yururi-furu’s blog

ゆるりと続けるフルコミ営業

小さい わたし(本日妻が亡くなりました㉘)

 

2023年5月3日、横浜の鶴見にある

曹洞宗大本山総持寺さんに、お参りに

行ってきました。

 

毎年のこと。

 

なぜなら、8年前に亡くなった僕の父の

命日だからです。

今年は、昨年までのコロナの規制がなく

なって、建物の中に入ることができまし

た。その中では、数年ぶりにたくさんの

僧侶の方が修行をしていた。

置かれていた椅子に座り、それを見なが

ら手を合わせた。コロナ前と同じことを

しているようですが、違います。昨年ま

では父を偲んで手を合わせていました。

 

でも今年からは、父と妻、そして妻の弟

さんの三人を偲ばなければならない。

たったの 1年でこんなにも変わってしま

いました。


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総持寺さん

 

僕に「泣き虫」と言って笑った妻は、そ

の日が、入院してから 5ヶ月弱で初めて

体調の良い日でした。

 

翌日からは胸の痛みが強くなり、咳が止

まらなくなってしまった。感染症が頭に

も影響が出たせいか、手が震えるように

もなってしまいました。少し前からスマ

ホが重く感じて、持てなくなっていた。

だから LINEが途絶えたんですが、手が震

える上に、色々なことが分からなくなり

ました。

少しずつ耳で聞いたことが理解できなく

なったり、見ている物が認識できなくな

ってきた。

「目が見えない。耳が聞こえない」と訴

えてきたのは、これらの症状のため。

面会のときに内線電話で話していると、

どこか遠くを見て集中できなくなること

や、目の前にあるものが分からない。

 

病院からの説明では、病気と治療による

強いストレスとせん妄だとのこと。

ただ、せん妄にしては期間が長いし、ス

トレスだけでこうなってしまうのかが、

僕たちには理解できません。どちらかと

いうと、感染症が頭に影響を及ぼしてい

るんじゃないかと思ってしまいます。

 

 

この面会中に妻が

「大人になってから、こんなに痩せたの

初めてなんだよね」と言ってきました。

 

気がつくと、レンタルしているパジャマ

がダブダブした感じになっている。いつ

の間にか、妻はひと回りぐらい小さくな

っていました。

 

お父さんは泣き虫(本日妻が亡くなりました㉗)

 

2023年4月10日 長野市善光寺

行ってきました。一人でです。

本当であれば、昨年行われた御開帳のと

きに妻と行く予定だった。予約をしてい

たのですが、その直後に妻が病気になっ

たため、HISさんに電話でキャンセルをし

ました。

キャンセルした後も、病気が治ったら行

くつもりだったけど、結局はそれさえも

叶わなくなってしまったので、新しく買

ったキャメル色の革のキーホルダーに入

れた写真の妻を連れて行ってきました。

 

善光寺

 

富岡製糸場

 

「昨日妻が急性白血病になりました①」

「昨日妻が急性白血病になりました②」

これらの記事と、今の

「本日妻が亡くなりました」と書き方が

違うのは、僕の記憶が薄れるのを待って

書いているからです。細かい日時と当時

を照らし合わせて完全に思い出すのは、

まだ精神的に無理なんです。

いや、もしかしたら、一生無理なのかも

知れません。もしこの現実を完全に受け

止めることができるとしたら、自分の一

生が終わる時だけなのかもしれない。

 

2022年9月中旬、妻の肺に溜まった

水はなかなか抜けませんでした。

数日おきの輸血と白血球の代わりの抗生

物質投与。肺の水を抜くための利尿剤。

痛み止め。咳止め。吐き止め。睡眠導入

剤。他にもその日の状態に合わせたたく

さんの薬。常に点滴の管が腕に繋がって

る状況で、それが複数のときさえある。

そのせいか、水を抜くための利尿剤を使

っているにもかかわらず。心臓にまで水

が溜まり始めました。そしてその水が心

臓を圧迫するために、胸の痛みが強くな

っていった。

 

 

その日は何か予感がして、僕は勤務中に

妻に電話をしました。ふと心配になった

からです。

 

