yururi-furu’s blog

ゆるりと続けるフルコミ営業

何かがおきている(本日妻が亡くなりました⑦)

 

溜息しか出ない。

 

妻が亡くなった後は涙があふれることが

多く、何を見ても悲しく、辛く、気持ち

が落ちていってしまった。だけど今は、

溜息ばかりついている。

 

(なんで死んでしまったんだろう)

(何かもっとできなかったのかな)

(きっと気づいてあげられなかった)

そんなことを考える度にため息が出て、

それが止まらない・・・。

 

 

11月21日に本位牌を受け取り、23

日には仏具を揃え、翌日やっと喪中ハガ

キを書き終えた他は、なにもやる気が起

きないで寝てばかりいる。

本当はこの記事で、白血病と闘っている

人や家族、その友人知人のために、妻や

僕、子どもたち、妻の両親と兄弟が経験

したものと、そこで考えたことを伝えた

いはずなのが、まだあまりに鮮明で細か

いところまで思い出せてしまうので、逆

に書けない、手が止まってしまう。

早く伝えたいのに・・・。


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昨日 11月27日は、妻の初めての月命

日でした。早いもので、妻が亡くなって

から1ヶ月が経ちます。

自宅のドレッサーに置いた遺骨、白木の

位牌、花、そして葬儀のときにも飾った

遺影。嬉しそうな顔をしている遺影。こ

の写真を撮ったときは、すごく幸せなと

きだったから、優しくて嬉しそうな顔を

している。ちょうど 1年前、長男がお嫁

さんになる人を初めて連れてきて、みん

なで食事をしに行ったときの写真です。

 

何人かが手を合わせに来てくれました。

その中で、葬儀の日に体調が悪くて参加

できなかった妻の弟さんの奥さんと高校

生の息子さんも来てくれた。

遺影に手を合わせ、葬儀当日来れなかっ

た親族たちから預かった香典をたくさん

渡されたあとに、1通の封筒。

事前に、当日渡したい手紙があると言わ

れていたもの。今日も弟さんが来れなか

ったし、今度行う 49日の法要にも参加

できないと言っている。そういえば妻が

亡くなったときには、松葉杖をして左足

をかばっていた。

 

 

手紙の中は弟さんの病気のこと。

妻が亡くなる前の日に告知を受けたその

病気は「横紋筋肉腫」。

大人では 100万人に1人か2人しかか

からない筋肉の癌。

そのステージは、4でした。

 

答え(本日妻が亡くなりました⑥)

 

最初に「答え」を書きます。

 

一番伝えたいことは、この病気になった

としても、すぐに亡くなったりすること

は少ないこと。病気になってからよほど

時間がたって病院に行くなんかの、手遅

れにならない限りは、対処できる可能性

がかなりあると思います。

 

だから泣かないでほしい。

 

僕たちもそうだったけれど、たぶん病名

を告げられたときは何も知らないために

不安で、焦り、絶望し、先のことが考え

られなくなり、「死」を身近に感じてし

まう。

仕事を長く休まなければならなく、とき

には辞めなければいけないこともある。

今までと違う日常が待っている。だけど

最悪でも「生きていれば」何とかなる。

そして、大体の人は何とかなっている。

決して「絶望」しないで。

 

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青森県八戸市の「櫛引八幡宮ひょうたんのお守り

 

それから、「二つの後悔」。

一つは、子どもたちが白血球の型の検査

を希望したのに受けさせなかったこと。

子供たちは親の白血球を受け継いでいる

から、必要な 6個の型のうち 3個は合う

はず。だからもしかしたら、4個や5個

が合致する可能性もあった。確率は低く

なるけれども、6個全部が合う可能性さ

えあった。

骨髄移植しか知らなかった僕と妻は、ド

ナーになった場合の後遺症のことが心配

で、まだ 20代の子どもたちに、ドナー

になってほしいとは思わなかった。特に

妻は、自分のために子どもたちの将来が

脅かされる可能性があるのには絶対に反

対で、もしも白血球の型が 6個全部合っ

たとしても、移植を拒むと言って譲らな

い。それを説得できるだけの「覚悟」が

僕には足りなくて、可能性にチャレンジ

することをしなかった。

 

