yururi-furu’s blog

ゆるりと続けるフルコミ営業

妻の日記(本日妻が亡くなりました⑮)

 

2022年4月22日の夕方 6時過ぎ、

病院 13階の血液内科第2面談室で、担

当でない A先生からこの病気と妻の状態

の説明を、僕と妻、長女が受けました。

急性骨髄性白血病だということとその病

気の特徴や症状、治療方法なんかです。

 

白血病について何の知識も無い僕たち。

だからその説明を聞くだけで、質問がで

きない。

何も知らなかった僕は、白血病とは白血

球が増えすぎる病気だと思ってました。

でもまったく違います。妻のかかった急

性骨髄性白血病とは、血液が造れなくな

る病気です。しかもレアケースで、最初

の段階で血液にならなくなって、脂肪に

変わってしまう。

 

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病院の面会用バッジ

 

妻も長女も静かに冷静に聞いていた。と

きどき先生の話を遮るように質問するの

は僕だけです。

 

妻の検査結果と症状は、こんなものでし

た。白血球が通常の 1/6。赤血球は約

1/2。血小板は 1/3。すぐに輸血と抗

生物質を投与しました。

この状態だと、いつ何かに感染してもお

かしくない。風をひくかもしれないし、

新型コロナウイルスもすごくかかりやす

い。怪我をしたら血が止まらない可能性

が非常に高い。そして赤血球が半分しか

ないから酸素が足りず、すぐに息切れし

てしまうし頭痛も頻繁におきる。

 

お医者さんからは、

「よくこの状態でガマンできましたね」

と言われるぐらいです。

最初に行ったクリニックで、血圧の上の

数値が 190を超えていたのもしかたが

ありません。妻は普通 90台しかなく血

圧が低い方ですが、赤血球が半分しかな

いために酸素が足りず、心臓がすごく頑

張って少ない血液を循環させてくれてい

ました。だから血圧が異常に高かった。

 

落ち込んだ様子の妻でしたが、なんとか

頑張って早く治して退院できるようにす

ると言いました。家族みんなと元の生活

ができるようにすると、気丈に話した。

 

 

妻が亡くなったあとで、スマホのメモに

日記が残っていたのを見つけました。

 

「4月24日

 なんでこんなことになるの

 こわい、こわいよ  死んじゃうかも

 助けて」

 

泣き崩れる長女(本日妻が亡くなりました⑭)

 

妻にちょっとだけ体調の不良が表れたの

は、2022年3月でした。

それまでは何ともない。

でもこのころから仕事や外出中に頭が痛

くなったり、呼吸が乱れて動悸がしてき

た。それでも家に帰ると治ってしまう。

だから病院に行くのは大げさな感じがし

て、ためらってしまいました。

 

2月17日には、僕と伊豆大島の椿祭り

ツアーに行っている。その後に長女とデ

イズニーシーに行ってます。そして 3月

にもライブや展覧会、食事なんかに出か

けてるし、最初のクリニックに行った前

の日も、都内に遊びに行っています。だ

からその後に頭痛や息切れがひどくなっ

てきても、そんなに重い病気だとは思っ

ていませんでした。たぶん更年期障害

ゃないかと。

 

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伊豆大島の椿

 

2022年4月21日にクリニックか

ら紹介された大きな病院へ一人で行っ

た妻。そこで何時間も検査をした結果

は、急性白血病の疑いが強いので、専

門の病院で再検査が必要ということ。

紹介された 3つの病院から、長女の友

達が何人か看護師さんをしている市立

病院を選びました。

 

翌日の 22日、有給休暇を取って付き

添いをしてくれた長女と一緒にその病

院へ行きました。再検査を受けた結果

を最初に聞かされたのは長女です。一

人で別室に呼ばれて病名を告知されま

した。

急性骨髄性白血病にほぼ間違いがな

いので、このまま入院になります」

 