でも電話に出た妻は、すごく楽しそうに

笑っていた。

「いまね、看護師さんと話していたんだ

よ。何だと思う?」

「わかんないよ」と僕が答えると、

「うちのお父さんは、実はとっても泣き

虫だってこと!」

「なんだよ、それ」

「だって私が病気になってから、何回も

何回も泣いてるじゃん」

 

「あのな・・・」

 

それが、妻が楽しそうに笑っていた最後

の声でした。

 

いくつものこと(本日妻が亡くなりました㉖)

 

秋の終わりと春。

季節は違いますが、同じような青い空。

西の方に切れ長の雲が浮かんでいる。風

のない穏やかな澄みきった空気の中で、

妻はその日を迎えた。そして弟さんもそ

の日を迎えました。

 

2023年4月1日、妻の弟さんの葬儀

が行われました。ほんの 5ヶ月ほど前に

妻の葬儀をやった場所。自宅近くにある

葬儀の板橋さんの「ほうさい殿」です。

弟さんはまだ現役の会社員で、大きな会

社に勤めていたのと、大学時代の友人、

高校のときの部活動の友達、趣味の野球

仲間たちがたくさん来てくれたために、

弔問の方は 200人近くにもなり、いつ

までも終わらないような感じでした。

 

お坊さんの前に置かれている白木の位牌

には、長男と奥さん、自分の名前。そし

て好きだった渓流釣りと、一生懸命取り

組んでいた仕事から一文字ずつ取った戒

名が書かれていた。

弟さんが自分で考えた戒名です。


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妻の別な人格が出たのは、その日が初め

てでした。僕も最初は驚きましたが、す

ぐに対応できた。なぜなら、そんなこと

があってもおかしくないと思っていたか

らです。

妻は、人に迷惑をかけたくないと強く思

うタイプ。優しくて思いやりがあるから

か、たぶん内側にストレスを溜めてしま

う性格です。入院した最初は、頑張って

頑張って、僕や子供たちにさえ気を遣っ

ていた。僕や長女と次男は、そんなこと

は止めてほしいと思い、それを伝えてい

ました。

病気で入院している人が、気を遣っては

いけない。誰でもそう考えるはずです。

でも妻は、病気になったことを申し訳な

いと思っているようで、気遣いを止めま

せんでした。だからある時にその限界が

来てしまった。甘えられないと気を張っ

ていたのが、僕の前で一気に崩れてしま

い、自分が維持できなくなってしまった

んです。

治らない白血病。それに伴う症状や合併

症。8月初旬から出始めた咳は、点滴で

肺に水がたまったことによるもの。

 

 

そしてその水のためか、肺に感染症が出

てしまった。その感染症は頭にも影響を

及ぼし、心臓にも水がたまり始めた。

 

妻の弟さんが亡くなりました(本日妻が亡くなりました㉕)

 

昨日のこと。3月26日 17時56分

妻の弟さんが亡くなりました。

 

もう通院するのが難しくなってたので、

自宅に介護用のベッドを入れたばかり。

積極的な治療ではなく、緩和治療に変わ

っていました。

 

以前書いたように、妻が亡くなったとき

に少し遅れて病院に着いた弟さんは、ア

ルミの松葉づえをして、左足をかばって

歩いてきました。

(こんなときに無理して来てもらって、

申し訳ない)と思った僕をおもんぱかっ

たのか、

「ちょっとくじいただけだから大丈夫」

と言っていた。


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でもそれは違っていました。

そうです。ステージ4の末期がん。

 

弟さんは 2022年8月2日に、左足に

痛みを感じて接骨医に行った。運動不足

と診断されて、歩く量を増やしました。

彼は、日本を代表する電気メーカーに勤

めていました。大人気のゲームも作って

いる会社。そこで業務用のモニター設計

を担当していた。一番イメージしやすい

仕事は「スターウオーズ」です。その撮

影のときに使われていた、チェック用モ

ニターも設計しています。

もともとはスポーツマン。仕事的に運動

不足になりがちなため、会社から帰ると

きは、通勤の地下鉄を 3駅前に降りて歩

いていた。だからおかしいと思ったよう

です。

治療をしてもよくならないので、違う接

骨医や外科なんかにも行った。そしてあ

る病院で、妻の入院していた医療センタ

ーを紹介されました。

ということは重い病気の可能性が高い。

 