二つ目の後悔は、移植の方法。

治療や移植に関する知識も無く、もっと

も患者にリスクや負担が少ない「臍帯血

移植」を選択したこと。

病院側がこれを勧めるのは当然で、総合

的に判断するとこれしかない。だけどこ

の移植で治る可能性は、80~90%。

他の移植のほうが治る可能性が高いのを

知らなかった。

 

人の命がかかるときに、100%に近い

成功確率でない治療を選んだことで、妻

を苦しめてしまった。

 

二つの後悔とサイドストーリー(本日妻が亡くなりました⑤)

 

ここ数回のブログの日にちが空いていて

バラバラな感じがあるのは、葬儀の予定

があったり、気持ちの整理ができていな

かったため。

 

実は今回のブログでは、書きたいこと。

書きたいけれど書けないこと。書きたく

ないこと。書きたくないけれど、書いた

ほうがいいことがありました。

そしてこの一番恐れていた結果になって

しまったために、書きたくないけれど、

書いたほうがいいと思うことが出てきま

した。


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11月11日 ベランダから見えた月

 

僕には、大きな二つの後悔があります。

その時は、今よりももっと知識がなく、

分からなかったり、判断できなかった。

それを書いたほうがいい。

別に、病院やお医者さんに何か言いたい

訳ではありません。そちらには感謝して

います。本当に一生懸命で、よくやって

いただいたと思っている。

 

妻が亡くなってから分かったことがあり

ました。

妻の兄弟が妻から聞いていたこと。子ど

もたちが思っていたこと。

そして妻自身の思いです。

 

妻の思いは、亡くなった次の日の荷物整

理をしていたことで分かりました。

・長女が妻にプレゼントしたノート。そ

こに書き留められていた「言葉たち」

スマホに残されていた日記

・紙片に残されていた走り書きの「ライ

ンを見て」

その「ラインを見て」が意味していたス

マホの中のメモ。そこには妻が何度も書

き直したと思われる「思い」が2通残さ

れていました。

 

そして、今まで書くことができなかった

大切なこと。「造血幹細胞移植」のカウ

ンセリング・ブックに書いていなかった

し、病院から事前説明もなかった病状。

しかしそれはしょうがない部分が多い。

なぜなら、あまりに多くの副作用や合併

症なんかがあって、全部は説明しきれな

いし、あまり説明しすぎると、患者や家

族を必要以上に不安にさせてしまうから

なんだと思います。

 

妻の場合は、Mゼロという稀なケースで

した。芽球という血液になるための細胞

が、成長することなく最初から脂肪に変

わっていた。

 

 

その辺りから今までの話を補完して、書

けなかったことを加え、この病気と闘っ

ている人たちに役に立つかもしれないこ

とを伝えたいと思います。

 

11月6日の葬儀と告別式(本日妻が亡くなりました④)

 

予定通りに 11月6日の日曜日、葬儀と

告別式、火葬が行われました。

 

思っていたよりも、たくさんのたくさん

の人たちが来てくれた。妻の優しく思い

やりのある人柄が、これだけ多くの人に

伝わっていたんだと気づかされて、本当

に感謝の気持ちしか出てこない。

 

ありがたくて嬉しくて、そしてその分だ

けまた残念な気持ちが沸きあがってきて

しまう。


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2022年4月22日にこの病気が分か

ってから、入院して、治療して、辛いこ

とに耐えている妻をすぐそばで見てきな

がら、少しでも役に立てればと思い、そ

れだけを考えながら過ごしてきた毎日。

9月28日に病気が治って一般病棟に移

ったのに、突然の別れ。終わりが来た。

何回も何回も泣いた妻。子どもたち。そ

して僕。この突然の終わりが受け止め切

れずに、また泣いた。周りの目なんか構

っていられない。ただただ泣き続けた。

 