すぐに僕の携帯に、長女から連絡が入

りました。少し暗い感じでしたが落ち

着いた話し方で病名を告げた。更に正

確な説明のため夕方に僕と妻、そして

長女の 3人で担当医と会うことになり

ました。

意外だったのは、最初に病気の告知を

受けるという辛い役目をさせてしまっ

た長女が冷静だったこと。朝から病院

に付き添って、説明が終わる 19時過

ぎまで病院にいてくれた。

 

 

長女と二人で病院から帰るとき

「疲れたね、大丈夫」と僕が聞くと、

「うん、平気」と気丈に答える。

 

でも妻が亡くなった後で、本当のことを

教えてくれました。

病名を聞いたあと、病院の待合室のソフ

ァーで、ずっと号泣していたことを。

 

幸せな時間(本日妻が亡くなりました⑬)

 

1月3日の午後、五霊神社に初詣に行き

ました。厄除けのお守りを授けてもらっ

て、長女と次男と一緒におみくじを引い

た。吉や小吉だった二人と違い僕のだけ

「凶」。久しぶりなのでびっくり。

ちょっと嫌な感じです。

 

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第四十六番 凶

 

大変な病気のなかでも、いくつか幸せを

感じた時がありました。それを先に書き

ます。

 

10月17日の月曜日、僕は一人で妻の

面会に来ていました。病気が治り明日か

ら一般病棟へ移るという日。

でも妻の状態が悪く、看護師さんと相談

した結果、この日はできるだけ長い時間

病院にいることになりました。

 

17時を少し過ぎたころ、妻がうとうと

し始めた。夜はまったく眠れなくなって

いたんですが、僕が面会に来ると安心し

てくれて、落ち着いたり眠そうにしたり

する。

「寝たほうがいいよ」と僕が言うと、妻

は駄々をこねる。そう、この日はもう一

人の妻。子どもに返った妻です。

でもあまりに眠そうだったので、もう一

度「寝たほうがいいよ」と言うと妻は、

「だって寝たら帰っちゃうんでしょ?」

そう言って寝ようとしない。瞼がくっつ

きそうなのに。

妻もさすがに起きているのは無理だと思

ったのか「じゃあ、子守歌を歌って」と

ねだってきます。無菌室前の廊下は誰も

いません。しかしさすがに恥ずかしい。

僕が困った顔をしていると、「だったら

100数えて。そしたら許してあげる」

 

「いいち、にいい、さあん」と数え始め

たら、「だめだよ、だめ。それじゃ早す

ぎて眠れない」

「ああゴメン。最初から行くね。いいい

いち、にいいいい、さあああん・・・」

 

たった 8まで数えたところで妻は眠った

みたいです。内線電話ごしに寝息が聞こ

えてきました。僕のほうを向いたまま子

供のような寝顔をしてる。

もう眠っていましたが、ちゃんと約束通

りにゆっくりと 100まで数えました。

間接的に夕陽が射し込んでくる。そんな

中で妻を見つめていた幸せな時間。

 

 

(明日一般病棟に移ったら、あと 2週間

ぐらいで退院できるから頑張ろう)と心

の中で話しかけました。

僕は知らなかった。妻の命が尽きるまで

あと9日と13時間だということを。

 

これから書こうと思うもの(本日妻が亡くなりました⑫)

 

今は、1月2日の午前3時。

昨日は早めに寝てさっき起きたので、見

た夢は初夢でした。

家族 5人で旅行している夢。どこか海辺

の市場でお土産を選んでいる夢です。妻

も一緒ににこにこしながらお土産を探し

ている。こういうときはいつもすぐ横に

いたのに、なぜか少し離れたところで一

人でお土産を見ている妻。僕が近くに行

こうとすると歩き出す。ゆっくりと追い

かけていっても近づけない。穏やかな表

情をしているけれど、どこか寂しそう。

やっと妻のそばに行けたところで目が覚

めました。

 

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2023年 九十九里浜の初日の出

 

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長女が作ってくれたお雑煮

 

これから書こうとするものは、ほとんど

決まっています。それはこんなこと。

 