妻の状態が不安定になってた 9月中旬、

近くで研修があったと言って、平日の午

後に妻の面会に来てくれました。でも後

で分かったのは、その日の弟さんは詳細

な検査のために来たのでした。

 

結果が分かったのは 10月26日。病院

で告知されたのは「横紋筋肉腫」という

病気。大人だと 100万人に一人か二人

しかかからない癌です。しかも既に複数

の場所に転移していました。

 

 

宣告された余命は数か月。長くもっても

6ヶ月というもの。

その翌日の朝、妻の状態が急変し亡くな

りました。二日も続けて、最悪のことが

起きてしまった。

 

二人目の妻(本日妻が亡くなりました㉔)

 

2023年3月4日 土曜日、家族で伊豆

大島の椿まつりバスツアーに行ってきま

した。そう東海汽船さんのツアーです。

昨年妻と行った最後の旅行先。今年は、

長女、次男、僕の弟と 4人で一緒に出か

けました。

妻とのことを、ひとつひとつ確かめなが

ら椿や三原山を見て、妻の表情や会話に

思いを馳せていきました。


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都立大島公園椿園


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三原山展望台

 

このブログが、前回の更新から 1ヶ月も

空いたのは、仕事をたくさんしていたか

ら。子供たちと休みが違うので、週に一

日だけの休日は、家にいることが多い。

でも家に一人でいると、いろんなことを

思い出したりするので、何もしないでず

っと寝てることもある。すると起きてか

ら落ち込むことが増えてきてしまった。

だから仕事を多くして、それを一時的に

でも忘れようとしていました。

 

また、色んな手続きの時期だったから。

遺産分割協議書作成、マンションの持ち

分や預貯金なんかの相続手続き。死亡生

命保険金と入院した保険金請求。臍帯血

運搬費用の還付金請求。確定申告と医療

費控除、年金の一時金請求、横浜市の慶

弔金請求。自分の生命保険と自動車保険

の見直し。

やることだらけだったのと、その手続き

をする度に妻を思い出して、また辛くな

ったからです。

 

目が見えない、耳が聴こえないと言って

いる妻を見ていても、あまりそうは思え

ませんでした。

面会に行った無菌室の廊下側からかけた

内線電話。ちょっと戸惑いながらも子機

を手にして、無菌室の大きなガラス越し

にこちらを見ながら話している。確かに

いつもよりも少しゆっくりな話しかたで

すが、視線はしっかりしている。

でも 9月の中旬ごろから、内線電話の子

機が分からなくなることがありました。

無菌室の中にあるテレビの黒いリモコン

と間違える。白い子機を見ながら、少し

迷って黒いリモコンを選んでしまう。

 

 

そして僕が一人で面会に行ったとき、妻

がニコニコしながら呼びかけてきた。

「お父さん、お父さん」

それは、幼稚園児か小学校の低学年のよ

うな声。別人格の妻でした。

 

妻が変わっていく(本日妻が亡くなりました㉓)

 

最初の移植では、説明を受けた範囲の合

併症だけでした。

脱毛。皮膚がかさかさになること。気持

ち悪くなり吐き気がする。顔から血色が

なくなり、爪が黒くなる。

本当に髪の毛が抜けるのか心配になった

妻が看護師さんに聞いたら、

「5日後に必ず抜ける」という返答。

ただ妻の場合は、1週間後にまつ毛から

抜け始め、その数日後にどんどん髪が抜

け始めた。それでも、前髪や耳の上あた

りは、最後まで抜けませんでした。

 

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妻と行く予定だった曽我別所(小田原)の梅林

 

また、皮膚はかさかさになってきました

が、そこまでひどくない。吐き気もちょ

っと気持ち悪い程度で、爪も黒くなりま

せん。顔色もやや悪い程度。他には口内

炎ができると説明されましたが、二つ出

ただけで、食事ができなくなっていたた

め、あまり気にならないとのこと。

ただ、放射線治療は粘膜に影響がでる。

そのひとつ、表に出て確認できるのが口

内炎なんですが、体の中にたくさんある

粘膜には何が起きているのかが分かりま

せん。それが一番心配でした。

 

一度目の移植のときは、確定診断が判明

するまでかなり元気に見え、妻が自分で

も気持ちを良いほうへ持っていこうとし

ているのが分かりました。

しかしそれが叶わなかったとき、いきな

りそのモチベーションが維持できなくな

った。

こちらには元気に見せながら、本当は辛

くて苦しいはず。心配させないようにし

ていた。でも、二回目の移植から 4~5

日経ったころ、気持ちの限界をこえた。

 

