yururi-furu’s blog

ゆるりと続けるフルコミ営業

温かい手と冷たくなっていく手(本日妻が亡くなりました㊻/㊿)

 

少し前に次男が引っ越しました。

次男は、大学を卒業したら家を出たいと

思っていた。ただ妻の病気のことがあっ

たので、それを先延ばしにしてました。

僕たちの家は横浜にある 3LDKマンショ

ンです。子どもたちが小さいときはよか

ったのですが、大人になると手狭になっ

てきた。でもそれも今考えると、ほんの

少しの期間でした。長男が結婚して引っ

越し、妻が亡くなり、次男が一人暮らし

を始めた。あんなに狭いと思ってたマン

ションが、今では変に広く感じる。僕と

長女と、仏壇の中の妻だけの 3人になっ

てしまいました。

 

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昨日の妻の状態と病院からの早朝の電話

は、いいことであるはずがありません。

その電話は当直の医師からのもので、

(妻の病状が急変したので、今すぐ病院

に来られないか)というものでした。急

いで長女を起こし、長男と次男、妻の両

親と兄弟に連絡をしながら車で病院へ向

かった。

 

よく晴れた風ひとつない朝。信号待ちを

しているサラリーマン。多分ほとんどの

人たちは昨日と同じような朝を迎えて、

代わり映えのない一日が始まっている。

だけど、僕たちだけが違う世界にいるよ

うな感じでした。

 

幸いなことに横浜新道と首都高速は空い

ていて、6時45分には病室に入ること

ができました。

 

病室には 5人のお医者さんと 4人の看

護師さんがいて、一人のお医者さんが妻

に心臓マッサージをしていた。妻はぐっ

たりとした様子で、何の反応もしていな

いみたいでした。

僕と長女は面談室に呼ばれて、当直のお

医者さんから状況の説明を受けました。

それによると、5時45分ごろに妻の病

室から血圧の低下を警告するアラームが

鳴り、看護師さんが駆け付けると、すで

に心肺停止の状態だったそうです。おそ

らく喉に血液が詰まったとのこと。

他の医師たちを呼び、心臓マッサージや

酸素を送る等の手当てを行い心臓が動き

始めた。心臓が止まっていた時間はそん

なに長い時間ではなかったと思われるの

で、また動きだしたという説明でした。

 

ただ、次の言葉が続きました。

「もう、奥様の意識が戻ることはありま

せん」

心臓が止まったのは短い時間のようでし

たが、それでも致命的な時間だったとい

うことです。

 

 

病室に戻った僕と長女は、妻の名前を呼

びながら妻の手を握りました。

たった 11時間前に握っていた妻の温か

い手。その手はもう温かさを失い始めて

いました。感覚的には普通の半分ぐらい

の温度。

そして更に、冷たくなっていきました。