・病院のソファーで泣き崩れる長女

・4月24日から始まった妻の日記

・僕一人が病院に呼ばれた

・二度目の移植

・9月3日で途絶えた日記

・9月4日、来なくなったLINE

・妻が変わっていく

・耳が聞こえない、目が見えない

・手の震え

・せん妄?、うつ?、認知症

・お父さんは頭がいいね

・二人の妻

・お父さんは泣き虫

・お父さん「泣かないで」

・妻との面会の後、嘔吐する僕

・小さくなった妻

・面会の日は食事できない僕

・血小板だけ戻らない

・忘れていた命に関わる二つのこと

ガリガリ君

・僕がたくさん泣いた理由

・無菌室で眠れずに天井を見つめる妻

・10月17日、「死」を告げる妻

・10月17日、15階の展望室

・10月17日、面会時間は 5時間

・10月17日、幸せな時間

・この病気の本当に怖いところ

・子どもたちに連絡

・10月18日、一般病棟へ

・10月23日、家族全員集まった

・10月24日、僕と妻の時間

・10月26日、大切な大切なこと

・10月27日、朝6時1分の電話

・こんなにいい天気、世の中は同じ

スマホにあった日記と遺言

・葬儀の話し

・友達や知人、関係者

・実際にかかったお金の話し

・手続きや申請に関すること

 

 

この中で 10月17日と26日が、大き

なターニングポイントでした。

10月17日の「幸せな時間」だけを先

に書きます。

 

悪い夢(本日妻が亡くなりました⑪)

 

12月19日 月曜日の午後、久しぶりに

五霊神社にお参りに行きました。長女と

二人でです。

しばらくお参りしていなかったのは、忌

明けを待っていたから。人が亡くなって

から 49日経つと忌が明けます。詳しい

ことは省きますが、神社のお参りは、忌

明けまでは行うことができません。

この日はお礼と報告のためにお参りしま

した。妻の白血病を治していただいたお

礼を伝えるため。そして本当に残念なこ

とですが、病気が治ったあとに妻が亡く

なってしまったことの報告です。

 

神社さんによっては、喪中の 1年間もお

参りできないところがあるそうです。


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久しぶりの五霊神社

 

僕はよく夢を見ます。正確に言えば、見

た夢を覚えているほう。でも見た夢のこ

とをあまり話したりはしないようにして

いる。だって夢は、眠っている間に脳が

記憶の整理をしているだけだから。そん

なのを聞かされても迷惑なはず。

 

不思議なことに 10年ぐらい前から、変

な夢を何度も何度も見るようになりまし

た。妻には一度も話さなかった夢。それ

は妻と旅行をしている夢です。その旅行

中に、僕たちが乗ったバスが必ずフェリ

ー乗り場に到着する。曇り空で風が強い

夕方。乗船券を買おうとすると、売り場

にいる暗い表情の女性二人はうつむいた

まま声を揃えて、

「奥様は船に乗ることができません」と

言ってくる。しかたなく僕一人がフェリ

ーに乗って出航するというもの。

その夢を 10年ぐらい前から見始め、こ

こ数年は月に2~3回、更に今年になっ

てからは毎週見るようになりました。別

に夢占いを信じてたり、夢を気にしたり

するほうではないんですが、あまりに繰

り返し見るために、7~8年前から妻と

いる時間をたくさんつくるようにしまし

た。

なんとなく時間に限りがあるような気が

して、一緒にいたいと思ったからです。

 

 

夢を気にしたり何か根拠があったわけで

はないんですが、僕は自分の寿命があま

り長くないかもしれないと思っていた。

でも、それは僕ではありませんでした。

 

妻が亡くなってから聴いている曲(本日妻が亡くなりました⑩)

 

やはりまだまだ辛くて、なかなか記事が

進まない。

12月の記事は三つめです。実はまった

く記事を書いていないわけではなく、少

し書いては止めたり、書きあがったもの

を全部消してしまったりしてました。

本当に伝えなければいけないところが、

リアル過ぎて書くのが難しい。


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妻と行く予定だった「東京ドイツ村

 