少しずつネガティブな話しが出る。そし

て顔色が悪くなり、気持ち悪さが強くな

って吐き止めの薬を点滴で投与。爪も黒

くなってきて、皮膚もどんどんかさつき

始めた。咳きこむようになったのは、肺

に水がたまったせいです。そして肺に合

併症が見つかり呼吸がしにくくなったた

め、鼻から酸素を入れる。肺にたまった

水は心臓にもたまり、そのため胸の痛み

が強くなってきた。

 

 

この合併症は、体の中の一番大切な場所

まで影響し始めました。

妻がどんどん変わっていってしまった。

 

5000勝0敗の戦い(本日妻が亡くなりました㉒)

 

2月20日 月曜日、郵便局で旅行のお金

を振り込みました。伊豆大島への日帰り

旅行。また今年も椿を見に行きます。

 

以前も書いたように、伊豆大島は妻と行

った最後の旅行先。初めての場所なのと

椿がきれいだったからか、すごく楽しそ

うにしていました。そしてその場所に行

きたいと、子どもたちが言ってくれた。

落ち込んで何もしなくなった僕を気遣っ

たのと、二人で出かけた最後の場所を、

見てみたいと思ったようです。

 

そのお金を郵便局で払っている間に、す

ぐそばにあったモニターに目が奪われま

した。

「5000勝0敗の戦い」

 

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今年の東海汽船さんの旅行チラシ

 

日本人の二人に一人が癌にかかります。

けっこう多いんだなぐらいに思っていま

した。でもこのモニターで説明されてい

たものを見て納得。それはこんな理由で

した。

誰でも、みんなが、毎日毎日体の中に、

癌細胞ができているそうです。その数は

約5000個!

それだけの数の癌細胞ができていて、そ

れを毎日リンパ球が倒しています。今日

も 5000個の癌細胞が出来、それをリ

ンパ球が一つ残らず倒している。昨日も

一昨日も明日も明後日も、一生繰り返さ

れる戦い。しかも一度も負けられない。

負けたら癌細胞は、どんどん増殖し始め

る。だから 5000勝0敗でなければな

らないんです。

ただ人間は老化します。するとリンパ球

の働きが悪くなったり、見逃しなんかが

出てくる。そうなると癌細胞が生き残っ

てしまう。それだけを考えると、癌にな

らないほうがおかしい気がしてくる。

昔、「ブラックジャックによろしく」と

いうマンガのセリフの中で、こんな感じ

のものがありました。かなり前のことな

ので正確ではありませんが大筋は合って

いるはず。

「人間は最後は必ず癌で死ぬ。癌で死な

ない人は、癌になる前に他の病気や事故

で命を落としているだけ。それが無けれ

ば癌で死んでいく」

 

 

これを見ても、体の中は分からないこと

だらけだと思いました。

妻の症状がどんどん変わってきた。

それは病院や手引きで説明されたものと

は違う、予想外のことでした。

 

目が見えない、耳が聞こえない(本日妻が亡くなりました㉑)

 

どこの家でもそうなんでしょうが、僕の

家でもきちんと挨拶を交わします。

「おはよう」

「行ってらっしゃい」

「お帰りなさい」

「ありがとう」

「おやすみなさい」

 

これは僕よりも、妻のほうがちゃんとし

ている。常に家族のことを考えているか

ら、自然に出てくる。たぶん両親から受

けついだもの。

妻は入院してからも、ほとんど決まった

時間に、「おはよう」と「おやすみなさ

い」を LINEで送ってきていました。

 

でもそれが、2回目の移植の前あたりか

ら時間がずれたり、送ってこないことが

あるようになりました。

 

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無菌室前のインターホン

 

後で思ったことですが、同じころから話

し方が変わってきていた。

妻の弟さんから授けてもらった末梢血幹

細胞。すごくありがたいことで感謝しか

ありませんが、妻の話し方が少しだけ気

になりました。

「ありがたい。弟には感謝しかない」

「申し訳ない。弟に申し訳ない」

「こんな自分のために細胞提供をしてく

れた。私なんかのために」

こんな言葉を繰り返す。

もちろん気持ちは分かります。だけど何

度も何度も繰り返し、その内に視線を落

として下を向いたまま、どこかうつろな

感じでずっと呟くようになった。

 