喪主としての出棺の挨拶。そのときも声

が詰まり、何度かくり返した言葉がなか

なか出てこない。

花で満たされたお棺の中の妻。皆の見て

いる前で僕は、冷たい妻の頬を両手の指

先でそっと触り、自分の額をお棺の中の

妻の額に合わせた。特にやろうと思って

いたわけではなく、我慢できなくなって

額を合わせてしまった。

やはりすごく冷たくて、でもなぜか少し

柔らかくて、

(ごめん、本当に「さよなら」だね。あ

りがとう、ありがとう)とだけ小さく呟

くのがやっとだった。

 

お寺で作った白木の妻の位牌を持って、

お坊さんの後をゆっくりと歩いて行く。

僕の後ろには遺影を持った長男、そして

祭壇に飾ってあった花で作った花束を持

った長女。涙をこらえながら続く次男。

 

僕の父親が亡くなったときの悲しみの深

さから、(もう喪主はやりたくない)と

思っていたのに・・・・・。また喪主を

やらなければいけない、しかも妻の。

 

 

霊柩車に運びこまれる妻を見たあとで、

その車の助手席に乗って位牌を膝の上に

置き、両手で支える僕。

葬儀に参列してくれた人達の、妻の名前

や感謝を叫ぶ声、合掌、涙と嗚咽の中、

ゆっくりと霊柩車が走り出しました。

 

僕は自分を責めてしまう(本日妻が亡くなりました③)

 

4日前は、泉区立場のイトーヨーカドー

に行きました。3日前は大船のヨーカド

ー。一昨日は戸塚のイオンとアピタ。そ

して昨日は、湘南台のヨーカドーです。

いずれも葬儀場に安置されている妻に会

ってから、車で子どもたち 3人と。

 

毎日忙しくしていて、コロナで出かける

回数が減ったり、子どもたちが小さい時

は、なかなか遠出できないことも多い。

すると、買い物がレジャーの代わりにな

ってきたりします。そんなときによく行

っていたところがここ。まだ子供たちが

小さくて、こんなことでも楽しそうにし

てくれていた。

だから、その想い出が詰まった場所に行

きたいと、みんなが思っていました。


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斎場の一階ロビー

 

今は、2022年11月5日の朝5時。

今日は葬儀屋さんで、16時から祭壇の

最終確認があります。

親族が集まり、設置された祭壇を見て、

希望通りだったか、送られてきた花がど

う並べられているか、会場の机や椅子、

受けつけ、返礼品をチェックする。

そして家では、明日持っていくお団子を

作り、妻のお茶碗、箸、お皿を準備し、

当日はご飯を炊いて、一膳めしを用意し

て会場に運びます。

 

横浜ではなかなか火葬場が取れない。6

日先までいっぱいで、夜中に先着順の申

し込みを葬儀屋さんがやってくれたんで

すが、一番近い「戸塚斎場」は申し込み

のアクセスさえできなかったそうです。

 

この日は長女が中心で、妻の服や靴、バ

ッグや入院中の物の整理をしました。

葬儀と火葬は同じ日に行います。火葬場

の予約が取れないということは葬儀の日

も先になるということ。少し時間ができ

たので、皆がいて分かるうちに整理をす

るほうがいいということになったから。

 

この整理をしている間も僕は、

(もしもあの時にこうしていれば、妻は

亡くならないで済んだんじゃないか。僕

にもっと知識や決断力があれば違った結

果になったんではないのか。亡くなる前

日にもっと手を強く長く握りしめておけ

ばよかった)と自分を責めしまう。

 

 

そんなときに長女が妻の走り書きを見つ

けました。紙片に書かれた最後の言葉。

「ラインを見て」

 

伝えたほうがいいかもしれないこと(本日妻が亡くなりました②)

 