妻が亡くなった日の夜は、一人で音楽を

聴いていました。妻が夜眠れなくて聴い

ていた「おやすみジブリ&ディズニー・

ピアノメドレー」。

妻は寝つきがすごくいい人でした。布団

に入ったら 1分もたたずに眠ってしまい

ます。それなのにこの病気の治療の、薬

やストレス、せん妄と軽いうつ状態で、

夜はまったく眠れなくなってしまった。

だからなんとかしようと、こういった音

楽を一人で無菌室で聴いたようです。

それを思いながら僕もその時間を共有し

ようとして同じ曲を聴いてみましたが、

無理でした。

1曲目から涙があふれて嗚咽し、リビン

グの床にへたり込んでしまった。力が入

らず立ち上がることができない。心が押

しつぶされそうになり、呼吸ができなく

なってしまう。

十数年ぶりに飲んでみようと思ったワイ

ンの入ったグラスを倒したのにも気がつ

かず、足の指に冷たい感覚があって初め

てこぼれたワインだと分かりました。

結局 2曲目で聴くのをやめてしまった。

そして一晩中眠れずに、YOU TUBUの見

ていました。ただ何を見ていたのかの記

憶が無く、気づいたら朝になっていた。

 

妻が亡くなってから、スターダストレビ

ューさんの「木蓮の涙」をよく聴いてい

ます。これは大切な人が亡くなったのを

偲ぶ歌です。もともと好きだったんです

が、今回は心に刺さって離れない。

そしてそれに関連する動画や映画を見て

から、ずっと聴き続けたい歌が 9曲でき

ました。

 

 

1.himawari Mr.Children

2.ラストシーン いきものがかり

3.オレンジ 7!!

4.木蓮の涙 スターダストレビュー

5.Hellow、Again~ JUJU

6.木霊 浜田省吾

7.瞳をとじて 平井堅

8.奏 スキマスイッチ

9.糸 中島みゆき

 

お仏壇が届きました(本日妻が亡くなりました⑨)

 

12月19日の午後、宅配便でお仏壇が

届きました。

14号という大きさで、40cmぐらいの

小さなものです。妻の使っていたドレッ

サーの上に置くため、コンパクトで明る

い木目の色にしました。

 

仏壇を買うのは 2回目です。

初めて買ったのは、7年前に父が 84歳

で亡くなったとき。でもその時は、ほと

んどを弟たちが決めてくれました。父の

姉がお金を出してくれたこともあり、こ

れぞ「仏壇」、というような仏壇です。

あとで他の親戚に、立派すぎないかと言

われたようなもの。


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妻のお仏壇

 

今回の妻のお仏壇は、小さくてシンプル

なものにしようと思っていました。妻が

どんなものを望んでいたのかは知りませ

ん。だって亡くなるなんて、誰も思って

いなかったから。それは多分、本人が一

番思っていたはずです。

白血病が治って一般病棟に移り、あとも

う少し、そう、あと 1週間あるいは遅く

ても 2週間ぐらいで退院できるはずだっ

たから。妻ももう少しで退院だからと、

なんとか気力を振り絞って最後のリハビ

リを頑張っていました。

 

それなのに・・・・・。

 

妻が亡くなった次の日に、品川に住む弟

が来てくれた。弟は父が亡くなったとき

にいろいろ調べ、仏具や仏教に詳しくな

っていました。だから今回はすごく頼り

になります。僕はそういったことに疎い

し、こんなことになるとは思っていなか

ったので、ただ茫然としていた感じ。

亡くなった日から葬儀の日まで妻を預か

っていただいた戸塚の「ほうさい殿」さ

んで妻と会ったあと、戸塚の「お仏壇の

長谷川」さんに弟についてきてもらい、

教わりながらお店の人の話を聞き、仏具

を少し買いました。お仏壇はまったくイ

メージが沸かなかったのですが、弟が勧

めたのは、「マンションだから小さいの

で、明るい色、家具に合うものがいい」

といったもの。

 

 

結局、他のお店もいくつか見て決めまし

た。長女が気に入った、一番シンプルで

落ち着いた「ニトリ」さんのもの。

ニトリさんでは、お仏壇も扱っていたん

です。

 