そして LINEがあまり返ってこなくなって

から、不規則にスタンプが送られてくる

ようになりました。泣いている女の子の

スタンプです。それも繰り返し送られて

きます。

「何かあったの?」とLINEしても返信が

ない。その内に、その女の子のスタンプ

が取り消されている。しばらくしてから

「なんでもない。だいじょうぶよよよ」

と返信が来た。

「よ」が多いよと LINEすると、しばらく

してから、記号、数字、ひらがなや漢字

が混ざった、文章になってない LINEが返

ってきました。

「どうかした?」と送ると、同じように

意味の分からないものが返ってくる。

 

 

長女と面会に行くと、こちらを見る目が

うつろで生気がありません。

内線電話が繋がると妻は、

「あまり目が見えない。それと耳がほと

んど聞こえなくなってるの」

 

でもこれは、まだ始まりでした。

 

値上げ! JR東日本

 

2023年3月18日 土曜日、JR東日本

ダイヤ改正が行われます。

ダイヤ改正の他、上越北陸新幹線の所

要時間短縮。高崎線吾妻線特急の車両

E257系のリニューアル。京葉線では新

駅「幕張豊砂」の開業などがあります。

 

でも最も気になるのは「運賃の改定」。

これが今までとは少し違い、なんか分か

りにくい感じがする。

そこのところを、ザックリと書いてみま

した。


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対象エリア図(JR東日本さんのHPより)

 

一番分かりにくいのが、首都圏だけ運賃

を値上げすること。

この首都圏とは、埼玉県だと大宮駅から

都心へ向かう範囲。千葉県だと千葉駅か

ら。神奈川県は大船駅から(横須賀線

久里浜駅から)。東京は中央線でいうと、

高尾駅から都心に向かう範囲です。

 

ICや切符の場合は、普通運賃に鉄道駅バ

リアフリー料金が 10円プラスされます。

つまり今まで 200円だった区間は、210

円。500円だった区間は、510円になる。

でも首都圏に入らなければ今までと同じ

で 10円はプラスされません。

そして通常の通勤定期券。これは約1.4%

値上げ。更に鉄道駅バリアフリー料金が

加算されます。1ケ月定期券で 280円。

3ケ月定期券で 790円。6ケ月定期券では

1420円になります。

具体的にいうと、これまで1ケ月 1万円の

定期券が、

1万円 +140円(値上げ) +280円 =10420円

今までより、420円高くなる。微妙な値上

げ。ま~、会社が払うからいいかといっ

たレベルです。

また、これも分かりにくいのですが、オ

フピーク定期券というのもできた。これ

は通勤・通学などの混雑時間を避けたと

きだけ使える定期券で、通常の定期券よ

りも10%安い。ただ問題なのは、いつが

オフピークなのか明示されてないこと。

各駅で異なるとのことで、ハッキリしな

いんです。

駅員さんも、まだ勉強会をやっている最

中です。

 

 

電車の運賃はしばらく上がってなかった

ので、仕方がないのかも。

でも、首都圏だけの値上げですし、通学

定期の値段は据え置かれので、かなり配

慮と努力がされたような気がします。

 

途絶えたLINE、止まった日記(本日妻が亡くなりました⑳)

 

臍帯血移植での無菌室の入院期間は、約

2ヶ月です。

最初の 5日間は抗がん剤投与。5日目の

午後に放射線照射。そして翌日に移植を

行います。ここまでで 6日かかってる。

その後の 4週間が生着期間。そして 5週

目が確定診断日です。ここで生着してい

れば、2週間後に無菌室を出ることがで

きる。つまり合計 2ヶ月かかります。


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妻の血液型

 

ただ、2ヶ月もいる無菌室ではほぼ移動

できない。ずっとベッドにいるようなイ

メージ。するとどんどん気持ちが落ちて

くる。そして「死」が隣り合わせのよう

な気持ちになり、追い込まれて眠れなく

なっていく。

この自分が入院している部屋で、いった

い何人の人が同じような思いをして、眠

れずこの天井を見つめていたんだろう。

 