もうこのブログを書くのを止めようと思

いました。

いっさい何もやる気が起きない。どうで

もいい。

 

今は、2022年11月3日の朝5時。

妻の葬儀は 11月6日の11時からで、

火葬は 13時から。お通夜を行わない

1日葬です。

妻の遺体は、葬儀を行う葬儀屋さんの安

置室にあります。10月27日の朝に亡

くなった妻。その日の 16時過ぎに葬儀

屋さんの車で、病院の地下の霊安室から

連れて行っていただきました。

家に帰りたいと何度も泣いていた妻。治

療が辛いからもう治療を止めたいと言っ

ていた妻。

 

だからこのブログは書きたくなくなって

しまった。

それは僕にとって当たり前のこと。そん

なものの続きなんかを書く必要性を感じ

ない。


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妻から長男と次男が引き継いだアクセサリー

でも妻が亡くなってから今日で1週間。

あることが気になりました。

 

妻が亡くなってから数時間後、集まった

僕たち家族や親族に、病院から経緯の説

明がありました。説明が終わった後に、

H先生と当日の宿直で対応をしてくれた先

生が「お願い」の話しをしかけました。

妻の弟さんがその話を一度遮り、妻の両

親を連れて出ていった。

僕はその時すぐに分からなかったんです

が、そう「病理解剖」の話しでした。弟

さんが気を遣って、僕ら家族だけにして

くれて、その判断に他の意見が入らない

ように、決断を伝えるのに言いにくくな

らないように気遣ってくれました。

 

僕や妻、そして子供たちはそんなことを

話し合ったことも考えたこともありませ

ん。でも妻だったら、きっとこのことを

承諾してくれるはずです。

なぜならこの難しい病気、「急性骨髄性

白血病」は、10年20年前だったらも

っと治療が難しかったはず。でもその間

に新しい薬や治療方法が出来ていき、ま

た多くの医療経験が妻の治療に役立った

はずです。

そしたら妻がやっていただいた治療や経

験に対しても返していかなければいけな

い。そうして次の方に役立っていければ

いい。

だから「病理解剖」を、家族全員で承諾

しました。

 

 

そしてこのことを、ブログで伝えたほう

がいいかもしれないと思ったんです。

 

サプライズ(昨日妻が急性白血病になりました② ・ ㊿/㊿)

 

自分の健康診断の結果にも、白血球の項

目がありました。見開きの右上の辺り。

その数は 8300個。ずいぶん多いなと

思って確認すると、基準値は 3200~

8500個だそうです。でも昨年の数値

は 8600個と記載されてます。これだ

と基準値を少し超えてる。更にその隣の

一昨年の数値は 9300個と書いてる。

これはまずい、かなり行きすぎている。

 

調べてみると健康診断でこういった結果

が出るのときは、喫煙か肥満が原因だそ

うです。僕は煙草を吸いませんけど。

 

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造血細胞が生着するとそのまま治ると思

っていた。しかし現実はそうではなく、

体調の悪さが少なくなったぐらい。

それでも 10月7日と8日は、看護師さ

んに見てもらいながら病室内を、点滴ス

タンドに摑まりながら 20歩ほど歩いた

そうです。まともに歩いたのは、約3ヶ

月ぶりです。


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病院 15階の展望室

 

10月9日の日曜日、次男と面会に行っ

て 14階のエレベーターを降りると、目

の前に妻がいました。看護師さんの押し

てくれる車イスに乗っています。

無菌室からほぼ 3ヶ月ぶりに出ました。

それは白血球がちゃんと生着した証拠。

そして点滴スタンドに摑まりながらです

が、30歩ほど歩いてみせました。

嬉しそうにしながら、目に涙を浮かべて

ゆっくりと歩く妻。

本当に無菌室から出て歩いてる・・・。

何か信じられないような、夢の中にいる

ような、祈りながら待っていた現実。

これは看護師さんが考えたサプライズ。

「治ったよ」を見せるために、無菌室の

外で待ってくれていたんです。

 