49日法要(本日妻が亡くなりました⑧)

 

妻の病気の「急性骨髄性白血病」が起き

る確率は、10万人に4~5人。そして

妻の弟さんの病気である「横紋筋肉腫」

が大人に起きる確率は、100万人にた

った1人か2人。

これが姉弟に続けて起きてしまった。そ

の確率は、信じられない程低いはず。な

のに立て続けに起きてしまった。それは

あまりにも奇妙でおかしい。

 

更に弟さんが病気の告知を受けたのが、

10月26日。そして妻の病気が治って

退院準備のリハビルをしていた一般病棟

で、急に亡くなってしまったのはその翌

日の 10月27日の朝です。


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合掌の郷さん

 

昨日、12月11日は妻の 49日法要を

行いました。

場所は、横浜市戸塚にある「合掌の郷」

さん。親族10人ちょっとだけの慎まし

い49日法要。僧侶様は葬儀の時にもお

願いした山梨県笛吹市にある小さなお寺

の「石雲寺」さん。

 

今回は納骨をしませんでした。

それは僕の気持ちの整理がつかなくて、

まだ遺骨を家に置いておきたいから。そ

れと、自分が喪主となって行う 49日法

要について何も知らなかったため、準備

をしていなかったからです。

 

7年前に亡くなった僕の父。そのときも

喪主をやったのですが、場所が青森県

ので横浜とは風習が違いました。父親の

葬儀のときは、お葬式と初七日、そして

49日法要までを一緒に行いました。青

森県では多いケース。だからその次の法

要は 一周忌です。納骨のやり方もそうで

すが、東北や北海道の一部では少し他と

は違うのかもしれません。

そのために、初めて喪主として 49日を

やりました。まったく分からないことだ

らけで、ネットで調べる毎日。ご住職様

は、葬儀の時に白木の位牌を授けていた

だいた「石雲寺」さんでいいのでしょう

が、場所をどこにお願いするのかについ

ても知識が無い。

 

 

結局、妻の父が約20年前に準備してあ

ったお墓がある「合掌の郷」さんのホー

ルを予約しました。

まさかそこのお墓に、一番最初に妻が入

ることになるとは、誰も思わずにいたは

ずです。

 

何かがおきている(本日妻が亡くなりました⑦)

 

溜息しか出ない。

 

妻が亡くなった後は涙があふれることが

多く、何を見ても悲しく、辛く、気持ち

が落ちていってしまった。だけど今は、

溜息ばかりついている。

 

(なんで死んでしまったんだろう)

(何かもっとできなかったのかな)

(きっと気づいてあげられなかった)

そんなことを考える度にため息が出て、

それが止まらない・・・。

 

 

11月21日に本位牌を受け取り、23

日には仏具を揃え、翌日やっと喪中ハガ

キを書き終えた他は、なにもやる気が起

きないで寝てばかりいる。

本当はこの記事で、白血病と闘っている

人や家族、その友人知人のために、妻や

僕、子どもたち、妻の両親と兄弟が経験

したものと、そこで考えたことを伝えた

いはずなのが、まだあまりに鮮明で細か

いところまで思い出せてしまうので、逆

に書けない、手が止まってしまう。

早く伝えたいのに・・・。


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昨日 11月27日は、妻の初めての月命

日でした。早いもので、妻が亡くなって

から1ヶ月が経ちます。

自宅のドレッサーに置いた遺骨、白木の

位牌、花、そして葬儀のときにも飾った

遺影。嬉しそうな顔をしている遺影。こ

の写真を撮ったときは、すごく幸せなと

きだったから、優しくて嬉しそうな顔を

している。ちょうど 1年前、長男がお嫁

さんになる人を初めて連れてきて、みん

なで食事をしに行ったときの写真です。

 