妻も最初は気持ちを張って頑張っていた

ものの、臍帯血移植が進まなかったこと

で、それが切れかかっていました。

また、このころから咳がひどくなってき

た。長引く治療で、肺の中に水がたまり

はじめ、それが原因で咳が出るようにな

っていたんです。同時に胸に痛みが出て

きて、それを緩和させる薬も処方される

ことになり、また薬が増えた。

 

8月31日に次の移植である、末梢血幹

細胞移植を行いました。また抗がん剤

投与し、放射線治療も受ける。つまり入

院してから 3回目の抗がん剤投与。2回

目の放射線照射。その間に何度も輸血を

して、抗生物質の投与を受けている。

そしてこの頃から、妻に変化が出始めま

した。表情がうつろになり、話すことが

減ってきた。更に物事を理解するのに少

しだけ時間がかかるようになってきた。

 

そんな中 9月4日、LINEが途絶えた。

 

 

後で分かったことが 2つ。

妻がスマホのメモにつけていた日記は、

9月3日で止まっていました。文字が打

てなくなってしまったんです。

そして末梢血幹細胞を提供してくれた妻

の弟さんが、8月2日から足が痛くなり

始めていた。これは癌が進行し、足に転

移していたためです。でもこの時点で癌

であること、そのステージが 4であるこ

となどは分かっていませんでした。

 

「生きたい」思い(本日妻が亡くなりました⑲)

 

この記事、

・昨日妻が急性白血病になりました① 

・昨日妻が急性白血病になりました② 

・本日妻が亡くなりました

 

本当は、こんなに長く続けるつもりはあ

りませんでした。

病気になった驚きと悲しみ、そしてそん

な中でも頑張っていく妻と、治っていく

様子を伝えたかっただけです。

 

病名が分かったときは、家族みんなが落

ち込みました。でも白血病は治る病気だ

と聞いていた。現に、競泳の池江瑠花

さんは寛解し、オリンピックに出ていた

じゃないか。それが大きな心の支えにな

って、妻も治ると信じていました。


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移植でA型からO型に変わるはずだった

 

「昨日妻が急性白血病になりました①」

のあと、一度違う話しにしたのは、辛い

ことがあったからと書きました。この辛

いことというのは、移植のときに使う免

疫抑制剤のアレルギーで、最悪のケース

が起きるかもしれないと言われたことで

す。

一生懸命治療に向き合い、頑張っている

妻なのに、残酷な運命が待っているかも

しれない。それを僕は知っていて、妻に

伝えてはいけない。何度も泣いたのに、

更に心が潰れそうなことが起きる可能性

が出てきた。

だから書けなくなってしまったんです。

 

以前書きましたが、最初に行った「臍帯

血移植」は、うまくいきませんでした。

80~90%の確率で成功すると言われ

たのに。

ただ幸いなことに、免疫抑制剤の量をコ

トロールしながらやっていただいたお

かげで、最悪なケースにはならなかった

し、アレルギーも出ませんでした。

 

あとになって分かったことが二つ。

一つは、この臍帯血の白血球が 4つしか

合ってなかったこと。へその緒である臍

帯血は、無償で提供されたものを、マイ

ナス 196°で凍結保存されています。

だからたくさんあって、白血球は 6個全

部合うものが使われていると思っていま

した。でも違っていた。だから免疫抑制

剤が必要だったんです。

 

 

もう一つは、このときに少しだけ増えた

白血球。

実はこれ、移植で増えたものではなく、

抗がん剤放射線で壊した妻の造血細胞

が頑張って造ったものでした。

「生きたい」思いが造った白血球です。

 

最後の一時退院(本日妻が亡くなりました⑱)

 

このことは、妻と妻の両親には話しませ

んでした。子供たちと妻の兄弟だけに話

した。

でも話したところで何か変わるわけでは

なく、聞いた全員が覚悟しただけです。

コロナ禍で面会ができない。4人部屋な

ので電話できる時間も制限がある。でき

たことは、LINEの数を増やしただけ。

だからといって治療のことには触れられ

ない。子供の生活や仕事のこと、世間話

しみたいなものしか送れないんです。

 

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七夕の日の病院のごはん

 