この日はまだ、ほとんど何も食べること

ができていません。食事のリハビリであ

る「フルーツを食」で、最初はキウイを

半分食べるのがやっと。

また、10月13日からは、リハビリ室

での歩行リハビリが、なんとかスタート

したばかりです。

 

 

10月18日には、無菌室から 13階の

一般病棟個室に移っています。これでゴ

ールに向かうだけだと思ってましたが、

また壁が待っていました。

 

高揚する医師(昨日妻が急性白血病になりました② ・ ㊾/㊿)

 

早めに面会を切り上げて 13階の血液内

科病棟の第2面談室で待ちます。しばら

く待つと  H先生が入ってきました。

4人掛けの白い机の奥にある椅子に座っ

た H先生は、なにか高ぶった感じです。

 

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(好中球が増えたかもしれない)

(500個も無くていい。少しでも増え

ればいいんだ。それが 100個でもいい

し 200個や300個だったら尚いい)

 

H先生はパソコン画面を切り替えながら、

「センバさん増えました!白血球が増え

ています。この検査結果を見て下さい」

高揚した気持ちを抑えきれないようで、

早口で説明してくれました。

 

白血球全体を示す数値は、1361。つ 

まり白血球が 1361個あったというこ

とです。そしてその中で好中球の割合が

90%を超えている。それは、好中球の

数が、最低必要数の 500個ではなく、

1500個近くあるということ。

予想もしていない数値に驚いている僕を

見ながら H先生も、

「マイクロファージを抑えられました」

「こんな大逆転はない。私や他の先生も

びっくりして、みんな喜んでました!」

 

(・・ああ、これで助かったんだ・・)

すーっと、体から力が抜けていくのが分

かった。

その後も何か説明を受けたのですが、よ

く覚えていません。確か念のために、明

日と明後日の血液検査で確定するけど、

ここから急に悪くなるといったことは考

えられないといったようなことでした。

 

すぐにお礼参りに行った、夕方の五霊神社

 

病院から出た後で妻に電話しましたが、

繋がらない。体調が悪くてまた眠ったみ

たいです。

 

翌日妻に電話すると、

「本当なの・・。信じていいの・・?」

「もうダメだと思ってた。本当なの?」

二人でまた泣きながらずっと喜んでた。

 

 

翌日の検査結果は、

白血球が 3360個。

好中球は 3000個以上。

 

9月28日の水曜日は確定診断日です。

白血球が、約4000個。

好中球は、3600個以上。

 

健康な人とほぼ同じ数値に戻りました。

 

穏やかな医師(昨日妻が急性白血病になりました② ・ ㊽/㊿)

 

9月26日の月曜日。

この日は、何らかの結果が出る可能性が

高い日です。

 

以前書いたように、僕は個人事業主とし

て毎日のように仕事をしています。6年

ほど以前は、1年365日中で355日

も仕事をしていました。しかも平均する

と、1日に3つの業務をこなすことが多

かったんです。

ただ、6年前になぜか

「できるうちに、やりたいことをやって

おかないと出来なくなるから」と思い、

毎週月曜日はできるだけ休み、妻と旅行

や映画、食事なんかに出かけるようにし

ました。

業務提携している弁護士事務所さんの依

頼があったときと、不動産調査が入った

とき以外は、完全な休みにしています。

 

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この日は休みだったので、前日に続いて

妻との面会。いつもと違う面会時間のた

め、病院近くの中華屋さんで遅い昼食を

取り、一人で 14階の無菌室に向かいま

した。

 

五霊神社の病気平癒のお守り

 

無菌室の病室は、一番奥の部屋から手前

の部屋に替わっていました。なにか特別

なことがあったのかと思っって妻に聞い

たところ、WIFI が繋がりやすい部屋に移

りたいと希望を出していたのを、病院側

が聞いてくれたとのことです。

 