何人かが手を合わせに来てくれました。

その中で、葬儀の日に体調が悪くて参加

できなかった妻の弟さんの奥さんと高校

生の息子さんも来てくれた。

遺影に手を合わせ、葬儀当日来れなかっ

た親族たちから預かった香典をたくさん

渡されたあとに、1通の封筒。

事前に、当日渡したい手紙があると言わ

れていたもの。今日も弟さんが来れなか

ったし、今度行う 49日の法要にも参加

できないと言っている。そういえば妻が

亡くなったときには、松葉杖をして左足

をかばっていた。

 

 

手紙の中は弟さんの病気のこと。

妻が亡くなる前の日に告知を受けたその

病気は「横紋筋肉腫」。

大人では 100万人に1人か2人しかか

からない筋肉の癌。

そのステージは、4でした。

 

答え(本日妻が亡くなりました⑥)

 

最初に「答え」を書きます。

 

一番伝えたいことは、この病気になった

としても、すぐに亡くなったりすること

は少ないこと。病気になってからよほど

時間がたって病院に行くなんかの、手遅

れにならない限りは、対処できる可能性

がかなりあると思います。

 

だから泣かないでほしい。

 

僕たちもそうだったけれど、たぶん病名

を告げられたときは何も知らないために

不安で、焦り、絶望し、先のことが考え

られなくなり、「死」を身近に感じてし

まう。

仕事を長く休まなければならなく、とき

には辞めなければいけないこともある。

今までと違う日常が待っている。だけど

最悪でも「生きていれば」何とかなる。

そして、大体の人は何とかなっている。

決して「絶望」しないで。

 

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青森県八戸市の「櫛引八幡宮ひょうたんのお守り

 

それから、「二つの後悔」。

一つは、子どもたちが白血球の型の検査

を希望したのに受けさせなかったこと。

子供たちは親の白血球を受け継いでいる

から、必要な 6個の型のうち 3個は合う

はず。だからもしかしたら、4個や5個

が合致する可能性もあった。確率は低く

なるけれども、6個全部が合う可能性さ

えあった。

骨髄移植しか知らなかった僕と妻は、ド

ナーになった場合の後遺症のことが心配

で、まだ 20代の子どもたちに、ドナー

になってほしいとは思わなかった。特に

妻は、自分のために子どもたちの将来が

脅かされる可能性があるのには絶対に反

対で、もしも白血球の型が 6個全部合っ

たとしても、移植を拒むと言って譲らな

い。それを説得できるだけの「覚悟」が

僕には足りなくて、可能性にチャレンジ

することをしなかった。

 

二つ目の後悔は、移植の方法。

治療や移植に関する知識も無く、もっと

も患者にリスクや負担が少ない「臍帯血

移植」を選択したこと。

病院側がこれを勧めるのは当然で、総合

的に判断するとこれしかない。だけどこ

の移植で治る可能性は、80~90%。

他の移植のほうが治る可能性が高いのを

知らなかった。

 

人の命がかかるときに、100%に近い

成功確率でない治療を選んだことで、妻

を苦しめてしまった。

 

二つの後悔とサイドストーリー(本日妻が亡くなりました⑤)

 

ここ数回のブログの日にちが空いていて

バラバラな感じがあるのは、葬儀の予定

があったり、気持ちの整理ができていな

かったため。

 

実は今回のブログでは、書きたいこと。

書きたいけれど書けないこと。書きたく

ないこと。書きたくないけれど、書いた

ほうがいいことがありました。

そしてこの一番恐れていた結果になって

しまったために、書きたくないけれど、

書いたほうがいいと思うことが出てきま

した。


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11月11日 ベランダから見えた月

 

僕には、大きな二つの後悔があります。

その時は、今よりももっと知識がなく、

分からなかったり、判断できなかった。

それを書いたほうがいい。

別に、病院やお医者さんに何か言いたい

訳ではありません。そちらには感謝して

います。本当に一生懸命で、よくやって

いただいたと思っている。

 

妻が亡くなってから分かったことがあり

ました。

妻の兄弟が妻から聞いていたこと。子ど

もたちが思っていたこと。

そして妻自身の思いです。

 