移植の前で妻が嫌だったのは、散髪と抜

歯。移植の抗がん剤は最初のものより強

いもので、数日続きます。最後の二日間

は凄く強いものになります。更に移植の

前日に全身に放射線を浴び、骨髄の中の

血を造る細胞を完全に壊してしまう。

このために必ず髪の毛が抜ける。妻は肩

の辺りまで髪を伸ばしていました。その

ぐらいあると、髪が抜け始めたときに大

変なので事前に短くしておきます。この

ときは、通常のショートぐらいでした。

ちょっと落ち込んだ感じです。

 

そして抜歯。

僕と妻は、虫歯があったら抜くものだと

思っていました。たまたま妻は、この入

院前に歯医者に行って治療が終わってい

ました。だから安心していた。

でも違いました。

まったく健康な歯を 4本も抜くというこ

と。理由は、歯茎に微量な膿のあるとこ

ろがあったため。歯が健康でも、歯茎に

膿があると、そこから感染症になること

があるので、抜かなければならない。

このことを聞いた時も、抜歯した後も、

妻は凄く落ち込んで、声をかけられない

ぐらいでした。

 

移植の前には、一時退院させてもらえま

す。無菌室に入ると、1ヶ月半以上は出

てこれない。しかも辛い状態が続き、体

調も今までとは比べられないぐらい悪く

なります。だから担当の H先生が一時退

院に反対したにもかかわらず、移植コー

ディネーターの看護師さんが、強く一時

退院を勧めて、担当医を説得してくれま

した。

 

 

たった 2日半の一時退院でしたが、長男

も帰省して、久しぶりに家族 5人が揃っ

た。一緒に食事をし、本当に楽しそうに

していた妻。

でもこれが最後の自宅での生活でした。

 

最悪のケースも覚悟して下さい(本日妻が亡くなりました⑰)

 

このとき妻は、すでに骨髄バンクに登録

していました。幸いドナーが 6人見つか

った。

そして妻の兄弟も白血球の型を調べまし

たが、残念なことに、兄弟と妻は半分の

3個しか一致しませんでした。

 

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僕のスマホの「お気に入り」画面

 

てっきり骨髄バンクのドナーさんを待つ

ものだと思っていましたが、病院から提

案されたのは「臍帯血移植」です。

主な理由は二つ。一つは妻の健康状態が

少しずつ悪くなってきていたから。もち

ろん本人には伝えていません。骨髄移植

の平均待機期間は約5ヶ月。そこまで待

っていられない。

 

もう一つは年齢です。

骨髄バンクに登録できるのは 54歳まで

です。55歳になるとドナー登録を卒業

しなければならない。つまり骨髄移植は

負担の大きい方法なんです。ドナーさん

全身麻酔をして 3時間かけて 100回

注射し、骨髄を 1リットルも抜かれる。

患者側は 1リットルも移植を受けます。

 

それに比べて臍帯血移植は 25ccだけ。

移植に 3分しかかかりません。逆にそれ

で大丈夫か?という気がする。その臍帯

血もすでに凍結保存したものが、臍帯血

バンクにあります。

 

骨髄移植は患者側にも負担があります。

だから体の組織構成が近い、兄弟に期待

していました。兄弟であれば、移植を受

けられる年齢を超えても移植できる。妻

の弟さんは昨年ギリギリの歳でした。つ

まり、妻と妻のお兄さんはリミット年齢

を過ぎてしまっている。でも結局、白血

球の型が全部は合わず、できなかった。

 

 

僕が病院に一人で呼ばれたのは、移植に

対するリスクの説明でした。

最初の抗がん剤治療のときに使った免疫

抑制剤は移植のときも使う予定のもの。

妻の体に出た赤い発疹は、その免疫抑制

剤のアレルギーだとのことです。つまり

移植の時にその免疫抑制剤を使うと、強

いアレルギー反応が出る可能性が高い。

かといって使わなければ、重篤な事態を

招きます。

使っても使わなくても、非常にリスクが

高い。そして必ず移植はしなければいけ

ない。僕たちに選択肢は無いんです。

 

「奥様に、最悪のケースが起こることも

覚悟してください」

 

僕ひとり病院に呼ばれた(本日妻が亡くなりました⑯)

 

病気が確定してから、数日後に治療が始

まりました。点滴による抗がん剤の治療

です。

 