病室を替える準備のために時間がかかっ

て、面会時間がずれ込んだそう。その面

会をしているときに、お医者さんと看護

師さんが何人か入ってきました。不思議

に思って見ていると、どうやら回診のよ

うです。いつもはもっと早い時間に面会

に来ているため、回診に立ち会うのは初

めてでした。

 

この面会時には、内線電話で話していた

ために、お医者さんの声なんかも聞こえ

てきます。A先生が妻に向かって、

「センバさん、ご体調はどうですか」

 

「眠れなくて、ボーっとしているし、気

持ち悪さも抜けません」と答える妻。

 

「もう少しです。今日はいいご報告があ

ります。ご主人、後で13階に来てくだ

さい」と穏やかに話しました。

 

 

回診が終わった後で妻に、

「いい報告があるって言ってたよね?」

そう聞くと妻は、

「そんな気がするけど・・・・・」

 

病室が替わる(昨日妻が急性白血病になりました② ・ ㊼/㊿)

 

9月25日の日曜日。

いつも通りに、長女と一緒に面会と荷物

交換のため、13時過ぎに病院へ車で到

着しました。

 

移植の結果が出ないために気落ちして、

体調の悪さもありベッドから起き上がれ

ないままの妻。顔色も悪く、咳も治らな

い。また、長期入院と繰り返す治療のス

トレスとせん妄から、いろんなことが出

来なくなってきています。

テレビのリモコンと内線電話の子機の区

別がつかなくなっている。目の前に置い

たボールペンが見えていない。そしてボ

ールペンの上下が分からなくなってる。

 

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子供たちの前ではそこまで気弱なところ

を見せませんが、僕の携帯にはメールで

何度も「もう治らないかもしれない」と

いった言葉が送られてきています。

その度に「そんなことはない、きっと、

絶対治るよ。もう少し、本当にもう少し

だから」と励ますメールを返していく。

気持ち的には電話をしたいんですが、こ

のときの妻は電話をかけても取ることが

できない。皮膚がカサカサになってスマ

ホをタップしてもなかなか反応しない。

そして電話がかかってきても、瞬間的に

取り方が分からずに、電話に出ることが

できなくなっていました。

 

横浜の伊勢山皇大神宮 病気平癒のお守り

 

コロナ禍で、病院では面会を制限してい

ます。面会できるのは、集中治療室に関

わる状態の人の家族や、僕たちのように

無菌室に入院している患者の家族だけ。

そして本来の面会規則では、家族だけが

対象で二人まで。更に時間は、15分以

内です。でも実際には病院側の配慮で、

何か厳しく言われることはありません。

それどころかかなり気を遣ってくれるこ

とのほうが多くあります。

 

この日も 1時間以上妻と話しました。普

段のたわいもない会話が、元気づけるこ

とになる。その辺りを看護師さんや病院

側はよく分かってくれています。

 

 

翌日の 26日は何らかの結果が出る日で

す。この日は僕が一人で面会に行きまし

た。ただいつもと違うのは、病室が替わ

るので 16時過ぎに来てくださいという

ことでした。

 

最後のチャンスなのかも(昨日妻が急性白血病になりました② ・ ㊻/㊿)

 

この記事は、現在僕の妻と家族に起こっ

ていることを書いています。タイムラグ

は、最短で 2日。最長で 20日程度。

タイムラグが長い時は、何かやらなけれ

ばいけないことが多くて、記事が更新で

きなかったとき。あるいは精神的な負担

が大きくなって、記事を更新することが

難しくなったときなんか。

 

特に、最初の 50記事を書いてから一度

休んだのは、記事を書くような気持ちに

なれないようなことがあったから。それ

については、もう少ししてから書くつも

りです。

 

trust-work.jimdosite.como売斜線8

 

体の中には、免疫システムがいくつかあ

ります。今回妻の体で造れなくなった血

液細胞の中の白血球。その白血球の代表

的な働きをする「好中球」。これが外部

から侵入してきたウイルスや菌、要らな

くなった細胞のゴミなんかを食べてくれ

て、体を守っています。

 