妻の思いは、亡くなった次の日の荷物整

理をしていたことで分かりました。

・長女が妻にプレゼントしたノート。そ

こに書き留められていた「言葉たち」

スマホに残されていた日記

・紙片に残されていた走り書きの「ライ

ンを見て」

その「ラインを見て」が意味していたス

マホの中のメモ。そこには妻が何度も書

き直したと思われる「思い」が2通残さ

れていました。

 

そして、今まで書くことができなかった

大切なこと。「造血幹細胞移植」のカウ

ンセリング・ブックに書いていなかった

し、病院から事前説明もなかった病状。

しかしそれはしょうがない部分が多い。

なぜなら、あまりに多くの副作用や合併

症なんかがあって、全部は説明しきれな

いし、あまり説明しすぎると、患者や家

族を必要以上に不安にさせてしまうから

なんだと思います。

 

妻の場合は、Mゼロという稀なケースで

した。芽球という血液になるための細胞

が、成長することなく最初から脂肪に変

わっていた。

 

 

その辺りから今までの話を補完して、書

けなかったことを加え、この病気と闘っ

ている人たちに役に立つかもしれないこ

とを伝えたいと思います。

 

11月6日の葬儀と告別式(本日妻が亡くなりました④)

 

予定通りに 11月6日の日曜日、葬儀と

告別式、火葬が行われました。

 

思っていたよりも、たくさんのたくさん

の人たちが来てくれた。妻の優しく思い

やりのある人柄が、これだけ多くの人に

伝わっていたんだと気づかされて、本当

に感謝の気持ちしか出てこない。

 

ありがたくて嬉しくて、そしてその分だ

けまた残念な気持ちが沸きあがってきて

しまう。


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2022年4月22日にこの病気が分か

ってから、入院して、治療して、辛いこ

とに耐えている妻をすぐそばで見てきな

がら、少しでも役に立てればと思い、そ

れだけを考えながら過ごしてきた毎日。

9月28日に病気が治って一般病棟に移

ったのに、突然の別れ。終わりが来た。

何回も何回も泣いた妻。子どもたち。そ

して僕。この突然の終わりが受け止め切

れずに、また泣いた。周りの目なんか構

っていられない。ただただ泣き続けた。

 

喪主としての出棺の挨拶。そのときも声

が詰まり、何度かくり返した言葉がなか

なか出てこない。

花で満たされたお棺の中の妻。皆の見て

いる前で僕は、冷たい妻の頬を両手の指

先でそっと触り、自分の額をお棺の中の

妻の額に合わせた。特にやろうと思って

いたわけではなく、我慢できなくなって

額を合わせてしまった。

やはりすごく冷たくて、でもなぜか少し

柔らかくて、

(ごめん、本当に「さよなら」だね。あ

りがとう、ありがとう)とだけ小さく呟

くのがやっとだった。

 

お寺で作った白木の妻の位牌を持って、

お坊さんの後をゆっくりと歩いて行く。

僕の後ろには遺影を持った長男、そして

祭壇に飾ってあった花で作った花束を持

った長女。涙をこらえながら続く次男。

 

僕の父親が亡くなったときの悲しみの深

さから、(もう喪主はやりたくない)と

思っていたのに・・・・・。また喪主を

やらなければいけない、しかも妻の。

 

 

霊柩車に運びこまれる妻を見たあとで、

その車の助手席に乗って位牌を膝の上に

置き、両手で支える僕。

葬儀に参列してくれた人達の、妻の名前

や感謝を叫ぶ声、合掌、涙と嗚咽の中、

ゆっくりと霊柩車が走り出しました。

 

僕は自分を責めてしまう(本日妻が亡くなりました③)

 

4日前は、泉区立場のイトーヨーカドー

に行きました。3日前は大船のヨーカド

ー。一昨日は戸塚のイオンとアピタ。そ

して昨日は、湘南台のヨーカドーです。

いずれも葬儀場に安置されている妻に会

ってから、車で子どもたち 3人と。

 