入院してすぐに妻から電話があった。

「H先生がお父さんに、今日にでも病状

や治療の説明をしたいんだって。病院に

来れなければ、電話でもいいって。お昼

ごろ H先生から直接電話してもらっても

いいかな?」

 

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妻が好きだった無糖レモンティー

 

12時50分に電話がありました。

 

妻の「急性骨髄性白血病」は進行が遅い

タイプで、ビダーザという抗がん剤を主

とした治療を行えば効果が出る可能性が

あり、早い退院も見込めるというもの。

具体的には、ビダーザなどを 7日間連続

して点滴で投与する。これの効果が認め

られれば 1ヶ月後には退院でき、通院治

療に切り替わるとのことでした。この抗

がん剤は、7日間連続投与した後 3週間

休み、また 7日間連続投与するそうで、

それを何度か繰り返す。

 

何も知らない僕は、この病気には骨髄移

植しかないと思っていたので、抗がん剤

投与で通院に切り替われる可能性がある

ことに驚いた。

(すごいな医学の進歩って!)

だって昔は CMで、骨髄バンクに登録して

くださいって必死に訴えていた。今だっ

てテレビやラジオ、ネットの CMが流れ

ていて、やはり難しい病気なんだと思っ

ていました。

こんなものなの?

 

妻も事前に同じ説明を受けていたので、

半信半疑で聞いていたそう。

子供たちや妻の両親、兄弟に連絡する

と、みんなどこか信じ切れていない感じ

です。

治療が始まってからも妻は元気で、病院

の廊下をたくさん歩いて体力が落ちない

ようにできるぐらいでした。

 

でもその抗がん剤は効果がありませんで

した。そして輸血と抗生物質、免疫抑制

剤投与をくり返していると、微熱やだる

さが強く出るようになった。

 

6月中旬に妻から、

「なんか赤いポツポツした発疹がある。

でもあまりかゆくないし何だろう?」

それからその発疹は増えていき、全身に

広がっていった。

 

 

数日後、H先生から僕の携帯に電話があり

ました。

「今日これから病院に来て下さい。セン

バさん一人で」

「奥様には話さないで下さい」

 

妻の日記(本日妻が亡くなりました⑮)

 

2022年4月22日の夕方 6時過ぎ、

病院 13階の血液内科第2面談室で、担

当でない A先生からこの病気と妻の状態

の説明を、僕と妻、長女が受けました。

急性骨髄性白血病だということとその病

気の特徴や症状、治療方法なんかです。

 

白血病について何の知識も無い僕たち。

だからその説明を聞くだけで、質問がで

きない。

何も知らなかった僕は、白血病とは白血

球が増えすぎる病気だと思ってました。

でもまったく違います。妻のかかった急

性骨髄性白血病とは、血液が造れなくな

る病気です。しかもレアケースで、最初

の段階で血液にならなくなって、脂肪に

変わってしまう。

 

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病院の面会用バッジ

 

妻も長女も静かに冷静に聞いていた。と

きどき先生の話を遮るように質問するの

は僕だけです。

 

妻の検査結果と症状は、こんなものでし

た。白血球が通常の 1/6。赤血球は約

1/2。血小板は 1/3。すぐに輸血と抗

生物質を投与しました。

この状態だと、いつ何かに感染してもお

かしくない。風をひくかもしれないし、

新型コロナウイルスもすごくかかりやす

い。怪我をしたら血が止まらない可能性

が非常に高い。そして赤血球が半分しか

ないから酸素が足りず、すぐに息切れし

てしまうし頭痛も頻繁におきる。

 

お医者さんからは、

「よくこの状態でガマンできましたね」

と言われるぐらいです。

最初に行ったクリニックで、血圧の上の

数値が 190を超えていたのもしかたが

ありません。妻は普通 90台しかなく血

圧が低い方ですが、赤血球が半分しかな

いために酸素が足りず、心臓がすごく頑

張って少ない血液を循環させてくれてい

ました。だから血圧が異常に高かった。

 

落ち込んだ様子の妻でしたが、なんとか

頑張って早く治して退院できるようにす

ると言いました。家族みんなと元の生活

ができるようにすると、気丈に話した。

 

 

妻が亡くなったあとで、スマホのメモに

日記が残っていたのを見つけました。

 

「4月24日

 なんでこんなことになるの

 こわい、こわいよ  死んじゃうかも

 助けて」