青森市の善知鳥(うとう)神社 病気平癒のお守り

 

そしてそれだけではありません。同じよ

うな働きをする免疫細胞として、このマ

イクロファージーがあります。これが今

回暴走していると判明しました。今まで

の治療の効果が出過ぎたのか、副作用な

のか、あるいは好中球が無くなったため

体が出した指令なのかは分かりません。

でも頑張り暴走してしまっていた。

 

骨髄の中を満たしている脂肪細胞に対し

て打てる手段はありませんが、今回の生

着を妨げているこの主な原因のマイクロ

ファージーに対しては、打てる手段があ

りました。

それは、リメタゾンとステロイドの点滴

投与。こういった免疫細胞の暴走を止め

るのにとても効果があって、しかも少量

ずつ、その効果や副作用なんかの様子を

見ながら薬量調整をしていくことが可能

だそうです。

この日は 9月23日。それらの投与は、

前日の 22日から既に始めていて、数日

で効果が出るとのこと。

 

 

その効果に期待を持ちながら、週の明け

る 9月26日の月曜日、そして確定診断

日である 9月28日をラストチャンスと

して、祈りながら待つ事になりました。

 

逆の予感(昨日妻が急性白血病になりました② ・ ㊺/㊿)

 

思ったとおりの悪い結果に、顔をこわば

らせて視線を落とす長女。

僕は態度を変えないようにしようとして

いたんですが、おそらく長女と同じよう

にうつむいてしまったような気がする。

この結果を聞いたときの記憶が、曖昧で

はっきりしていません。

 

21日の生着期限が過ぎたのにもかかわ

ず、まったく届かないこの現実に、言葉

がありませんでした。

 

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前回の移植である「臍帯血」での生着確

率は80~90%。それに対して今回は

「生着しないのは考えなくていい」と言

われていたのに、結果がまったく出てこ

ない。こんなことは、正直予想していま

せんでした。

「なぜなんだ!」という言葉が頭の中で

グルグル回って、考えがまとまらない。

黙ったまま険しい顔をしていたはずで、

どうなってしまうんだろうと思っていた

とき H先生が僕に、

「センバさん、どうされました?」と話

してきました。長女も僕を見ています。

 

すぐに自分でも気づいたんですが、

「あれっ!」と、ちょっと大きめの声を

出していたんです。

 

出雲大社のお守り

 

その理由はこう。これだけ生着率が高い

はずだった今回の移植。それがうまくい

かなかったのには、何かはっきりとした

理由があるはずです。前回の移植では、

生着不全という相性みたいなものが合わ

なくて、うまくいかないことがあると説

明を受けていました。でも今回はその可

能性はすごく小さい。

じゃあ理由があるはず。理由が分かれば

きっと、何か対策があるはず。そしてそ

れは、生着への可能性を広げる光になる

に違いないと思いついて、声を出してし

まった。

 

思った通りにその後に H先生から説明が

ありました。今回の生着不全の理由は二

つ。はっきりと分かっているそうです。

 

 

①血液になれなかった細胞が脂肪細胞に

変わっていて、それが骨髄の中にたくさ

んあり、新しい造血細胞が住み着くスペ

ースがあまり無い

②免疫細胞であるマイクロファージー

暴走していて、新しくできた血球を食べ

てしまっている

 

そう、マイクロファージーが主因です。

 

たったの 20個(昨日妻が急性白血病になりました② ・ ㊹/㊿)

 

他の医師とは A先生。治療説明のときに

も立ち会ってくれた先生の一人です。

でも、わざわざ面会用の通路まで来てく

れるなんて、何かよほどのことがあった

はず。そしてそれは、いい話しではなさ

そうな予感しかしません。

 

病室の妻から見えないところで、

「担当の H先生が直接お話ししたいとの

ことです。後 1時間ほどで来ますから、

お時間をいただけないでしょうか」

 

