話器を妻に渡して

くれた。また、精神面をケアする担当医を

呼んで、妻をサポートしてくれました。

 

妻はリハビリの時間になったのですが、そ

の間に僕が帰ってしまうのを心配して、行

くのを嫌がりました。

そこで看護師さんがこう言ってくれました

「今日はご主人の時間が許す限り面会して

いいですよ」

 

妻が

「リハビリから戻るまでいてくれる?」

「待ってるよ」と答える僕

僕は 1時間少し病院の最上階の展望室で、

横浜の景色をぼんやりと眺めて、時間を

潰しました。

 

病室に戻りリハビリの終わった妻と話して

いたところ、17時過ぎに妻がうとうとし

始めた。夜はまったく眠れなくなっていた

んですが、僕が面会に来ると安心して、

眠そうになったりする。

 

「寝たほうがいいよ」と僕が言うと、妻

は駄々をこねる。そう、この時間はもう

一人の妻。子どもに返った妻です。

でもあまりに眠そうだったので、もう一

度「寝たほうがいいよ」と言うと妻は、

「だって寝たら帰っちゃうんでしょ?」

そう言って寝ようとしない。瞼がくっつ

きそうなのに。

妻もさすがに起きているのは無理だと思

ったのか「じゃあ、子守歌を歌って」と

ねだってきます。無菌室前の廊下は誰も

いません。しかしさすがに恥ずかしい。

僕が困った顔をしていると、「だったら

100数えて。そしたら許してあげる」

 

僕は少し小さな声で

「いいち、にいい、さあん」と数え始め

たら、「だめだよ、だめ。それじゃ早す

ぎて眠れない」

「ああゴメン。最初から行くね。いいい

いち、にいいいい、さあああん・・・」

 

たった 8まで数えたところで妻は眠った

みたいです。内線電話ごしに寝息が聞こ

えてきました。僕のほうを向いたまま子

供のような寝顔をしてる。

もう眠っていましたが、ちゃんと約束通

りにゆっくりと 100まで数えました。

間接的に夕陽が射し込んでくる。そんな

中で妻を見つめていた幸せな時間。

 

 

(明日一般病棟に移ったら、あと 2週間

ぐらいで退院できるから頑張ろう)と心

の中で話しかけました。

僕は知らなかった。妻の命が尽きるまで

あと9日と13時間だということを。

 

茶碗の電話、シーツの電話(10月17日・中編(本日妻が亡くなりました㊵/㊿))

 

2023年7月14日から 4日間、実家

の青森に帰省する予定でした。久しぶり

にゆっくりしたかった。でも直前に僕が

体調を崩してしまったために行けなくな

ってしまいました。

そのことを長男に LINEすると

「俺が代わりに行ってくる。家族で」と

いう電話。

子供のときから青森の実家が大好きな長

男は、お祖母ちゃんと叔父さんが寂しが

らないようにと、すぐ有給休暇の申請を

したそうです。


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(青森の)奥入瀬渓流  金魚ねぶた  遮光土偶

 

「お父さん・・・お父さん・・・。ごめ

んね、わたし死のうと思うんだ」

突然の妻の言葉に、僕は激しく動揺した

んですが、それを顔や態度に出さないよ

うに必死に、言葉を抑えながらゆっくり

と話しかけました。

「眠れなかったの。今日は心配な気持ち

が大きくなったのかな」

 

「ううん、だってね。わたしはもう何年

も入院しているじゃない。そして病気・

・・、あれっ、何の病気だっけ・・・」

「うん、いいや。そしてね、病気も全然

治らないし、家に帰れたとしてもみんな

に迷惑をかけるし・・・」

 

このときは妻が入院してから 6ヶ月弱。

精神的な負担が大きすぎて、入院してい

る期間、病名すら忘れてしまっている。

 

入院期間と病名、そして病気が治ってい

て、明日一般病棟に移れることを伝えま

した。

驚いたような不思議な話を聞いたような

顔で僕を見つめる妻。

 

「そうなんだ。治ったんだ。忘れちゃっ

たみたい」

「忘れないようにメモするから、もう一

回教えて」と安どの表情を浮かべる。

 

目の前にある A3の紙に妻が書きこもう

としました。でもそれは、検査結果や治

療について書いてある紙です。

紙があるのは分かるのですが、何か書い

てあるのか白紙なのかは見えていない。

そのために紙を 1枚ずつめくって、メモ

できるかを一緒に確認していきました。

 

そのときに、一度置いた内線電話の子機

を持とうとしたら、妻はまた分からなく

なってしまいました。

ベッドの上のテーブルに置かれた子機。

そして時々間違えるテレビのリモコン。

その二つをじっと見ても分からない。迷

いに迷って・・・・・。

 

食事が終わっていたお茶碗を持ち、耳に

当てました。

「もしもし。もしもしお父さん」

「あれっ、聞こえない、なんで?」

 

「それは違うよ」とゆっくり話す僕。

 