毎日忙しくしていて、コロナで出かける

回数が減ったり、子どもたちが小さい時

は、なかなか遠出できないことも多い。

すると、買い物がレジャーの代わりにな

ってきたりします。そんなときによく行

っていたところがここ。まだ子供たちが

小さくて、こんなことでも楽しそうにし

てくれていた。

だから、その想い出が詰まった場所に行

きたいと、みんなが思っていました。


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斎場の一階ロビー

 

今は、2022年11月5日の朝5時。

今日は葬儀屋さんで、16時から祭壇の

最終確認があります。

親族が集まり、設置された祭壇を見て、

希望通りだったか、送られてきた花がど

う並べられているか、会場の机や椅子、

受けつけ、返礼品をチェックする。

そして家では、明日持っていくお団子を

作り、妻のお茶碗、箸、お皿を準備し、

当日はご飯を炊いて、一膳めしを用意し

て会場に運びます。

 

横浜ではなかなか火葬場が取れない。6

日先までいっぱいで、夜中に先着順の申

し込みを葬儀屋さんがやってくれたんで

すが、一番近い「戸塚斎場」は申し込み

のアクセスさえできなかったそうです。

 

この日は長女が中心で、妻の服や靴、バ

ッグや入院中の物の整理をしました。

葬儀と火葬は同じ日に行います。火葬場

の予約が取れないということは葬儀の日

も先になるということ。少し時間ができ

たので、皆がいて分かるうちに整理をす

るほうがいいということになったから。

 

この整理をしている間も僕は、

(もしもあの時にこうしていれば、妻は

亡くならないで済んだんじゃないか。僕

にもっと知識や決断力があれば違った結

果になったんではないのか。亡くなる前

日にもっと手を強く長く握りしめておけ

ばよかった)と自分を責めしまう。

 

 

そんなときに長女が妻の走り書きを見つ

けました。紙片に書かれた最後の言葉。

「ラインを見て」

 

伝えたほうがいいかもしれないこと(本日妻が亡くなりました②)

 

もうこのブログを書くのを止めようと思

いました。

いっさい何もやる気が起きない。どうで

もいい。

 

今は、2022年11月3日の朝5時。

妻の葬儀は 11月6日の11時からで、

火葬は 13時から。お通夜を行わない

1日葬です。

妻の遺体は、葬儀を行う葬儀屋さんの安

置室にあります。10月27日の朝に亡

くなった妻。その日の 16時過ぎに葬儀

屋さんの車で、病院の地下の霊安室から

連れて行っていただきました。

家に帰りたいと何度も泣いていた妻。治

療が辛いからもう治療を止めたいと言っ

ていた妻。

 

だからこのブログは書きたくなくなって

しまった。

それは僕にとって当たり前のこと。そん

なものの続きなんかを書く必要性を感じ

ない。


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妻から長男と次男が引き継いだアクセサリー

でも妻が亡くなってから今日で1週間。

あることが気になりました。

 

妻が亡くなってから数時間後、集まった

僕たち家族や親族に、病院から経緯の説

明がありました。説明が終わった後に、

H先生と当日の宿直で対応をしてくれた先

生が「お願い」の話しをしかけました。

妻の弟さんがその話を一度遮り、妻の両

親を連れて出ていった。

僕はその時すぐに分からなかったんです

が、そう「病理解剖」の話しでした。弟

さんが気を遣って、僕ら家族だけにして

くれて、その判断に他の意見が入らない

ように、決断を伝えるのに言いにくくな

らないように気遣ってくれました。

 

僕や妻、そして子供たちはそんなことを

話し合ったことも考えたこともありませ

ん。でも妻だったら、きっとこのことを

承諾してくれるはずです。

なぜならこの難しい病気、「急性骨髄性

白血病」は、10年20年前だったらも

っと治療が難しかったはず。でもその間

に新しい薬や治療方法が出来ていき、ま

た多くの医療経験が妻の治療に役立った

はずです。

そしたら妻がやっていただいた治療や経

験に対しても返していかなければいけな

い。そうして次の方に役立っていければ

いい。

だから「病理解剖」を、家族全員で承諾

しました。

 

 

そしてこのことを、ブログで伝えたほう

がいいかもしれないと思ったんです。