僕は頷くしかありませんでした。

 

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妻との面会が終わってから時間があった

ので、1階のコンビニで買ったサンドイ

ッチを食べながら、休日で誰もいない病

院の大きな待合室に並んでいるソファー

に座り、長女と不安を打ち消すような会

話を続けていた。そこに H先生が声をか

けてきて、13階の第2面談室に来るよ

うに伝えられました。

 

無菌室の面会用通路

 

第2面談室で待っていると、神妙な面持

ちをした H先生と他の女性医師、そして

移植コーディネーターの看護師さんが入

ってきて、いつもよりかなり慎重な話し

かたで、これまでの経緯と今日分かった

ことを、ゆっくりとパソコン画面に映し

出されたのデータを指差しながら伝えて

くれました。

 

繰り返しになりますが、今回の移植であ

る「末梢血幹細胞移植」の造血細胞が生

着するのは、9月14日から21日の間

です。その間に 3回、白血球の主な役割

を果たす「好中球」が 500個なければ

ならない。抗がん剤投与と放射線照射の

前処置を受けた妻の造血細胞は壊されて

いて、好中球も他の白血球もゼロです。

そして 14日と16日の血液検査の結果

は、白血球の生着どころか白血球そのも

のがまったく無い、ゼロのままでした。

 

H先生や同席した 2人の雰囲気からも、

良い結果ではないんだろうなということ

は分かります。そしてそれの告知をこれ

から受けなければならない。

 

 

H先生から、

「20日の血液検査の結果、白血球の数

はゼロでした。そして 22日、昨日の結

果ですが白血球が 40個、好中球はその

半分の 20個でした」

 

いまから家に帰ります(昨日妻が急性白血病になりました② ・ ㊸/㊿)

 

9月20日の火曜日、連休が明けた日。

この日は血液検査がありました。

 

血液検査の結果はその日のうちに分かり

ます。また前の週に行われた骨髄検査も

結果が分かるころ。でもなぜか検査結果

が知らされない。

「もう少しかかります」という看護師さ

んの話しだけです。

 

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何か違和感を感じながら、23日の祝日

も面会に行くことにし、その前に病院か

らの連絡がないかと、ずっと携帯電話を

持ったまま毎日待ち続けていました。

 

鎌倉の上行寺。かさ守稲荷と身代わり鬼子母神

祀られ、癌や病気などの禍を封じてくれる

 

22日、不安になった妻からの電話。

「いまから家に帰る。迎えに来て」

   ・

「本当に帰るから、迎えに来て下さい」

   ・

   ・ 

   ・

   ・

   ・

もうこの状況に耐えられなくなった妻が

泣きながら、治療を止めて家に帰りたい

という連絡をしてきました。もちろんそ

んなことはできない。白血球が一つもな

い状態で無菌室からは出られない。そん

なことをしたら、あっという間に何かに

感染して命を落としてしまう。

それが分かっていても、家に帰りたいと

声を絞り出し、電話してきました。

 

そして、

「H先生が何も話してくれない」

「やはりだめなんだと思う」

「だってあれだけ自信満々で移植の話を

していたのに、結果がぜんぜん出ない」

「それに、3回目の移植の話しが出た。

こんな辛い治療は、もう耐えられない」

「臍帯血移植だって。それって前に戻っ

てない。だめだった移植をもう一回やる

意味が分からないよ。まただめってこと

になるよ」

   ・

   ・

「あとどれぐらい生きられるのかな」

 

僕もあれから何も知らされてないので、

具体的なことが答えられない。ただ慰め

る言葉を選んで繰り返すだけです。

「23日も面会に行くから、そのときに

聞いてみるよ。もう少しだから」

それがせいいっぱいの言葉でした。

 

 

23日に長女と面会に行くと、すごく体

調が悪そうな妻がいました。更に顔色が

悪くなって、体を起こすことも難しい。

その面会中に他の医師が近くに来て、

「あとで、13階に寄ってください」