お茶碗を置いた妻は周りを見渡しました

が、ほとんど見えていないようでした。

そして自分が座っているベッドのシーツ

をじっと見て、その一部をつまみ上げ、

クルクルと巻いて筒状にして話しかけて

きました。

「なんでこの電話は持てないの?ベッド

にくっついている」

「もしもし、もしもしお父さん。お父さ

んの声が聞こえないよ。聞こえない!」

 

ごめんね、わたし・・・(10月17日・前編(本日妻が亡くなりました㊴/㊿))

 

1ヶ月半ほど前に「お仏壇の長谷川」さ

んで、お盆に供える小さなセットを買い

ました。ちりめんで作られたホウズキと

精霊馬、提灯や迎え火・送り火の木を模

したロウソクが入ったものです。

精霊馬は、キュウリとナスに割りばしや

爪楊枝を刺し、盆棚や仏壇に飾るもの。

キュウリを馬、ナスを牛に見立て、亡く

なった人がお盆の時期に戻ってくるとき

に、馬に乗って少しでも早く家に帰れる

ように、お盆が終わって家から離れると

きには、牛に乗って少しでもゆっくりと

という意味がこめられてる。

そして提灯と迎え火は、帰ってくる人が

迷わないようにするための灯りです。

僕たちは初めて家で迎えるお盆なので、

何を揃えるのかも分かりませんでした。

妻が亡くなって初めて迎えるお盆。初盆

です。

初盆のときに灯すのは白い提灯。翌年以

降は絵柄入りや色付きの提灯を用意しま

す。こんなことも初めて知りました。


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妻は移植がうまくいってから、食事やリ

ハビリだけでなく、精神的にも安定する

ことが多くなってきました。

会話も少しずつですが戻ってきて、こち

らが話すのを、すぐに理解できることも

多くなってきた。

特にリハビリでの歩行は、点滴スタンド

に摑まりながらですが、50m、100

m、200mと、順調すぎるぐらいに歩

ける距離が増えていき、妻からの連絡が

間違っているんじゃないかと思ったぐら

いでした。

 

そして、担当の H先生から、10月18日

に血液内科の一般病棟に移れるという話を

いただきました。今度の病室は入院したと

きとは違いナースステーション前の個室。

無菌室ではありません。

これを聞いただけでも、病気が良くなった

んだなという強い実感がありました。

 

 

無菌室から退室する前の日の 10月17

日に僕が一人で面会に行くと、担当の看

護師さんが神妙な表情で

「今日は奥様と何を話したか、お帰りの

際に教えてください」と言われた。何が

あったかは教えてくれなかったので、急

いで病室の前に行き、妻に内線電話で話

しかけると、妻は少しためらいながら

 

「ごめんね、わたし死のうと思うの」

 

集中治療室=ICU(本日妻が亡くなりました㊳/㊿)

 

数日前に、浜田省吾さんのツアーチケッ

ト当選のメールがきました。11月11

日の横浜アリーナ初日の S席です。

僕は、浜田さんがデビューしたころから

のファンで 47年も聴き続けている。で

もライブツアーを観に行くのは初めてで

す。なぜなら、あまりに好きすぎて、レ

コードや CD 、DVD、写真集と雑誌記事

なんかで自分の中で完結してしまい、ラ

イブで本人を直接見るのが怖いという変

な感情になってしまっていたからです。

そんな気持ちが変わったのは、今年の 5

月のこと。期間と指定映画館限定で上映

された浜田さんの 35年前のライブ映画

「A PLACE IN THE SUN at 渚園」を観た

から。そこで気づいたのは、浜田さんが

いま 70歳だったということ。

これはもう観ておかないといけない。

 

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浜田省吾さんのHPより

 

移植がうまくいってから、妻は元気にな

っていきました。病院の昼食も、ご飯を

1/5食べた。バナナを半分食べられた。お

かずも 1/3食べた、という連絡が来るよう

になりました。しかもその連絡の LINEは

自分で打ったもの。写真もときどき添付

されている。

面会したときに気づいたのですが、顔色

がいい。頬に赤みが戻ってきました。そ

してリハビリもなんとか頑張って、初日

はほとんど歩けなかったのが、二日めに

は、点滴スタンドに摑まりながら 20歩

だけですが歩くことができた。その次の

日には 40歩。

更に刺激になったものが、リハビリ室。

そこには、自分よりももっと大変な思い

をしている人たちが、必死にリハビリを

していました。だから自分も頑張らない

といけないと思ったようです。

 

 

10月初旬に次男と妻の面会に行ったと

き、閉まりかけたエレベーターの扉に、

あわてて駆け込んできた 50代の男性が

いました。後ろから病院の職員さんが

ICUは 6階。6階!」と大きな声で呼び

かけてきた。

同乗したその男性は汗をかき、目に涙を

浮かべている。

 

ICUって、大変だな。知らない人だけ

ど、無事であればいいな)と思った僕。

でも ICUは、幸せな場所でした。